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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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宰相の条件——帰京か、妹か

 羊皮紙ではなく上質な紙。封蝋は同じヴァルトシュタイン家の紋章だが、深紅ではなく黒い蝋。正式な公文書ではなく、私信であることを示している。


 ヨハンから受け取り、応接間で開封した。父の筆跡。前回より文字が小さい。行間が詰まっている。書き急いだのか、あるいは——多くを詰め込む必要があったのか。


 内容を読み、手が止まった。


 ——セラフィーナ。率直に書く。


 父の文章が「率直に」と前置きする時は、交渉の最終段階だ。猶予期間が終わったことを意味する。


 ——辺境の成果は認めている。経済圏の構築、商業同盟の確立、いずれも公爵家の名に恥じない実績だ。その実績を、宮廷で活かすべき時が来た。


 ——条件を提示する。お前が王都に戻り、公爵家の名代として宮廷に出仕するなら、ナターリアの王太子妃推挙は取り下げる。お前が拒むなら、ナターリアの件はそのまま進める。


 便箋を握る手に力がこもった。怒りが腹の底から這い上がってくる。


 取引だ。娘と娘を天秤にかけている。姉を取り戻すか、妹を差し出すか。どちらか一方しか手元に置けないとでも言うように。


 これが父の常套手段だと知っている。ゲームでもアルベルトは政治的取引の達人として描かれていた。しかし、ゲームのテキストで読むのと、自分の手に届いた便箋で読むのとでは、痛みの深さが違う。


 ——最後に一つ。お前の母、エリザベートも辺境に行くことを望んだ女だった。結果がどうなったかは知っているだろう。


 最後の一行は脅迫か、忠告か。母は辺境で何があったのか。ゲームでは「病死」としか語られなかった。しかし父の言い方は——病死以上の何かを示唆している。


 便箋を折り畳んだ。指が震えている。怒りだけではない。恐怖でもある。父が追い詰められているなら、手段を選ばない。ギュンターが言っていた。「追い詰められた政治家は手段を選ばなくなる」と。


 母のことが引っかかった。「エリザベートも辺境に行くことを望んだ」。母は辺境に来たことがあるのか。いや——ヘルガが以前言っていた。「エリザベート様がヘルムガルドにいらした頃」と。母はこの地を訪れていた。そして——結果がどうなったかは知っているだろう、と父は書いた。病で亡くなったことか。それとも——辺境に何か別の因果があるのか。


 考える暇もなく、次の行動に移った。この書簡には全員で対処する必要がある。



  ◇



 全員を集めた。レオンハルト、ルキウス、エミル、ギュンター、ヘルガ、ヨハン。書簡の内容を読み上げた。


 最初に動いたのはルキウスだった。椅子から立ち上がりかけた。


「必要なら俺が王都に乗り込む。宰相閣下に直接——」


「座ってくださいませ、ルキウス殿」


 声は静かだったが、ルキウスを止めるには十分だった。琥珀の目に怒りの炎が揺れているが、黙って腰を下ろす。


「力で解決したら、父と同じですわ。脅迫には脅迫で返す——その連鎖を断たなければ」


 エミルが書簡を手に取り、文面を精読した。


「宰相は追い詰められています。改革派の攻勢が激しく、三方面の敵に囲まれている。娘の実績を自分の手札に加えなければ、政治的に持たない」


「つまり、父は弱い立場から交渉を仕掛けている」


「ええ。しかし弱い立場だからこそ、条件に応じなければ報復が苛烈になる可能性がある。ナターリア様を本当に王太子妃に送り出すかもしれません」


 ナターリアの密書を思い出した。涙で滲んだ便箋。「自分で選びたい」と書いていた十六歳の少女。あの子が宮廷政治の人質にされる。もし自分が帰京を拒めば、ナターリアは本当に王太子妃として差し出される。レオンハルトの妃として——いや、レオンハルト個人への配慮ではなく、政治的取引の商品として。


 ヘルガが黙って全員の茶を淹れ直した。湯気が立ち上る中で、薬草の香りが重い空気を少しだけ和らげた。この侍女長は場の空気を読んで、今は口を挟まない方がいいと判断している。茶を置く手つきだけが、彼女なりの意思表示だった。


 ギュンターが腕を組んだ。


「お嬢さん、これは商売の値引き交渉と同じだ。相手が最初に出す条件が最終ラインだと思うな。宰相閣下にも妥協点があるはずだ」


「妥協点?」


「完全な帰京じゃなくてもいい。宮廷への報告書の定期提出とか、年に一度の帰京とか。宰相閣下が本当に欲しいのは、娘が改革派の旗印にならないことだ。それさえ保証されれば——」


