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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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第一防衛線の激闘

 報告は城壁の上で受けた。伝令のフランツが——八歳の少年が——息を切らして駆け上がってきた。頬に泥がついている。走りすぎて膝が擦り剝けていた。


「ルキウス隊長から伝言です。第一防衛線、放棄。第二に後退します」


 声は震えていなかった。子供の声が、戦場の言葉を伝えている。その不釣り合いさが胸を裂いた。


「わかりましたわ。フランツ、よく走りましたわね。水を飲んで、次の伝令に備えてください」


 フランツが頷いて走っていった。小さな背中が城壁の階段を駆け下りていく。あの子の名前を帳簿に書いた。伝令役。八歳。擦り傷。——この記録を、もう増やしたくない。


 城壁から北を見た。夜明けの薄明かりが赤黒い空と混じり、この世のものとは思えない色彩を生んでいる。第一防衛線があった場所に、松明の光はもうない。代わりに、赤黒い魔力の光が森の端から溢れ出している。木杭の防壁は踏み潰され、ルキウスが配置した三十名の前哨部隊は丘陵の第二防衛線まで退いている。撤退は秩序立っていた。ルキウスの指揮が乱れていない証拠だ。


 しかし——負傷者が運ばれてきている。城壁の南側に設けた野戦医療所に、次々と担架が到着する。オルガの弟子たちが止血に追われ、聖光草のエッセンスが消費されていく。


 エミルも第二防衛線にいる。攻撃魔術で援護しているはずだ。城壁からは蒼い閃光が断続的に見えた。一発。二発。三発。その間隔がだんだん長くなっている。エミルの魔力にも限界がある。


 戦場の全体像を把握しようとした。前世の業務報告書と同じだ。現状。課題。対策。資源の残量。時間の制約。全てを数字に変換し、判断の材料にする。しかし——業務報告書では人は死なない。ここでは数字の一つ一つが、人の命だ。





 補給拠点に戻った。


 領主館の前庭に設けた臨時の物資集積所。矢の束、水桶、包帯の山。ヨハンが走り回り、物資の出し入れを管理している。


「前線からの要請です。矢が不足しています。第二防衛線に百本、至急」


「了解。第二防衛線への補給路は丘の西斜面。ヴィルヘルム殿の搬送班に託してください」


 帳簿を広げた。矢の在庫。消費速度。残量の推移。四時間の戦闘で矢を三百本消費。マルクスの鍛冶場は一時間に五十本の矢じりを生産。差し引き——一時間あたり五十本の赤字。このまま続けば六時間後に矢が尽きる。


 計算が冷徹な答えを突きつけてくる。前世の原価計算と同じだ。数字は感情を持たない。ただ事実を示す。そして今、事実は「このままでは持たない」と言っている。


 別の解がないか探した。石を投げる。熱湯を城壁から注ぐ。倒木でバリケードを追加する。矢以外の攻撃手段を帳簿の余白に書き殴った。使えるものは全て使う。経費削減の極意は「捨てるものの中に宝を見つける」こと——前世の上司の言葉が蘇る。


 負傷兵が運ばれてきた。一人は左腕に深い裂傷。一人は肋骨を折っている。昨日、広場で名前を呼んだ顔だ。二十代の青年——ハインツ。搬送班に志願した農夫の息子。


「セラフィーナ……様。すみません、役に立てなくて」


「十分ですわ。今は休んでください」


 名前を呼べる。顔を知っている。だからこそ——一人一人の負傷が、帳簿の数字ではなく、鋭い痛みとして胸に突き刺さる。前世では数字だけを見ていた。リストラの人数。人件費削減の額。顔を知らなければ、数字は数字のままでいられる。


 顔を知っている。だから痛い。しかし——顔を知っているからこそ、守りたい。この矛盾が、今の自分を動かしている。


 グレーテルが炊き出しの鍋を運んできた。湯気を立てる穀物粥が、負傷者に配られていく。


「あたしにできるのはこれだけだけどね。腹が減っちゃ戦えないだろう」


 グレーテルの声は明るかった。戦場の中で、鍋を振る女の声だけが日常を保っている。その日常の音が——兵士たちの顔に僅かな安堵を灯す。食事がある。後方が機能している。自分たちは見捨てられていない。


 兵站とはそういうことだ。物資を届けるだけではない。「ここにいる全員がお前のことを忘れていない」というメッセージを、物資に乗せて届ける。前世の経理部では理解できなかった概念。しかし今は——命がかかっているからこそ、その本質がわかる。





