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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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ゲームの構造——エミルの仮説

 ヨハンには「聖光草の被害報告の取りまとめ」と伝えてある。嘘ではない。嘘ではないが——本題は別にある。


 研究室に入ると、壁に新しい図表が貼られていた。昨夜のうちに描いたのだろう。エミルの目の下に隈がある。徹夜だ。この男は危機になると眠らなくなる。学者の業だ。


「お茶もなしで呼び出して申し訳ありません。急を要する話なので」


「構いません。何がわかりましたか」


 エミルが壁の図表を指した。横軸に日付、縦軸に魔力濃度。折れ線グラフが右肩上がりに伸びている。しかし昨日の暴走の地点で、線が垂直に跳ね上がっていた。


「昨日の暴走で放出された魔力量を推計しました。通常の聖女覚醒の記録と比較すると——百年前の聖女の初期覚醒時の、約三倍です」


「三倍。多すぎませんか」


「多すぎます。通常の覚醒はもっと緩やかに進む。リリアーヌさんの場合は——聖光草との共鳴が増幅器になっている。この辺境に聖光草が大量に自生していることが、覚醒を加速させている」


 皮肉だ。母が研究し、オルガとフリードリヒが育てた聖光草が——リリアーヌの覚醒を加速させている。盾になるはずのものが、火種にもなっている。


「そしてこの暴走は——確実に教会に察知されています」


「ギュンター殿も同じことを言っていました」


「ギュンター殿の情報とは別に、僕にも確信があります」


 エミルが別の紙を取り出した。教会の組織図だ。手書きだが、詳細に描かれている。


「教会には『聖光網』と呼ばれる魔力感知システムがあります。王都の大聖堂を中心に、各地の教会が中継点になって魔力の異常を監視している。通常の魔力変動は無視されますが、聖女級の放出は最優先で報告される。昨日の暴走は——聖光網の閾値を大幅に超えている」


「つまり教会は、リリアーヌさんの位置と力の規模を、正確に把握している」


「はい。もはや隠せません」


 隠せない。その四文字が、部屋の温度を下げた。


「セラフィーナさん。ここからが本題です」


 エミルの声が変わった。学者の声から、共犯者の声へ。あの夜と同じ変化だ。


「あなたが以前話してくれた『物語の構造』——悪役令嬢が処刑される筋書きについて、僕なりに分析を進めました」


 壁の図表の隣に、もう一枚の紙が貼られている。物語の構造図だ。あの夜、エミルが描き始めたもの。分岐点と結末が線で結ばれている。しかし前回より遥かに精緻になっていた。


「あなたが教えてくれた骨格を元に、現実の事象と照合しました。結果——物語の分岐点は六つ。そのうち四つは、既にあなたが書き換えに成功しています」


「四つ?」


「一つ目、婚約破棄。本来は王太子の側から行われるはずだったものを、あなたが先手を打った。二つ目、辺境追放。本来は罰であるはずのものを、あなたが戦略的撤退に変えた。三つ目、攻略対象との関係。本来は敵対するはずの人物たちが、あなたの味方になっている。四つ目、聖女との関係。本来は対立するはずの聖女が、あなたを慕っている」


 指折り数えながら、エミルが言った。冷静な分析だ。しかしその声の底に、感嘆が混じっている。


「四つの分岐を書き換えたにもかかわらず——物語はまだ、元の結末に向かって軌道修正しようとしている。まるで川の流れが岩を避けてもまた元の方向に戻るように。それが五つ目の分岐です」


「五つ目は?」


「聖女覚醒。昨日の暴走が、それに当たります。ゲーム——いえ、物語の構造上、聖女の覚醒は教会の介入を引き起こし、教会の介入は悪役令嬢の断罪に繋がる。あなたがどれだけ分岐を書き換えても、物語の幹が残っている限り、新しい枝は同じ方向に伸びる」


 物語の幹。エミルの比喩は正確だった。ゲームのメインストーリーは、プレイヤーがどのルートを選んでも最終的に同じクライマックスに収束する。悪役令嬢の断罪は——メインストーリーの一部なのだ。


「では六つ目は」


「教会裁判です。物語の構造上、最後の分岐は教会の法廷で行われる。聖女の証言によって悪役令嬢が有罪か無罪かが決まる。ここが——唯一まだ触れていない分岐であり、最も重要な分岐です」


 教会裁判。ゲームでは、聖女がセラフィーナの「悪行」を証言し、教会が有罪判決を下し、断頭台に送られる。それが処刑エンドだ。


「この分岐を書き換える方法は——」


「三つ考えられます」


 エミルが指を三本立てた。


「一つ目。裁判そのものを開かせない。教会に裁判を起こす理由を与えない。しかし昨日の暴走で——この選択肢は消えました。教会は既に理由を手にしている」


 一本目の指が折れた。


「二つ目。裁判の場で無罪を勝ち取る。聖女の証言を覆すか、教会法の抜け穴を見つけるか、政治的な圧力で判決を変える。これは困難ですが、不可能ではない。ただし——物語の構造上、聖女の証言は有罪に導くように設計されている。構造を温存したまま結果だけ変えようとするのは、川の流れに逆らって泳ぐようなものです」


