第七話 玉子焼きと、秘密の出勤
――翌朝。
台所から規則正しい包丁の音が聞こえてくる。
(米は炊いたし、味噌汁はネギと豆腐で作ったし、魚も焼いてるし、キュウリの浅漬けも出来た……)
(あとは、卵焼きか――)
✕✕✕
焼き魚の匂いが白銀邸に充満し始める頃、家の主である白銀 龍也は目を覚ました。
(この匂いはなんだ?)
(焼き魚――?)
「…………蘭か……」
白銀はぼんやりする頭を起こし、切り替える。
いつもの軍服に着替えて食堂へと向かっていた。
――カタカタ。
廊下から聞こえる、聞き慣れない音。
(今、この屋敷にいるの俺と蘭の二人だけ――)
(つまりこの音は――)
「……蘭」
名前を呼ぶと、音が止まった。
振り返るとそこには――昨夜、シャツ一枚の無防備な姿で過ごしていた人物とは到底思えないほど、きっきりと襟元が締められたシャツに、軍服のズボンを穿きこなしている“亜嵐少尉”が立っていた。
「お、おはよう――ございます。
閣下」
蘭の声がどんどん小さくなる。
(昨日のこと、思い出すなよ、絶対思い出すなよーーオレ!!)
「……ああ」
白銀は短く返事をした。
だが、その脳裏には昨夜の蘭の姿が焼き付いて離れない。それを振り払うように、白銀は無理やり表情を引き締めた。
「これを食堂に置いたら、お前を起こしに行こうと思ってたんだ……」
蘭は目線を外し、ぶっきらぼうに呟く。
「……そうか」
白銀は蘭が持つお盆の上に目をやる。
「……早起きして作ってくれたのか?」
「昨日、龍生副官に言われたから仕方なくだ!」
蘭はプイっとそっぽを向く。
「そうか……」
「それに……、昨日、お前が『味噌汁うまかった』って言ったから……」
白銀の目が一瞬丸くなる。
蘭を見つめる視線が柔らかくなった。
「なるほど。食堂には俺が運ぼう――」
「で、でも……」
「俺はお前を使用人としてこの屋敷に連れてきたわけではない」
そう言うと、白銀は蘭からお盆を奪う。
「あっ……」
(……朝から調子狂うな――)
蘭は白銀の後ろ姿を見つめるしかなかった。
✕✕✕
テーブルに向かい合って座る二人。
そこには、二人分の朝食が並ぶ。
「いただきます」
蘭は両手を合わせて合掌する。
「……テキトーに作ったから、味の保証はないぞ」
蘭は無言で朝食を掻き込む。
「………………」
(朝から温かい白飯など、何年ぶりだろうか――)
白銀も蘭と一緒に無言で朝食を食べ始めた。
朝食も終盤に差し掛かる頃、蘭がポツリと口を開いた。
「白銀、お前弁当箱とか持ってないよな?」
「そう言われれば、そうだな」
白銀が味噌汁を啜る。
「だからさ、今日の弁当は申し訳ないけどオレの予備の弁当箱を使ったから……。
新品じゃなくて悪いけど――」
「……そうか。別に俺はお前のお古でも構わない」
「………………。
それとさ、卵焼きなんだけど――」
蘭がもじもじしながら言葉を選ぶ。
「作ったは作ったんだ!
でも、その――。慣れてないフライパンだったから少し焦げちゃって……」
「でも! マシな方をお前の弁当にいれたから、その――」
「……大丈夫だ。何も問題ない」
白銀はスッと立ち上がる。
「……今朝の飯も美味かった」
朝食を食べ終わり、白銀がポツリと呟く。
「そ、そうか! それはよかったな!」
急な言葉に、蘭は慌てて返事をした。
「そう言えば、白銀は軍にはどうやって行ってるんだ?」
「車で行っている」
「そうか、じゃあオレは歩いて行くからもう出ないと――」
「何を言う。俺の車で一緒に向かうぞ」
「えっ。そんな事して誰かに見られたらどうするんだ!?」
「……心配するな。俺の書生と言うことにすればいい」
「はぁ!?」
「恐らく稜が手を回しているだろう……」
(龍生副官、どんだけ有能なんだよ……)
「だから心配いらない」
「で、でも!」
「……反論は許さない」
「ぐっ……」
「行くぞ、亜嵐少尉。
さっさと上着を着て、弁当を持ってこい――」
「……くっ! 分かりましたよ! 白銀閣下!!」
蘭は大股で出勤準備を始めるのだった。
✕✕✕
「……オレも車の免許取ろうかな……」
「まだ免許を取れる年齢ではないだろう」
「だって――。上官に、しかもあの“白銀の英雄”こと陸軍大将・白銀 龍也侯爵閣下様に運転させて、出勤だなんて身分違いもいいとこだ!」
「……俺は気にしないが――」
「お前が気にしなくても、オレは気にするの!!
もう、また先輩や同僚に揶揄われる……」
「……そんなに揶揄われていたのか?」
「そりゃあ……。オレはこんなナリだから弱そうに見えるのさ!
まぁ、揶揄ってきたヤツ全員ぶっ飛ばしてやったけどな!」
蘭は誇らしげに、それでいてどこがさみしげに語る。
「……もし、お前に手を出そうとする者がいれば、俺が――」
「そーゆーのいいから。オレは自分の力で周りを認めさせたい」
「……そうか」
白銀は蘭の横顔を見やる。
そこには、闘志に燃えた菫色の瞳があった――。
白銀が運転する黒塗りの高級車の中。
白銀と蘭は再び無言になる。
ただ、車内には蘭が作った玉子焼きの甘い匂いで満たされていた。
――この時、二人はまだ知らなかった。
軍部である噂が既に広まっていることを……。
噂の的である白銀大将が、まさか『当事者』である男装少尉を隣に乗せて、軍部へ乗り込もうとしているなど、夢にも思っていなかったのである――。
第7話をお読みいただきありがとうございました!
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