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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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ゲームのシナリオが動き出す

 帳簿ではない。今日向き合うのは——ゲームの記憶だ。


 前世の佐藤凛がプレイした乙女ゲーム。タイトルは『聖光の円舞曲』。攻略対象五人。ヒロインはリリアーヌ。悪役令嬢はセラフィーナ。エンディングは——ルートによって異なるが、全てのルートに共通するイベントがある。


 聖女覚醒。教会介入。悪役令嬢の断罪。


 便箋に、ゲームのイベント順序を書き出した。


 一、聖女覚醒(リリアーヌの力が開花する)——済み


 二、教会が聖女を「保護」する名目で派遣を決定——進行中


 三、悪役令嬢が聖女を「虐げた」罪で告発される——未発生


 四、教会裁判——未発生


 五、処刑(断頭台)——未発生


 三番目が鍵だ。ゲームでは、セラフィーナがリリアーヌを虐げていた。嫉妬から聖女をいじめ、レオンハルトの愛を奪おうとした。それが教会裁判の告発理由になった。


 しかし——この世界では、セラフィーナはリリアーヌを虐げていない。守っている。教育し、商売の才能を伸ばし、暴走から体を張って助けた。リリアーヌ自身が「セラフィーナ様のそばにいたい」と言っている。


 ゲームの告発理由は——成立しないはずだ。


 しかしヴェルナーの報告書が頭をよぎった。「禁忌の研究を行っている可能性あり」。教会は、虐待の代わりに「禁忌の研究」を告発理由にするつもりだ。ゲームのシナリオとは形が違うが——構造は同じだ。「悪役令嬢を排除する」という結末に向かって、教会が新しい理由を作り出している。


 川の流れが岩を避けてもまた元の方向に戻る——エミルの比喩が正確だった。


 形を変えて、同じ結末に至る。


 便箋の上に、もう一つの図を描いた。ゲームのシナリオと、現実の進行状況を並べる。


 ゲーム: 悪役令嬢が聖女を虐げる → 教会が介入 → 断罪


 現実:  悪役令嬢が聖女を守る  → 教会が介入 → ?


 結末が空白だ。ゲームでは処刑だった。しかしこの世界では——まだ決まっていない。空白を埋めるのは、自分だ。


 しかし「善意」が告発理由になるという構造は——前世と同じだ。ゲームでは「悪意」で処刑された。この世界では——「善意」で同じ結末に至る可能性がある。リリアーヌを守ろうとした行為が、教会への反抗として断罪される。


 笑いたいほど皮肉だ。前世では、残業が美徳とされる会社で過労死した。善意で仕事を引き受け、善意で残業し、善意で体を壊した。今世でも同じだ。善意で聖女を守り、善意で母の研究を引き継ぎ、善意で——処刑される。


 どちらの人生も、善意が殺す。構造が個人を殺す。個人の意志がどうであれ——構造が変わらなければ、結末は変わらない。


 だからこそ——構造を壊さなければならない。エミルが言った通り。物語の幹を、根元から折る。


 夕方、ヨハンが茶を持ってきた。セラフィーナの顔色を見て、少し眉を寄せた。


「お嬢様。顔色が優れません。何かございましたか」


「いいえ。ただ——少し考え事をしていました」


「帳簿ではなさそうですね。帳簿の時は、もう少し生き生きした顔をされていますから」


「帳簿の時は生き生きしているの?」


「ええ。数字と向き合っている時のお嬢様は——失礼ですが、少し怖いくらいに集中されています。しかし今日は——迷っていらっしゃるように見えます」


 図星だった。ヨハンは——セラフィーナの表情の微差を、誰よりも正確に読む男だ。


「……ヨハン。少しだけ、弱音を吐いてもいいですか」


「どうぞ。この部屋には、私しかおりません」


 セラフィーナは茶碗を両手で包んだ。温かい。ヨハンが淹れる茶は、いつも適温だ。


「前世で——いえ。以前の私は、仕事を頑張りすぎて死にました。頑張れば認められると思っていたけれど、誰にも認められないまま、一人で倒れた。それで今度は——やり方を変えたはずなのに。仲間を作って、帳簿を武器にして、賢く生きているはずなのに。結局——同じ場所に辿り着いている気がする」


