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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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火事場泥棒——カーティスの策略

 朝日が城壁を照らしているが、北の空だけは赤黒く曇ったままだ。魔獣の群れは一時退いたものの、森の奥でこちらを窺っている。束の間の静寂。しかし静寂は平和ではない。


 一つ目の鴉便はギュンターが走って持ってきた。息を切らせ、怒りで顔が赤い。


「ヴェーバー領からの食料搬送が止まった。街道の検問で全て差し押さえられた」


「差し押さえ——誰の命令ですか」


「商務大臣ノーヴァルの名で、『辺境方面への物資流通制限令』が出された。魔獣による街道の安全が確保できないとかいう名目だ。嘘っぱちだ。街道はうちの隊商が毎日通っている」


 カーティスだ。魔獣と戦っている間隙を突いて、補給線を断ちにきた。火事場泥棒。前世の経理部でも聞いたことがある言葉だ。しかしこれほど適切に使える場面は、二つの人生を通じて初めてだった。


 シュタイン領からの干し肉も同じ検問で止められていた。荷車ごと差し押さえられ、隊商の者たちは街道上で足止めを食らっている。クライン領は元々保留。三つの補給路が全て遮断された。


 帳簿を開いた。城壁内の備蓄を再計算する。食料——あと二日分。水は井戸があるから問題ない。医薬品——聖光草のエッセンスは残り二本。止血用の通常薬草は三日分。リリアーヌの聖光で魔獣を一時退かせたとはいえ、戦闘が再開すれば食料の消費速度は上がる。二日分が一日半に縮まる可能性もある。


 数字を見つめた。インクの染みが目に痛い。前世の会社で、月末の資金繰りが危なくなった時を思い出した。あの時は銀行に融資を頼めた。しかし今は——頼る先が全て塞がれている。


 扉が開いて、ヘルガが湯気の立つ椀を置いていった。干し肉の端切れと根菜を煮込んだだけの粗末なスープだ。しかし一口含むと、胃の底からじんわりと温かさが広がった。前世のオフィスで深夜残業中に飲んだインスタントの味噌汁を思い出す。あの頃も、温かいものが一杯あるだけで、もう少し戦えた。スプーンを置いて、帳簿に向き直る。数字は変わらない。しかし——指先の震えは止まっていた。


「合法的な措置なのですか」


「形式上は合法だ。戦時における物資流通の安全確保——商務大臣の権限の範囲内と言えなくもない。しかし——」


「つまり、正面からは覆せない」


 ギュンターが唇を噛んだ。


 もう一つの鴉便は、王都からだった。差出人の名前を見て、手が止まった。アルベルト・フォン・ヴァルトシュタイン。父だ。


 封を切った。父の字は相変わらず端正で冷たい。インクの色は深い黒。高品質の墨。感情を排した筆致。しかしその内容は——今までの形式的な書簡とは違っていた。初めて、具体的な提案が書かれていた。


「辺境の窮状は王都にも伝わっている。公爵家として救援を差し向ける用意がある。条件は一つ。辺境の領地管理権を公爵家に返還し、セラフィーナ自身が王都に帰京すること。公爵家の護衛兵五十名と食料三ヶ月分を辺境に送る。これ以上の議論は不要だ。速やかに返答せよ」


 机の上に手紙を置いた。静かに。しかし内心は——怒りで煮えたぎっていた。


 救援と引き換えに領地を差し出せ。帰ってこいと言っている。魔獣が千体押し寄せ、リリアーヌが血を吐いて倒れ、護衛隊員が四名命を落とした今この瞬間に——父は政治的取引を仕掛けてきた。


 しかし——冷静に考える。経営者の頭に切り替える。感情を帳簿の裏に押し込む。


 父の提案を即座に拒否するのは感情的には正しい。二千の領民のために帰京を拒否した自分が、今さら公爵家に頭を下げることはできない。しかし補給線が断たれた今、食料の確保が最優先だ。父の救援——実体が何であれ——を受け入れる選択肢も検討すべきなのか。


 いや。帰京すれば辺境は終わる。父が送る「後任の管理者」は、三ヶ月で逃げた前の代官と変わらないだろう。帳簿も薬草園も鍛冶場も、全てが止まる。それは——二千の領民の生活を壊すことと同義だ。


 エミルが入ってきた。まだ顔色が悪い。しかし眼鏡は新しいものに替えている。予備を持っていたらしい。学者の備えだ。


「カーティスの物資制限令と、お父上の最後通牒。同時に来ましたね」


「連携していると思いますか」


「直接の連携はないでしょう。しかし——同じ危機を見て同じ計算をした結果、同じタイミングで動いた。辺境が弱った時こそ利用できる。その判断だけは、二人とも正確です」


 エミルの分析は冷徹だった。しかし——冷徹さの中に怒りが滲んでいる。この学者も人間だ。辺境で命をかけて戦った仲間がいる場所を、外から食い物にしようとする者たちへの怒り。


