第三話 クリームソーダが溶けたあと
「……チッ」
静寂の中に舌打ちの音が響く。
不機嫌なその音は、藤色の髪に菫色の瞳を持つ淑やかな少女から放たれた。
「……おい、いつから気づいてた?」
「喫茶店に入ってからか? それとも最初からか?」
「……最初から気づいてたんなら、オレ一人で馬鹿みたいじゃないか!」
さっきまで淑やかに、可愛らしくクリームソーダを食べていた少女とはまるで別人。
着物の裾から組んだ足が見える。
菫色の目も愛らしい少女の瞳から、敵を射殺すような鋭い眼光へと変わっていた。
「…………それがお前の本性か?」
藤色の髪の少女――龍ヶ崎 蘭とは正反対に、落ち着いた静かな声。
白銀の長い髪に瑠璃色の瞳を持つ青年――白銀 龍也。
蘭は白銀を睨みつける。
「……だったらどうする!?」
「全部分かってたんだろ!? オレを追い詰めるために見合いまで仕組んでたんだろ!?
あんたがやりそうな事だ!」
「………………」
白銀は答えない。
「……くっ! 全部バレてんならオレは終わりだろ!?」
――バン!
蘭は机を強く叩く。
「謹慎か!? 解雇か!? 軍事法廷か!?」
「どうせなら、いっそ死刑にでもしてくれ!
あんたには、その権限があるんだろ!?」
鼻息を荒くして、まくし立てる蘭。
白銀は、取り乱す蘭の姿を猛禽類の様な瞳で眺める。その視線は、どこか獲物を狙う様な、愉悦さえを含んでいた。
白銀は注文していた珈琲に口をつける。
そして――
珈琲を置き、口元を緩めた。
「……この縁談」
「俺は破談にする気はない」
「……はぁ?」
「今度は、オムライスを食べに連れて行ってやる」
「えっ? 何言ってんだ!?」
瑠璃色の瞳が蘭の菫色の瞳を真っ直ぐ射抜く。
「今のお前は――蘭殿だ」
「……っ……」
「明日の弁当、楽しみにしている」
「それと、卵焼きは必ず入れるように……」
「なっ」
「……お前の、いつも食べている味が食べたい」
「……………………」
「……クリームソーダが溶けてきたな。
食べ終わったら家まで送ろう」
「……それとも、もう一度注文するか?」
誂うように目が細まる。
「ばっ……! 結構だっ――!」
蘭は視線を外し、食べかけのクリームソーダを見つめる。
緑色の炭酸にアイスクリームが溶け、乳白色のソーダになっていた。
(くりーむそーだ……。楽しみにしてたのに……)
✕✕✕
喫茶店から龍ヶ崎子爵家に戻るまでの車内は苦痛でしかなかった。
(くそ、なんで破談にならない!
オレが男だったら、こんな可愛げのない女こっちから願い下げだぞ!?)
「……蘭殿は、龍ヶ崎夫妻と仲が良いのか?」
「はぁ? お前の目は節穴か?
そう見えたんならオレの演技力が抜群に高いってとこだな!」
「……そうか」
蘭は、悪態をつきながら窓の外を見る。
(なんなんだ? 軍にいる時はそんな事聞いてこなかったくせに……)
「蘭殿」
「なんだ」
「さっきも言ったが、俺はこの縁談を正式に進めるつもりだ」
「ああ、そうかよ」
「だから――“蘭”と呼ばせてもらう」
「ふん! 勝手にしろ!」
(どうせオレには最初から拒否権はないんだ――)
(龍ヶ崎の家に戻っても――。白銀侯爵家に嫁いでも――)
「そろそろ着くぞ」
「はいはい。お送り下さりありがとうございました。白銀閣下」
蘭の横柄な態度に、白銀は口の端を持ち上げた。
龍ヶ崎家の前に車が着くと、使用人が龍ヶ崎子爵とその夫人を呼びに行く。
蘭が白銀の手を取り、車から降りる場面で、義両親が現れた。
「はははは。随分と仲が良くなったようで……」
「やはり、若い者同士。気があったのかしらね?」
「……お義父様。お義母様」
義両親の登場に少しだけ震えた蘭の手を、白銀が強く握りしめる。
「……子爵閣下、この度は蘭殿と楽しいひと時を過ごすことが出来ました」
「それは……! 大変よろしゅうございました」
龍ヶ崎子爵は厭らしく目を細める。
子爵の隣で夫人は扇子で口元を隠した。
白銀は子爵と夫人に向き合う。
「この縁談、正式に手続きを進めさせていただきたい」
「それは、なんともお目出度い!!」
「やりましたわね、蘭さん!」
義両親の目がギラリと鈍い光を放つ。
「早速だが、明日にでも結納金を持参しようと思うのだが……、いかがだろうか?」
「あ、明日ですか!!
なんと! それはそれは、目出度いことです!!」
「ああ、なんて幸せ者の娘なのかしら!
この様な素晴らしい御方に目をかけて頂けるなんて!!」
「ほら、蘭からも感謝をお伝えしなさいな」
「……白銀侯爵様。
不束者ではございますが、何卒よろしくお願いいたします」
蘭は儚く微笑んで見せる。
先ほどまでの横柄な人物とは到底思えないほどに――。
「ああ、よろしく頼むぞ。蘭――」
蘭の瞳が一瞬見開かれた。
白銀が、微笑んでいるように見えたからだ。
だが、次の瞬間には冷血な軍人の表情に戻っている。
(さっきの顔は、なんだったんだ……?)
「なんとまあ、もう名前で呼ばれているなんて――!」
「そうですわ、白銀侯爵様」
子爵夫人はパチンと扇子を畳む。
「どうせなら、蘭を“家事見習い”として、白銀家にお預けすることは出来ますでしょうか?」
義母の提案にポカンと口を開ける蘭。
(はぁ!? 何言ってんだ!?
そんなの格式高い“白銀侯爵家”が許可するわけ――)
「なるほど。確かにその方が都合が良い」
(……都合が、良い?)
「善は急げと言いますし!
なんでしたら今から蘭を白銀家に連れ帰って頂いても!!」
(はぁ? 見合い当日に相手の家に行く馬鹿が――)
「確かにな。では、そうさせてもらおう」
(ここにいたぁぁぁぁぁ!!!)
(え? この三人頭おかしいんじゃないのか!?)
「では、蘭。
車に乗れ」
「で、でも……。
荷物がまだ――」
「荷物など後で取りに行かれる」
「後でって……」
「では、龍ヶ崎子爵閣下。
蘭殿はこの白銀 龍也が責任をもって預かろう」
「まぁ! さすが閣下!」
「よかったな、蘭! さすが私たちの娘だ!」
夕暮れ時の空に龍ヶ崎子爵夫妻の笑い声が響き渡る。
白銀は混乱する蘭の肩を抱き寄せる。
「では行こうか、蘭」
「俺たちの屋敷に――」




