転生者——エミルの仮説、セラフィーナの沈黙
朝食の席で、全員の顔を観察した。ヨハンはいつも通り明るい。ヘルガは無表情だが、それはいつもの顔だ。ルキウスは寡黙に食事を取り、マルクスは大きな手でパンを千切っている。オルガは薬草園の朝の手入れを終えて遅れて来た。リリアーヌはオルガの隣で蜂蜜をパンに塗っている。
エミルと目が合った。微かに首を振る。彼もまだ正体を掴めていない。
そしてフリッツ——レオンハルトの従者。いつもはレオンハルトの傍らで手帳を構えている青年が、今朝は妙に落ち着きがない。スープの匙を持つ手が二度ほど止まった。視線がこちらに向いては、すぐに逸れる。
気になった。しかし朝食の席では追及できない。七人と向かい合うテーブルで、一人だけを問い詰めるわけにはいかない。
レオンハルトが隣に座っていた。食事の合間に辺境の天候について何か話しかけてきたが、うまく聞き取れなかった。頭の中は昨夜の足音で占められている。
「セラフィーナ、聞いているか?」
「あ、すみません。少し考え事を」
「昨夜はよく眠れなかったようだな」
鋭い。レオンハルトの観察眼は侮れない。しかしそれ以上は追及せず、パンに手を伸ばした。パンを千切る手が、一瞬だけ止まった。視線がこちらの目の下——おそらく睡眠不足の隈を確認した。しかし何も言わない。この男の優しさは、問い詰めないことで示される。
◇
午前中、エミルを温室に呼んだ。聖光草の手入れを装いながら、昨夜の続きを話す。
「足音の件、心当たりは」
「一つだけ。レオンハルト殿下の従者、フリッツ殿です」
「根拠は」
「あの時刻に書斎の前を通る理由があるのは、殿下に夜食を届ける途中のフリッツ殿だけです。他の誰もあの廊下を通る用事がない」
論理的だ。さすがにエミルの推理は的確だった。レオンハルトの客室は書斎の先にある。フリッツが夜食を持って廊下を歩けば、書斎の前を通ることになる。
「フリッツ殿が、どこまで聞いたかが問題ですわ」
「『転生』という言葉と、『処刑』という言葉。断片だけでも、聡い人間なら引っかかる」
フリッツは聡い。レオンハルトの信任が厚いのは、事務能力だけでなく、状況判断が優れているからだ。しかし——聡いからこそ、安易に動かないはずだ。
「エミル殿、彼は報告するでしょうか。レオンハルト殿下に」
「難しいところです。フリッツ殿はレオンハルト殿下に絶対忠誠を誓っています。通常なら即座に報告する。しかし——報告する内容が意味不明では、彼自身が確信を持てない。転生という概念を、この世界の人間が瞬時に理解するのは難しい」
「つまり、しばらくは保留すると」
「おそらく。ただし、永遠にではありません。フリッツ殿は忠実すぎるが故に、いずれ主人に話す。その前に——」
「こちらから手を打つ必要がある」
温室の聖光草が、微かに光を放っている。エミルの手元にある古文書の写しが、その光に照らされた。
「教会の『異界接続論』について、もう少し詳しく聞かせてくださいませ」
「僕が確認できたのは写しの一部だけです。しかし、いくつかの重要な記述があります」
エミルが紙を広げた。
「一つ。教会は過去に異界の魂を持つ者を実際に発見し、排除した記録がある。少なくとも三例。いずれも火刑」
「三例……」
三人の人間が、異界から来たという理由だけで焼かれた。彼らにも前世があったのだろうか。家族がいて、仕事があって、ある日突然この世界に放り込まれて——そして教会に見つかって殺された。その恐怖が、生々しく胸に迫る。
「二つ。異界の魂の特徴として、『この世界に存在しない知識を持つこと』が挙げられている。まさにあなたの複式簿記や先物取引がそれに該当します」
「三つ目は」
「三つ。異界の魂と聖女の魂は、魔力的に共鳴する場合がある。聖女が異界の魂の近くにいると、聖女の力が増幅される——と」
リリアーヌの手が光った瞬間を思い出した。聖光草が一斉に咲いた夜。あれは私とリリアーヌが近くにいたから起きたのか。
「私がリリアーヌさんの傍にいること自体が、教会に介入の口実を与えている」
「その可能性があります。教会がリリアーヌさんの聖女覚醒を察知した原因の一つが、あなたとの近接による魔力増幅だとすれば——」