 ヨハンは黙って聞いていた。「前世」という言葉の意味は分からないだろう。しかしヨハンは——言葉の意味ではなく、声の震えを聞いている。


「労働環境が悪すぎるんです。前の職場も今の世界も。真面目に働いた人間が報われない構造になっている。おかしいでしょう? 善意で人を守ったら処刑されるなんて」


 声が震えた。涙ではない。怒りだ。理不尽への怒り。前世でも今世でも——構造が個人を殺す。


 ヨハンが静かに言った。


「お嬢様。言葉の全てを理解できたとは申しません。しかし——一つだけ、確かなことがあります」


「何ですか」


「前の……その、以前のお嬢様は一人だったのかもしれません。しかし今は違います。僕はどこにも行きません。どんなことがあっても——お嬢様のそばにいます」


 ヨハンの声は穏やかだった。大仰な誓いではない。従者としての、静かな宣言だ。しかしその言葉の重さは——レオンハルトの「余が許さない」やエミルの「物語を書き換えましょう」に匹敵する。いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。レオンハルトは王太子としての力がある。エミルは学者としての知識がある。しかしヨハンには何もない。権力も知識もない一介の従者が、ただ「そばにいる」と言っている。それが——最も重い言葉だ。


 この男は最初からそばにいた。婚約破棄の日も。辺境への馬車旅も。帳簿の夜更かしも。全てを見ていた。全てを支えていた。目立たず、静かに。


 セラフィーナは思った。前世の佐藤凛にも、こういう人がいたら——死なずに済んだかもしれない。何もできなくても、ただそばにいてくれる人がいたら。


「……ありがとう、ヨハン」


 声が震えたが、笑えた。泣き笑いのような、不格好な笑みだった。ヨハンが微かに微笑んだ。この従者が微笑むのは珍しい。


 その夜、なかなか寝つけなかった。ベッドの中で天井を見つめた。辺境の天井。木の梁が走っている。この天井にも慣れた。前世の蛍光灯の白い天井とも、王都の豪奢な天井とも違う。質素で、温かみがある天井だ。


 ここを守りたい。この天井の下にある暮らしを。この辺境の人々の笑顔を。リリアーヌの蜂蜜菓子を。マルクスの鉄を打つ音を。オルガの子守唄を。ヨハンの適温の茶を。


 翌朝、エミルが研究室にセラフィーナを呼んだ。目が輝いている。何かを閃いた時の顔だ。


「面白いことに気づきました」


「何ですか」


「ゲーム——いえ、物語のシナリオでは、聖女覚醒の後に起きるのは『悪役令嬢の断罪』です。つまり教会は、聖女を保護した後に悪役令嬢を排除する。この順番が重要です」


「順番?」


「教会が悪役令嬢を断罪するためには、聖女が『被害者』である必要がある。聖女が悪役令嬢に虐げられていた——という構図がなければ、断罪は成立しない」


「しかし私はリリアーヌさんを虐げていません」


「だから教会は新しい告発理由を探しているのです。しかし——逆に考えてください。もし断罪される前に、悪役令嬢が聖女を救ったことが公に証明されたら? 悪役令嬢が聖女の恩人であることが誰の目にも明らかだったら——教会は断罪の根拠を失う」


 エミルが紙に図を描いた。ゲームのシナリオの横に、新しいシナリオを書き加えていく。


「物語の書き換え策です。教会が聖女を保護する前に——セラフィーナが聖女の力の制御に成功する。そして辺境がリリアーヌさんにとって最も安全な場所であることを、第三者が証明する。近隣領主、王立学院、そしてレオンハルト殿下の証言があれば——教会は『聖女を虐げた悪役令嬢』ではなく『聖女を救った恩人』を断罪する立場に追い込まれる。世論が許さない」


 悪役令嬢が聖女を救う。ゲームのどのルートにもない展開だ。しかし——この世界では、既にそうなっている。セラフィーナはリリアーヌを守ってきた。その事実を公にするだけでいい。


「問題は時間です。教会の調査団が来る前に、全ての準備を整えなければならない。制御訓練の成功実績。近隣領主の証言。レオンハルト殿下の政治的支援。全てが揃って初めて——物語の書き換えが完成する」


「一つでも欠けたら」


「欠けたら——ゲームのシナリオが優勢になる。構造の引力に負ける」


 エミルの声に珍しく焦りが混じっていた。学者の冷静さの下に——仲間を守りたいという感情がある。この男も変わった。辺境に来た頃は、全てを学術的な距離で見ていた。しかし今は——当事者だ。共犯者であると同時に、仲間だ。


「時間はどれくらい」


「わかりません。しかし——急ぎましょう。あなたが築いたものは、帳簿の黒字だけではない。この辺境の全てが、あなたの実績です。それを武器にしましょう」


 帳簿の黒字だけではない。その言葉が、セラフィーナの胸に響いた。帳簿は得意だ。数字は嘘をつかないから。しかし今必要なのは——数字では計れないものを証明することだ。信頼。絆。善意。それらを証拠として、教会の前に突きつける。


 経理の仕事ではない。しかし——経理の仕事にも、数字の裏にある真実を読み取る力が必要だ。帳簿の行間を読むように、この世界の物語の行間を読む。


「急ぎましょう、エミル殿。物語の書き換えを——始めます」


 物語の書き換えが——始まる。

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