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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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王太子の手紙

 一度目は丁寧すぎた。公爵家の令嬢として、礼節を尽くした文面。しかし読み返すと、嘘の匂いがした。自分はもう公爵家の令嬢ではない。辺境の領主代行だ。


 二度目は率直すぎた。教会の脅威を列挙し、協力を要請する文面。しかしこれでは——弱みを見せることになる。父はそれを利用する。交渉材料にする。「帰京すればナターリアを解放する」という取引を、再び持ちかけてくるだろう。


 三度目に書いたのは——事実だけを記した文面だった。聖光教会の動向。教会が辺境を三十年間監視していた事実。公爵家のナターリアが辺境に滞在している状況。そして一文だけ——「公爵家の名において、教会との交渉窓口を開いていただきたい」。


 助けてくれとは書かなかった。協力してくれとも書かなかった。交渉窓口を開け、とだけ。ビジネスライクな依頼だ。前世の佐藤凛が上司に送ったメールと同じトーンだ。感情を排除し、事実と要請だけを並べる。


 ナターリアの手紙は、もっと率直だった。下書きを見せてもらったが、飾りのない言葉で綴られていた。「父上。私は辺境にいます。自分の意志で来ました。ここに大切な人がいます。その人を守るために、父上のお力が必要です」。


 ナターリアの文章には嘘がない。自分の手紙がいかに防御的で計算的であるか、妹の手紙と並べるとよく分かった。


 二通の手紙を封し、ギュンターに託した。フェルディナント経由で王都の公爵邸に届く。早ければ四日、遅くとも一週間で届くだろう。


 手紙を出した後、執務室で一人になった。窓から差し込む春の日差しが暖かい。ここ数日の緊張が少しだけ緩んだ。手紙を出したことで、できることは全てやったという安堵がある。しかし同時に——父の反応が読めないという不安がある。


 ヨハンが茶を持ってきた。セラフィーナの表情を見て、何かを察したようだったが、何も聞かなかった。代わりに帳簿の整理をしながら、穏やかに報告した。


「リリアーヌさんは、今朝からエミル殿と制御訓練を始めています。薬草園ではなく、領主館の地下室で。聖光草を少量だけ持ち込んで、安全な環境で練習しているそうです」


「怪我はありませんか」


「ございません。オルガ殿が付き添っています。ルキウス殿も、念のため扉の外で待機していると」


 ルキウスが待機している。あの男は——リリアーヌを守ると決めたのだ。言葉にはしないが、火傷を負ってでも光の中に飛び込んだあの行動が、全てを物語っている。


「ナターリアさんは」


「帳簿の勉強をしています。今朝、私の元に来て『ヨハンさん、姉上の帳簿の付け方を教えてください』と。筋がよろしいですね。飲み込みの速さは——セラフィーナ様に似ていらっしゃいます」


 ヨハンが微かに笑った。この男がこういう比較をするのは珍しい。ナターリアのことを気に入ったのだろう。ヨハンは人を見る目がある。飲み込みの速さだけでなく、ナターリアの本質——率直さと勇気を見抜いているのかもしれない。


「ありがとう、ヨハン。皆がそれぞれの持ち場で動いてくれている。私が全てを抱え込まなくても——回っているのですね」


「はい。それがチームというものかと存じます」


 チーム。前世の佐藤凛が持てなかったもの。一人で残業し、一人で倒れた前世とは違う。ここには——チームがある。


 午後、ヨハンが一通の手紙を持ってきた。


「セラフィーナ様。レオンハルト殿下からの書状です」


 手が伸びた。自分でも意外なほど素早く受け取っていた。赤い封蝋にレオンハルト家の紋章。開封する。中には二枚の紙が入っていた。


 一枚目は公式の報告書だ。


「王都の状況は依然として不安定である。カーティス・ノーヴァルの失脚後、ノーヴァル商会は商務大臣ハインリヒ・ノーヴァルの指揮下で再編を図っている。議会への影響力は低下したが、教会との繋がりは健在である。聖光教会が『辺境の異端調査』を議会に提案する動きがある。余は水面下で阻止に動いているが、大司教クレメンスの影響力は大きく、予断を許さない。フリッツに百五十年前の王権と教権の衝突に関する文献調査を指示した。追って報告する」


 レオンハルトらしい文体だ。簡潔で、無駄がない。しかし行間に緊張感がある。「予断を許さない」という言葉は、レオンハルトが苦戦していることを意味する。王太子でさえ教会の影響力には簡単に対抗できない。


 二枚目を開いた。


 公式の便箋ではなかった。薄い紙に、少し乱れた字で書かれている。個人的な手紙だ。


『セラフィーナ。


 報告書には書けないことを、ここに記す。


 教会の動きは、余が想定していたよりも速い。大司教クレメンスは枢機卿に直接面会を求めた。議題は辺境の聖女候補の確認。枢機卿は面会を受け入れた。これは——教会が本気であることを意味する。


