それぞれの答え——恩義と友情の決着
ルキウスが辺境に到着した。騎士団の辺境常駐が正式に認可され、その第一陣として部隊を率いてきた。二十名の騎士。訓練された馬。武器と糧食。辺境の防衛力が、一夜にして跳ね上がった。
ルキウスは部隊を城壁の外に駐屯させ、自ら領主館に報告に来た。甲冑を脱いだ軽装で。しかしその顔はいつもの仏頂面ではなかった。どこか決意を固めた男の顔だった。
「セラフィーナ。話がある」
「ルキウス殿も話があるのですか。最近、男性はみな話があると仰いますわね」
「……レオンハルトが来ているのは聞いた」
領主館の中庭。春の日差しが石畳を温めている。中庭の隅にオルガが植えた薬草が新芽を出していた。二人は石のベンチに腰を下ろした。ルキウスは甲冑ではなく、軽装だ。剣だけは佩いている。この男から剣を外すのは不可能だろう。
「学園の頃の話をする」
「学園?」
「六年前だ。お前が婚約破棄される前。俺がお前を庇った理由を、正直に話す」
ルキウスの目が真っ直ぐだった。この男の目は常に真っ直ぐだが、今日は特に覚悟の色がある。
「あの時、お前は学園で孤立していた。レオンハルトとの婚約があったが、二人の間には何もなかった。形だけの婚約だ。お前は一人で図書館にいることが多かった」
覚えている。ゲームの設定上、セラフィーナは高慢な令嬢だったはずだ。しかし転生後の自分は、図書館で経済書を読んでいただけだ。
「俺はお前が一人で歩いているのを見て、放っておけなかった。貴族の令嬢が護衛もなく歩いている。周囲の令嬢たちが陰口を叩いている。騎士として見過ごせなかった。最初はそうだった。しかし」
ルキウスが言葉を切った。石畳の継ぎ目を見ている。剣を握る時とは違う、不器用な手つきで膝の上の拳を開いたり閉じたりしている。
「図書館で、お前が分厚い本を読んでいるのを見た。商業の本だ。俺には理解できない内容だった。しかしお前は夢中だった。目が輝いていた。退屈な社交界の令嬢とは違う目だった」
「……ルキウス殿」
「好きだった。認める」
短い言葉だった。ルキウスらしい。修飾語も言い訳もない。剣の一振りのように真っ直ぐで、潔い。しかしその三文字には六年分の重みがあった。
「騎士として、同期の婚約者に手を出すことはできなかった。だから——庇うだけにした。悪意から守るだけにした。それが俺にできる精一杯だった」
セラフィーナは何も言えなかった。知らなかった。ゲームの攻略情報にはなかった。ルキウスの好感度イベントは「戦闘系」ばかりだった。図書館のシーンなんて攻略指南書に載っていなかった。しかしゲームには描かれなかった場面にこそ、本当の感情がある。プレイヤーが見ていない場所で、キャラクターは生きていた。
「辺境に来て、お前が変わったのを見た。帳簿で領地を立て直し、商人と渡り合い、魔獣と戦い、裁判を勝ち抜いた。俺が惚れた女は、間違っていなかった」
ルキウスが立ち上がった。
「しかし——俺は騎士だ。剣で人を守るのが仕事だ。帳簿はつけられん。茶の温度もわからん。政策論議もできん。お前の隣に立つなら、対等でなければ意味がない」
「ルキウス殿——」
「レオンハルトは、お前と対等に議論できる。政策を語れる。帳簿を読める。あいつの横がお前の場所だ。俺が言うのも変だが、あいつは悪い男じゃない。不器用だが誠実だ」
セラフィーナの目が熱くなった。ルキウスが、自分の想いを退けながら、別の男を推薦している。この男の誠実さは剣のように真っ直ぐで、痛いほどだ。
「俺は騎士として守る。お前の辺境を。お前の民を。お前の帳簿が安全に書ける場所を守る。それが——俺の答えだ」
春の風が中庭を吹き抜けた。薬草の青い匂いが鼻をくすぐった。ルキウスの短い髪が風に揺れている。
ルキウスが右手を差し出した。握手だ。騎士の誓約ではなく、友人としての握手。
セラフィーナはその手を取った。剣だこのある、硬い手だった。温かかった。戦場で自分を守ってくれた手だ。法廷の外で教会兵の前に立った手だ。
「ルキウス殿。あなたは——大切な友人ですわ」
「友人か。——悪くない」
ルキウスの口角がほんの少しだけ上がった。この男の笑みは珍しい。そしてその笑みは清々しかった。六年間の荷を下ろした男の顔だった。
「蜂蜜菓子はまだ受け付けるぞ」
「リリアーヌに伝えますわ」