 第二防衛線から新たな報告が届いた。


「エミル殿の魔術が効かない個体が出現。体表に暗紫色の結晶が露出した大型の魔獣。三体確認」


 魔力結晶体。先遣隊から取り出した人工結晶を体内に持つだけでなく、体表にまで結晶が成長した個体だ。牛ほどの体躯を暗紫色の結晶が鎧のように覆い、その隙間から赤い目が光っている。エミルの蒼い攻撃魔術が結晶に弾かれ、火花を散らして四散する。普通の魔獣なら魔術一撃で倒せるが、結晶体は三撃四撃を受けてもなお前進してくる。ヘルムガルド鋼の剣ですら、結晶の甲殻を貫くには関節の隙間を狙うしかない。


 マルクスの鍛冶場から届いた報告によれば、戦場から回収した結晶体の破片は鋼より硬い。人が作ったものなら——相当な技術と意志を持った何者かが、この魔獣を設計している。


 リリアーヌが領主館の階段を駆け下りてきた。額の聖女の紋章が光っている。


「セラフィーナ様、私が行けば——」


「駄目ですわ」


 即座に止めた。声が硬くなった。自分でもわかるほど冷たい声だった。


 リリアーヌの目が見開かれた。拒絶されたことへの驚き。しかしセラフィーナは——母のノートに書かれていたことを知っている。聖女の力は生命力を燃料にしている。歴代七名のうち六名が三十歳前に死亡。この少女にあの力を使わせることは、命を削らせることと同義だ。


「あなたの力は最後の切り札です。今使えば——取り返しがつかないことになる」


「でも、人が死んでいます。私には感じ取れるんです。あの人たちの——痛みも、恐怖も」


 感情読み取りの力。リリアーヌは戦場の全員の苦しみを感じ取っている。それは——想像を絶する苦痛だ。自分一人の恐怖でさえ耐えがたいのに、数百人の恐怖と痛みを同時に感じている。


「知っています。帳簿に名前を書いていますから」


 声が震えた。冷徹なふりをしている。帳簿で戦場を管理する領主の顔を装っている。しかし本当は——目の前で人が傷つくのを、帳簿を握りしめて見ているだけの自分が、一番怖い。剣が握れたなら。魔術が使えたなら。何もできない自分への苛立ちが、喉の奥で燃えている。


 リリアーヌは唇を噛んだ。拳が白くなるほど握りしめている。しかし——今は従った。セラフィーナの目の中に、単なる命令ではない何かを読み取ったのだろう。感情読み取りの力が、セラフィーナの心の奥の恐怖を——あの力を使った後のリリアーヌの姿への恐怖を、感じ取ったのかもしれない。


「……わかりました。でも——次に誰かが死にかけたら、もう止められないと思います」


 リリアーヌの声は静かだった。子供の声ではなかった。覚悟した人間の声だった。その声を聞いて、胸が締めつけられた。この少女に、こんな声を出させてはいけない。しかし——戦場は選ばせてくれない。





 第二防衛線の戦闘は六時間目に入った。


 丘陵の地形がルキウスの計算通りに機能していた。弓兵が高所から射掛け、魔獣が斜面を登る間に可能な限り数を削る。ルキウス自身がヘルムガルド鋼の剣を振るい、丘の頂上で突破を試みる大型個体を斬り伏せている。ラウルからの最新報告では、結晶体の関節を狙う戦法が兵士たちに共有され、撃破率が上がっているという。


 しかし——矢が尽きかけていた。


 マルクスの鍛冶場からの供給は続いているが、消費に追いつかない。前世の在庫管理で学んだ法則——「需要が供給を上回った時点で、システムは崩壊に向かう」。そしてその時点は、あと二時間で来る。


 そして——角笛が鳴った。


 西からだ。第二防衛線でも北門でもない方角。


「西の山道から別働隊接近。推定三十体以上。先頭集団は山道の入口に到達」


 ラウルからの急報だった。十名で守る山道に、三十体。三倍の数。しかもルキウスは第二防衛線に釘付けで援軍を回せない。ラウルの声に焦りはなかった。しかし報告の簡潔さが——余裕のなさを物語っている。


 城壁の上で、風が頬を叩いた。冷たい風ではない。魔獣の群れが放つ熱を含んだ生温かい風だ。北から獣の匂い。西から土煙の匂い。東は——まだ静かだ。しかしいつ東からも来るかわからない。北の赤黒い空は、夜明けを迎えても消えなかった。太陽の光を侵食するように、魔力の光が空を支配している。


 三方向からの圧力。崩壊の足音が近づいている。


 帳簿を握りしめた。インクで汚れた指が震えている。しかし——頭は動いている。計算し続けている。矢の残量。食料の備蓄。負傷者の増加率。援軍の到着予定——レオンハルトの鴉便では五日。まだ四日以上ある。


 四日。ルキウスが三日持つと言った。すでに一日が過ぎようとしている。残り二日。そこから二日の空白。その二日間を——何で埋める。


 答えはまだない。しかし考え続ける。計算し続ける。数字が命を繋ぐ限り、この帳簿を閉じるわけにはいかない。それが自分にできる唯一の戦い方だ。

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