 余はそなたの判断を信じる。しかし——一人で全てを背負うな。そなたは、他人に頼ることを罪だと思っている節がある。罪ではない。頼ることは、信頼の証だ。


 余も——そなたに頼られたい。そう思っている。不器用な言い方しかできないが。


 王都の桜が咲いた。去年の今頃、余はそなたと丘の上に立っていた。あの日の風を覚えている。そなたの髪が風に揺れていた。あの時余が何を考えていたか——今なら書ける。しかし手紙では野暮だ。次に会った時に伝える。


 追伸。リリアーヌ殿によろしく伝えてくれ。あの子の蜂蜜菓子は旨かった』


 手紙を置いた。顔が熱い。レオンハルトの手紙にはいつも——不意打ちが混じっている。公式報告の後ろに、こういう個人的な言葉を忍ばせてくる。


 「頼ることは、信頼の証だ」。


 父への手紙では書けなかった言葉だ。父には「交渉窓口を開け」としか書けなかった。しかしレオンハルトには——「共に戦ってほしい」と書ける。この違いは何だ。信頼の差だ。父は利用する人間。レオンハルトは——共に戦う人間。


 しかし——と、セラフィーナは考える。父もかつては、母を愛した人間だった。ブレンナーが言った。「愛し方がわからなくなった」と。父が利用する人間になったのは——いつからだろう。母を亡くした時か。それとも——もっと前からか。ヘルガが語った母の手紙「私は間違っていない。しかし許してほしい」。母も父に、何かを許してほしかったのだ。何を許してほしかったのか——今となっては知る術がない。


 返事を書くことにした。レオンハルトへの返書。便箋を広げ、ペンを取る。今度は——迷わなかった。


『レオンハルト。


 報告、感謝します。教会の動きについて、こちらでも情報を掴んでいます。帳簿の分析から、教会が三十年間にわたり辺境を監視していたことが判明しました。詳細は別紙に記します。


 百五十年前の先例について、フリッツ殿の調査結果を待っています。もしその先例が使えるなら——王権と教権の均衡を利用して、教会裁判を阻止できる可能性があります。エミル殿の分析です。


 一人で背負うなという言葉——受け止めました。私は確かに、他人に頼ることが苦手です。前世でも——いえ、以前からそうでした。しかしあなたの言葉で、少しだけ変われた気がします。


 共に戦ってほしい。


 一言だけ——助けを求めるのではなく、対等に。あなたと私は、同じ戦場に立っています。王都と辺境、場所は離れていても。


 追伸。蜂蜜菓子の件、リリアーヌさんに伝えたら喜ぶでしょう。次にいらした時には、新作を用意させます。


 追追伸。丘の上のこと、覚えています。髪が乱れて恥ずかしかったのですが——あの日の風は、確かに気持ちよかったです』


 書き終えて、読み返した。最後の一文を消そうか迷った。消さなかった。レオンハルトが「手紙では野暮だ」と書いた以上、こちらも少しだけ——野暮なことを書いてもいい。


 封をした。エミルの分析資料を添えて、鴉便でレオンハルトに送る。ヨハンに封書を渡す時、ヨハンの表情が一瞬だけ柔らかくなった。この従者は——セラフィーナとレオンハルトの関係を、最初から見守ってきた人間だ。何も言わないが、全てを見ている。


「ヨハン」


「はい」


「この手紙は——急いで届けてください」


「承知いたしました。鴉便で最速の経路を手配いたします」


 手紙を送った後、中庭に出た。午後の日差しが暖かい。辺境の空は青い。王都の桜は見えないが——薬草園の聖光草が、春の日差しの中で金色に輝いている。王都の桜と辺境の聖光草。どちらも春を告げる花だ。


 リリアーヌが地下室から戻ってきた。少し疲れた顔をしているが、表情は昨日より明るい。


「セラフィーナ様。今日の訓練で——少しだけ、力の流れを感じることができました」


「そうですか。無理はしないでくださいね」


「はい。エミルさんが、聖光草を手のひらに載せて、ゆっくり力を流す練習をしました。暴走みたいにはならなくて——水を細い管に通すような感覚でした」


 水を細い管に通す。母の仮説——聖光草を緩衝材として使う——が、少しずつ形になり始めている。


「オルガさんが、フリードリヒさんもこういう実験が好きだったって言っていました。『仮説を確かめる瞬間が一番楽しい』って。私も——少しだけ、その気持ちがわかります」


 リリアーヌが微笑んだ。恐怖の中にも、好奇心が芽生えている。この子は——壊れない。自分の力に怯えながらも、向き合おうとしている。


 しかし——同じ頃、王都では別の手紙が動いていた。教会の大司教クレメンスが、枢機卿に提出した報告書。「北方辺境ヘルムガルドにおける聖女候補を確認。魔力放出の規模から判断して、真聖女の可能性が極めて高い。速やかに確保すべし」。


 枢機卿は報告書を読み終えると、静かに印を押した。教会騎士団の派遣命令書に。


 嵐の前の静けさが——終わろうとしている。

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