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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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処刑台の跡に咲く花——未知の物語へ

 大司教クレメンスは教会への背任と魔獣災害への関与の嫌疑で拘束された。教会は内部粛清を余儀なくされ、大聖堂の扉は閉ざされている。王都の街路を歩く教会関係者の姿は、昨日までの半分以下だ。


 セラフィーナは宿舎の窓から朝日を見ていた。左腕はまだ吊っている。しかし体が軽い。六日間の裁判の緊張が解けたのだろう。あるいは、もう処刑される心配がないから。


 昨夜はよく眠れた。裁判が始まってから初めてだ。マルクスの護符を枕元に置いて、リリアーヌの蜂蜜菓子の甘さを思い出しながら、泥のように眠った。


 ヨハンが朝食を運んできた。パンと卵と温かいスープ。宿舎の台所で作ったものだ。


「お味はいかがですか」


「辺境のヘルガの味に比べると、七十点ですわね」


「帰れば百点が待っています」


 帰る。辺境に。あの場所に。ヘルガの温かい茶が待っている場所に。マルクスの鍛冶場の煙が上がる場所に。オルガの薬草園の匂いがする場所に。ラウルが門で敬礼する場所に。ギュンターが渋い顔で商売の話をする場所に。


 午前中、レオンハルトが宿舎に来た。王太子の正装ではなく、簡素な衣服。昨日の法廷の緊張が嘘のように、穏やかな顔をしている。


「少し話がある」


「はい」


 二人で書斎に入った。ヨハンが茶を置いて出て行った。扉が閉まった。二人きりだ。


 レオンハルトが窓辺に立った。王都の街並みを見下ろしている。しばらく黙っていた。そして振り返った。


「一つ、聞かせてくれ」


「何ですか」


「お前の本当の理由を。なぜ婚約を破棄した。なぜ辺境に行った。ゲームの処刑エンドを避けるため、というのは聞いた。しかし、それだけか」


 セラフィーナは考えた。転生者としての計算。ゲームの知識。処刑回避の戦略。最初はそれだけだった。しかし今は違う。辺境で過ごした半年が、計算では説明できない感情を生んだ。


「最初は、死にたくなかったから。ただそれだけです」


 正直に答えた。嘘をつく理由がもうない。聖女の光が嘘を許さなかったように、今の自分も、嘘をつきたくない。


「前世で、私は過労死しました。二十八歳で。誰にも助けを求められず、逃げることもできず、壊れて死んだ。だから今世では——死にたくなかった。生きたかった。それだけです」


 レオンハルトは静かに聞いていた。


「しかし、辺境に行って、変わりました。最初は生き延びるための計算でした。しかし領民の顔を見て、ヨハンの茶を飲んで、ヘルガの怒り顔に叱られて、生きたい理由が、増えていきました」


 セラフィーナの声が柔らかくなった。法廷の証言台の声とは違う。


「あなたに会って、もっと変わりました」


 レオンハルトの目が見開かれた。


「帳簿を見せた時、あなたが本気で興味を持ってくれた。丘の上で風に吹かれた時、あなたが笑ってくれた。辺境が攻撃された時、あなたが全てを賭けて助けに来てくれた。計算では説明できません」


 レオンハルトが口を開きかけた。しかし何も言わなかった。言葉を探している。不器用な男だ。剣を振るうことも、議会で演説することもできるのに、感情を言葉にすることが、苦手な男。


「全てを語ることは、まだ、できません。しかし一つだけ、確かなことがあります」


「何だ」


「帰りたい場所ができました。それは前世にはなかったものです」


 レオンハルトが静かに頷いた。不器用な頷きだった。しかし、充分だった。


「帰れ。お前の領地が待っている」


 父と同じ言葉だった。しかし意味が違う。父の言葉は別れだった。レオンハルトの言葉は約束だった。また来る、という。


「王国の財政改革に、お前の知恵を借りたい。正式に依頼する」


「私の知識は異端と呼ばれましたけれど」


「異端で結構だ。異端の帳簿で王国を立て直せ」


 二人とも笑った。法廷の緊張がようやく解けた笑いだった。


 午後、ルキウスが短い挨拶に来た。


「借りを返しただけだ」


「ルキウス殿。それは六年前の借りですか。それとも法廷の護衛の借りですか」


「全部だ。しかし、まだ返し切れていない気もする」


 照れ隠しだ。この男は感情を直接語れない。しかし剣で語る。法廷の外で教会兵の前に立った背中が、全てを語っていた。


「騎士団の辺境常駐を正式に王に上奏する。お前の辺境は、守る価値がある」


「ありがとうございます」


「礼はいい。……蜂蜜菓子の差し入れは受け付ける」


 リリアーヌが聞いたら喜ぶだろう。


 エミルが書斎で最後の報告をした。


「大司教の拘束により、教会の内部文書が王国に押収されます。その中に——興味深いものが含まれている可能性があります」


「興味深いもの、とは」


 エミルが眼鏡を押し上げた。


「聖光教会の地下書庫に、四人目の転生者の記録があるらしい。火刑に処されなかった四人目。記録が残っているなら、あなたの存在を理解するための、重要な手がかりになるかもしれない」