「エミル殿。今は何を優先すべきですか」


「生き延びることです。政治は後で巻き返せる。しかし死んだら帳簿は書けない」


 その通りだ。生きている限り、帳簿は書ける。帳簿がある限り、戦える。


 父の手紙は保留にした。返事を書かない。沈黙も答えの一つだ。前世の取引交渉で学んだ——返事が遅い方が、立場が強い。相手が焦るまで待つ。ただし、待つ間に手を打つ。


 レオンハルトの援軍が来るまで、あと三日。三日持ちこたえれば——全てが変わる。


 ヨハンが報告に来た。


「教会の使節団ですが、城壁内の宿舎に閉じこもっています。外には出てきません。しかし——鴉便を飛ばしたのを見張りが確認しました」


「王都に報告を送ったのですね。リリアーヌの聖光の件を」


「おそらく」


 教会も動いている。リリアーヌの力の規模を報告し、本国からの指示を仰いでいるのだろう。枢機卿が次の手を打つ前に——こちらも手を打たなければ。


 ギュンターに指示を出した。


「正規の街道が使えないなら、非正規のルートを使いますわ。山岳ルートは——」


「使える。時間はかかるが、検問はない。馬は通れないから人力で担ぎ上げるしかないが——」


「それでいい。ヴェーバー領のカウフマン殿に直接鴉便を出してください。街道経由ではなく山岳ルートでの搬入を要請。報酬は通常の二倍で」


「二倍か。……まあ、命の値段としては安い」


「それと、ノーヴァルの物資制限令の文面を入手してください。合法的な措置だとしても、文面に瑕疵があれば異議申し立ての余地がある」


「帳簿で数字の誤りを探すのと同じか」


「そうですわ。法律も帳簿も——穴がない文書はありません」


 ギュンターが頷いて走っていった。戦場の泥を跳ね上げながら走る商人の姿は、滑稽なようでいて頼もしい。かつて商品を運んだ裏道が、今は食料の命綱になる。平時に築いた非公式のネットワークが、有事の切り札に変わる。カーティスは合法的に補給線を断った。なら——合法的に取り戻す。


 ナターリアが入ってきた。リリアーヌの看護を他の女性に交代したのだろう。しかし——手に手紙を持っていた。


「姉様。父の手紙を読みました。……机の上に置いてあったので、つい」


「構いませんわ。どう思いますか」


「父は——辺境を助けたいのではなく、姉様を取り戻したいのです。ただし……助けたくないわけでもない。父は——不器用なのです」


 ナターリアの目が揺れていた。父を完全に否定できない娘の目。セラフィーナにはその感情がわからない。前世に父親はいなかった。この世界の父は——愛し方がわからなくなった男。ブレンナーがそう言っていた。


「父上には、まだ返事を出しませんわ。レオンハルト殿下の援軍が来るまで時間を稼ぎます。その後で——父上の条件を全て不要にしてみせますわ」


 ナターリアが微笑んだ。小さく、しかし強い微笑みだった。


「姉様らしいです」


 妹の言葉が温かかった。前世では姉妹はいなかった。一人っ子で、一人で戦い、一人で死んだ。この世界では——妹がいる。妹が「姉様らしい」と言ってくれる。その言葉一つで、腹の底に力が戻る。


「ナターリア。リリアーヌの容態は」


「体温が少しずつ戻ってきています。意識はまだ戻りませんが——オルガ殿が聖光草のエッセンスを薄めて飲ませてくれました。効果があるようです」


「ありがたいですわ」


 リリアーヌが目を覚ます前に——この戦いを終わらせたい。あの子に二度と血を吐かせないために。


 窓の外を見た。城壁の向こうで、赤黒い光が微かに脈動している。リリアーヌの聖光の効果が薄れてきたのだ。北の森の焦げた跡から、再び黒い影が動き始めている。地下からの地核種も、坑道から新たに這い出し始めている。


 ルキウスが城壁の上で剣を構えている姿が見えた。疲労の色は隠せない。しかし——構えは崩していない。この男が城壁の上に立っている限り、辺境は落ちない。


 魔獣。カーティス。父。教会。四つの敵が同時に辺境を締め付けている。前世の会社では「多方面からのプレッシャー」と呼んでいた。上司の無理な要求、取引先のクレーム、部下の退職、システム障害——全てが同時に来る月末があった。あの時も生き延びた。


 しかし——四つの問題を一度に解く必要はない。前世の四半期決算で学んだ。問題は優先順位をつけて、一つずつ潰す。重要度と緊急度で分類する。


 今の最優先は——地下の魔核だ。魔獣の源を断たなければ、いくら城壁を守っても終わらない。城壁の修繕、食料の確保、負傷者の治療——全てが対症療法にすぎない。根本原因を断つ。それが経営者の仕事だ。


 帳簿を閉じた。表紙に戦場の泥がついている。血の跡もある。次に開く時には——魔核の対処法が書かれているはずだ。


 北の空が微かに脈動した。魔核が呼んでいる。地下から。千の魔獣を生んだ心臓が、まだ鼓動を続けている。

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