「ナターリアの件を取り下げる理由ができる」


 ギュンターの商人の目が光った。三十年の交渉経験が、政治をも射程に入れている。


 ヨハンが手を挙げた。


「あの……ナターリア様を辺境にお招きすることはできないでしょうか」


 全員の目がヨハンに向いた。


「ナターリア様は密書で、姉上のように自分で選びたいと書いておられました。であれば——辺境に来ることを、ナターリア様自身に選ばせることはできませんか」


 全員が黙った。ヨハンの頬が赤くなった。注目されるのが苦手な青年は、それでも言い切った。


 素朴な提案だった。政治的な計算も権謀術数もない。しかし——その素朴さの中に、核心があった。


 ナターリアが自分の意志で辺境に来る。それは公爵家からの離脱ではなく、姉妹の交流として正当化できる。表向きは「姉の辺境領地を見学」という名目が立つ。同時に、父の手元から離れることで王太子妃候補としての圧力を弱められる。父がナターリアを駒として使えるのは、手元にいるからだ。手元から離れれば——少なくとも時間は稼げる。


 エミルが即座に問題点を指摘した。


「ナターリア様が辺境に来れば、宰相閣下は怒るでしょう。しかし——娘が自発的に姉を訪ねることを公然と禁じれば、宮廷での父親としての評判が下がる。宰相閣下はその点を気にするはずです」


「つまり、ナターリアの自発的な訪問であることが重要」


「ええ。強制ではなく選択。それなら宰相閣下も表立っては止められない」


「ヨハン……それは賭けですわ。ナターリアが自分で選ばなければ意味がない」


「でも、ナターリア様は選びたがっています。密書がその証拠です」


 レオンハルトが口を開いた。


 レオンハルトが口を開いた。全員が王太子の方を向いた。


「余は宰相閣下に直接話す用意がある。帰京した際に——政治的な落とし所を探る」


「殿下がそこまでなさる必要はありません」


「必要がある。ナターリアの王太子妃推挙は、余の名を使った政治工作だ。当事者として黙ってはいられない」


 王太子の目には静かな怒りがあった。自分の名前が知らぬ間に政治的取引の道具にされていたことへの、王族としての明確な拒絶。


 ヘルガがようやく口を開いた。


「ナターリア様を招くなら、グレーテルに連絡を取る必要がある。あの人なら、お嬢様の護衛とお目付役を兼ねられる」


「グレーテルと直接連絡が取れますの?」


「古い知り合いだからね。エリザベート様がヘルムガルドに来た時から。あの人とは四十年の付き合いだよ」


 四十年。母がヘルムガルドに来た時から。ヘルガとグレーテルの関係は、単なる知人以上のものがある。しかし今はそれを掘り下げる余裕がない。


 会議が終わった後、私室に戻った。机に向かい、羽根ペンを取った。ナターリアへの返書を書く。


 何度も書き直した。一通目は感情的すぎた。「あなたを守る」と書きたかったが、それでは父への宣戦布告になる。インクが乾く前に丸めて捨てた。二通目は事務的すぎた。姉妹の手紙ではなく外交文書になってしまう。読み返して自分で嫌になった。三通目で、ようやくバランスが取れた。文字が感情を乗せすぎず、しかし冷たくもない。父に読まれても問題のない、しかしナターリアには真意が伝わる文面。前世で取引先への丁重な断り状を何百通も書いた経験が、こんな形で活きるとは。


 最終的に、一行だけ書いた。


 ——辺境に来るなら拒みません。でも、あなた自身が選んでください。


 グレーテルの連絡網で送る。行商人から宿屋の女将へ、女将から古書店の主人へ、そして王都のグレーテルの手に届く。この一行が、ナターリアの人生を変えるかもしれない。あるいは何も変えないかもしれない。


 しかし少なくとも——選択肢を差し出すことはできる。前世の自分には誰も差し出してくれなかった、もう一つの道を。


 羽根ペンを置いた。インクが乾くのを待ちながら、窓の外を見た。北の山脈の稜線が夕日に染まっている。あの山の向こうから魔獣が来るかもしれない。南からは父の手が伸びてくる。教会は空から見下ろしている。


 それでも——この辺境には守るべきものがある。守りたい人がいる。ナターリアもその一人に加わった。


 便箋を封筒に入れ、百合の押し花を挟んだ。ナターリアと同じやり方で。姉妹の暗号のように。

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