「……あいつが焼いたやつは甘すぎるんだが」
「嫌なら食べなくていいんですよ」
「……嫌とは言っていない」
ルキウスが背を向けて去った。大きな背中だ。中庭を横切り、城壁の方へ歩いていく。途中で一度だけ足を止めて、薬草園の新芽を見下ろした。何かを思ったのだろう。しかし振り返らなかった。その背中が六年前より、ずっと軽く見えた。
◇
午後、エミルが書庫から出てきた。手に新しい論文の草稿を持っている。
「セラフィーナさん。少し時間をいただけますか」
「はい。また話ですか」
「はい。しかしルキウスとは違う種類の話です」
エミルは穏やかに笑った。この学者の笑みはいつも穏やかだ。しかし今日は、その奥に決意がある。ルキウスとは違う種類の覚悟だ。剣ではなくペンで戦う者の覚悟。
書庫の窓辺に二人で並んだ。エミルが眼鏡を外して磨いた。銀縁の眼鏡。壊れた予備ではなく、新しく作り直したものだ。度が合っている。
「率直に言います。僕もあなたに特別な感情を持っています」
「エミル——」
「しかし、僕の答えは最初から決まっていました」
エミルが眼鏡をかけ直した。レンズの向こうの目が真っ直ぐだ。
「あなたは転生者です。この世界で、あなたの存在を学術的に証明し、守る仕組みを作れるのは僕だけです。恋愛感情で関係を曖昧にすれば、学術の客観性が損なわれる」
「それは言い訳ではありませんか」
エミルが苦笑した。
「半分は言い訳です。もう半分は本気です」
エミルが窓の外を見た。書庫の窓から見えるのは、城壁の向こうの山々だ。雪が溶けかけて、山肌に緑と白のまだら模様ができている。
「僕は学者です。真実を追究することが僕の存在理由です。四人目の転生者の記録。お母上の聖女としての研究。転生者を異端ではなく自然現象として位置づける論文。これらは、僕にしかできない仕事です」
エミルの声が静かだが、揺るぎなかった。
「転生者保護の論文を書く。それが僕の答えです。あなたを学術で守ります。個人の感情よりも、制度の方が多くの人を守れる」
エミルの声が低く、しかし揺るぎなく響いた。
「前世のあなたは過労で亡くなった。それは個人の問題ではなく、制度の問題です。労働法制が、企業文化が、あなたを殺した。今世であなたを脅かしているのは教会の異端審問制度です。個人を守るのは、制度を変えることです。僕はそれをやる」
セラフィーナの目から涙がこぼれた。止められなかった。
二人の男が、それぞれの誠実さで答えを出した。ルキウスは剣で。エミルは学術で。どちらも恋愛ではなく、もっと大きなもので自分を守ろうとしている。前世ではこんな人間関係はなかった。職場の同僚は仕事仲間であって、友人ではなかった。退職の日に「お疲れ様」と言われて、それきりだった。
「あなたたちはゲームのキャラクターなんかじゃない」
声が震えた。攻略対象。好感度。ルートフラグ。そんな言葉で括れる存在ではない。一人一人が、自分の人生を生きている。自分の答えを、自分で出している。
「大切な友人ですわ。お二人とも」
エミルが微笑んだ。穏やかな笑みだ。
「友人。ええ、それが一番正確な言葉です」
エミルがハンカチを差し出した。清潔な白いハンカチ。学者の持ち物らしく、隅にインクの染みが一つだけついている。
「それと、一つ朗報があります。王立学術院から査読の速報が来ました。教会法と王国法の論文が、正式に査読プロセスに入ったそうです。最短で夏には掲載される」
「本当ですか」
「はい。レオンハルト殿下の議会改革と、僕の論文と、あなたの辺境経営。三つが揃えば、転生者が異端として裁かれる時代を、終わらせられるかもしれない」
書庫の窓から、春の光が差し込んでいた。埃が光の中で舞っている。古い本の匂いがする。この場所で一つの季節が終わり、新しい季節が始まろうとしている。
涙を拭いて、セラフィーナは笑った。泣き笑いだ。格好悪い。しかしこの友人たちの前では、格好をつける必要がない。
「エミル。論文が完成したら、真っ先に読ませてくださいね」
「もちろんです。校正もお願いするかもしれません。僕は数字の誤植が多いので」
「学者が数字を間違えてどうするんですか」
「だから帳簿の専門家に頼むんです」
二人で笑った。友人の笑いだ。それ以上でもそれ以下でもない、ちょうどいい距離の笑い。