 二本目の指。折れてはいないが、弱い。


「三つ目は」


「裁判の構造そのものを破壊する。教会の裁判権を否定するか、裁判の前提を崩すか——つまり、物語の舞台装置ごと壊す」


 エミルの目が光った。学者が仮説を語る時の、あの光だ。


「僕が提案したいのは三つ目です。辺境条例はその布石として起草しました。しかしそれだけでは足りない。教会法と王国法の管轄権の衝突を利用する必要がある」


「具体的には」


「レオンハルト殿下に、王権として教会裁判を拒否する宣言を出してもらう。王族の勅令は教会法に優先する——という先例が、百五十年前に一件だけある。フリッツ殿に調べてもらっている文献がそれです」


 百五十年前の先例。薄い根拠だ。しかしエミルは確信を持っている。この男が確信を持つ時は、既に裏付けを取っている時だ。


「ただし——」


 エミルが声を落とした。


「この戦略が成功するには、前提条件があります。レオンハルト殿下が、あなたのために王権と教権の対立を選ぶ覚悟があること。そしてリリアーヌさんが——教会の側ではなく、あなたの側に立つことを、自分の意志で選ぶこと」


 レオンハルトの覚悟。リリアーヌの意志。どちらも、他人の選択だ。セラフィーナが制御できるものではない。帳簿の数字と違って、人の心は計算できない。


 セラフィーナは黙った。前世の佐藤凛は、上司に言われたことを完璧にこなせば評価されると信じていた。一人で数字を積み上げ、一人で残業し、一人で倒れた。制御できるのは自分だけ。他人は変数であり、リスクだった。


 しかしこの世界では——制御できない変数こそが、物語を書き換える力を持っている。レオンハルトが「余が許さない」と言ったのは、セラフィーナの計算の外にあった。リリアーヌが「ここにいたい」と言ったのも、ゲームのシナリオにはなかった。計算外の変数が、計算通りの破滅を回避してきた。


「……他人の意志に賭ける戦略は、経理としては不合格ですわ」


「ええ。しかし物語を書き換えるのは——一人ではできません」


 エミルが微笑んだ。あの夜と同じ笑みだった。


「構造を壊すのは、僕の仕事です。しかし壊した後に何を建てるかは——あなたと、あなたの周りの人たちが決めることです」


 窓の外で、薬草園の聖光草が揺れていた。昨日の暴走で異常に成長した株が、まだ金色の光を放ち続けている。


 ゲームのシナリオは加速している。しかし——ゲームにはなかった変数がある。エミルの分析力。ルキウスの剣。ギュンターの情報網。ヘルガの記憶。オルガの薬草。ナターリアの外交的直感。そしてリリアーヌの、「ここにいたい」という意志。


 物語の登場人物が——物語の役割を拒否し始めている。


「エミル殿。一つだけ確認させてください」


「何ですか」


「あなたは——なぜ、ここまでしてくれるのですか。学者としての興味だけでは、説明がつかないでしょう」


 エミルが一瞬だけ沈黙した。それから——真っ直ぐにセラフィーナを見た。


「母上が守ろうとしたものを、僕も守りたいからです。母は一人で戦って負けた。しかし僕には——あなたがいる。あなたという共犯者がいれば、母の敗北を勝利に書き換えられる」


 母の敗北を勝利に。エリザベートの遺志を継ぐのは、セラフィーナだけではなかった。エミルもまた、母の研究を完成させようとしている。血の繋がった息子として。


「……ありがとうございます。共犯者殿」


「こちらこそ。さて——次の手を考えましょう。教会が動く前に、こちらの準備を整えなければ」


 エミルがペンを取った。新しい紙を広げ、具体的な行動計画を書き始める。


「まずレオンハルト殿下への書状。教会の動きと、王権による裁判拒否の先例について伝える必要があります。フリッツ殿に先例の文献調査を急いでもらうよう添えましょう」


「レオンハルトへの手紙は、私が書きます」


「次にリリアーヌさんの力の制御訓練。暴走を防ぐには、力を抑えるのではなく——使い方を覚えるしかない。母上の仮説通り聖光草を緩衝材として使えれば、暴走のリスクを下げられる」


「オルガさんとの連携が必要ですね」


「はい。そして三つ目——辺境の法的防壁の強化。辺境条例を正式に施行し、教会の管轄権を制限する手続きを進めます。ギュンター殿に近隣領主の協力を取り付けてもらう。教会に対抗するには、一つの辺境ではなく、地域全体の連携が必要です」


 三つの行動計画。法的防壁、聖女の制御、王権との連携。どれも一朝一夕にはいかない。しかし——何もしないよりましだ。帳簿の赤字も、一つずつ消していくしかない。


「時間はありますか」


「わかりません。教会騎士団が到着するまでに、できるだけ多くの準備を整えるしかない。二週間か、一ヶ月か——あるいは明日かもしれない」


 明日かもしれない。その言葉の重さを、二人とも噛み締めた。


 研究室の窓から差し込む光の中で、エミルのペンが紙の上を走る音だけが響いた。壊すべき幹と、守るべき枝を見極めるために。物語の構造図に、新しい線が一本ずつ加わっていく。

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