血の気が引いた。守ろうとして、却って危険を招いていた。リリアーヌの手が光った夜、私はあの子を抱きしめた。「あなたはあなた」と言った。あの温かさが、同時に教会を呼び寄せる信号になっていたとは。
「しかし、今さら距離を取るわけにはいきません。リリアーヌさんから離れれば、教会に保護を口実にされる」
「ええ。ジレンマです。近くにいても遠くにいても、教会に利用される。だからこそ——教会の動きを先読みし、彼らより先に手を打つ必要がある」
「先読みは得意ですわ。前世の知識がある分」
自嘲気味に言った。しかしエミルは笑わなかった。真剣な目でこちらを見ている。
「ですが、この世界の教会の内部事情は、前世の知識にはないでしょう?」
その通りだった。ゲームでは教会は「処刑を執行する装置」としか描かれなかった。教皇の名前すら設定されていなかったはずだ。教義や内部派閥の詳細は、テキストボックスの向こうに隠されていた。プレイヤーにとって教会は背景設定でしかなかったが、この世界では巨大な権力機構として実在している。
「だからこそ、僕がいるんです」
エミルが眼鏡を直した。温室の光が銀縁に反射して、一瞬だけ目元が見えなくなる。しかし声には揺るぎない決意が宿っていた。
「あなたは前世の知識で未来を読む。僕はこの世界の学問で教会の内部を読む。二人の知識を組み合わせれば——」
「物語を書き換えられる」
「ええ。あの夜の約束です」
あの夜。転生を告白した夜。涙を流して「処刑される」と言った夜。エミルが「物語を書き換えましょう」と微笑んだ夜。あの約束が、今、具体的な形を取り始めている。温室の聖光草が、まるで二人の決意を祝福するように淡く揺れた。
◇
温室を出た後、廊下でフリッツとすれ違った。
「セラフィーナ嬢、おはようございます」
声は普通だった。しかし目が合った瞬間、フリッツの瞳に微かな揺らぎがあった。すぐに笑顔で取り繕ったが、こちらは見逃さなかった。
フリッツは何かを知っている。全てではなくとも、断片を。
「おはようございます、フリッツ殿。レオンハルト殿下はお元気?」
「はい。今朝は書類整理をされています。殿下は——セラフィーナ嬢のことを気にかけておいでです」
最後の一言に、含みがあった。フリッツなりの、間接的な問いかけ。殿下が気にかけている相手に、隠し事があるのではないか——と。
「ありがとう。殿下によろしくお伝えくださいませ」
すれ違いざま、フリッツの横顔を見た。唇が微かに動いていた。何かを言いかけて、飲み込んだ形。手帳を胸に抱えるその姿勢が、いつもより固い。
この青年は、いずれ動く。エミルが言った通りだ。忠誠心が強すぎる人間は、秘密を長くは抱えていられない。主人を守るために動くのか、それともセラフィーナを信じて沈黙するのか——フリッツ自身がまだ答えを出せていないのだろう。
フリッツが動く前に、何らかの手を打たなければならない。しかしどんな手を。
レオンハルトには既に転生の秘密を話してある。フリッツが主人に報告しても——レオンハルトは動揺しないだろう。「余が許さない」と言い切った男だ。問題は、フリッツ自身がどう受け止めるかだ。転生者という概念を、忠実な従者がどう処理するか。受け入れるか、拒絶するか。
あるいは——レオンハルトが既に知っていたと知った時、フリッツはどう感じるだろう。主人が自分に隠していた秘密があったと知った時の衝撃。忠誠を捧げた相手に信頼されていなかったという痛み。それがフリッツを予測不能な方向に動かすかもしれない。
歩きながら考えた。味方が増えるのは心強い。しかし秘密を知る人間が増えるたびに、脆くなる。たった一つの綻びで、全てが崩れかねない。前世の会社で、社内機密が漏洩した時のことを思い出した。たった一人の不用意な発言で、プロジェクト全体が瓦解した。あの時は仕事が失われただけだった。今度は、命が失われる。
窓の外では、ルキウスが護衛隊の若者たちを訓練している。剣の打ち合う音が中庭に響いていた。ルキウスにはまだ転生の秘密を伝えていない。彼なら受け入れてくれるかもしれない。しかし今は——これ以上秘密の共有者を増やすリスクを冒せない。
教会の影。父の手。改革派の食指。そして今、フリッツの揺らぎ。
包囲網が、静かに狭まっている。温室の聖光草が窓越しに淡く光っているのが見えた。あの光が、いつか全てを照らし出してしまうのではないかという予感がした。