 四人目の転生者。三百年間で三人が火刑に処された。しかし四人目がいた。その人はどうなったのか。


「まだ研究は終わっていませんよ、セラフィーナさん」


 エミルが微笑んだ。学者の笑みだ。しかしその奥に、仲間の温かさがある。


 アルベルトとの対面は短かった。


 宿舎の玄関で、すれ違うように。宰相の正装ではなく、質素な衣服。昨日の法廷で全てを賭けた男は、今日はただの父親に見えた。


「父上」


「帰れ。お前の領地が待っている」


 三度目のその言葉。しかし今日は、もう一言続いた。


「母上に——似てきたな」


 それだけ言って、アルベルトは去った。振り返らなかった。しかしその背中は、五日前に法廷の中央通路を歩いた時とは違う。少しだけ軽く見えた。


 母に似てきた。エリザベートに。教会の構造を見抜き、聖女を救おうとし、追放されてもなお研究を続けた女性に。それは、父が娘に贈れる最高の言葉だ。


 翌朝、王都を発った。


 馬車にはセラフィーナ、ヨハン、エミル、リリアーヌ、ナターリアの五人。来た時より二人多い。帰る場所が同じだから。


 リリアーヌが馬車の中で蜂蜜菓子を焼こうとして、ナターリアに止められた。「馬車の中では無理です」と。リリアーヌが「帰ったら焼きます。たくさん」と笑った。


 エミルが窓の外を見ながら手帳に何か書いている。四人目の転生者についてのメモだろう。学者の探求は終わらない。


 ヨハンが何も変わらない顔で隣に座っている。茶は淹れられないが、姿勢は正しい。この男はどこにいても変わらない。


 王都の城門を出た。街道に出た。秋の木々が紅葉している。赤と黄色と橙。来た時と同じ景色だ。しかし見え方が違う。来た時は処刑台に向かう旅だった。今は帰る旅だ。


 馬車の窓から手を出した。右手だけ。風が指の間を通り抜けた。冷たい風だ。冬が近い。しかし冬が来ても大丈夫だ。辺境には備蓄がある。薪がある。ヘルガの温かい食事がある。


 十日後、辺境ヘルムガルドの城壁が見えた。


 修繕中のクレーンが小さく光っている。出発の朝に見た光だ。帰る場所の目印。あの光がずっと待っていてくれた。


 門が開いた。ラウルが敬礼した。「おかえりなさい、領主様」と。


 門の中に人が並んでいた。全員だ。ヘルガが先頭に立っている。エプロンを着けたまま。正装ではない。日常の姿で出迎えている。この女性は、見送る時は泣かない。帰ってきた時に泣く。


「おかえりなさい」


 ヘルガの声が震えていた。目が赤い。泣いている。泣きながら笑っている。


「……ただいま」


 セラフィーナの声も震えた。前世では「おかえり」と言ってくれる人がいなかった。ワンルームマンションに帰っても、暗い部屋にコンビニの袋を置くだけだった。「ただいま」を言う相手がいなかった。


 しかし今、「おかえり」と言ってくれる人がいる。ヘルガが。ギュンターが。マルクスが。オルガが。ラウルが。領民たちが。


「お嬢様。茶碗は毎日洗っておいたよ。温度もヨハンと同じに」


「ありがとう、ヘルガ」


 泣いた。声を上げて泣いた。法廷では堪えた。王都では堪えた。しかしここでは、泣ける。ここは自分の場所だから。


 ギュンターが渋い顔で言った。「まだ帳簿が溜まっている。休む暇はないぞ」。しかし目が潤んでいた。


 マルクスが腕を組んで頷いた。「護符は役に立ったか」。セラフィーナが懐から護符を見せると、マルクスが小さく笑った。「あの鉄は折れん」。もう一度、同じ言葉を。


 オルガが聖光草の新芽を見せてくれた。種子三粒のうち一粒が発芽していた。小さな緑の芽。「困った時に光るから」とオルガが言った種子が、芽を出していた。


 領主館の執務室に戻った。机の上に帳簿が積まれている。ギュンターの言う通りだ。休む暇はない。しかしこの帳簿の山が、今は愛おしい。


 椅子に座った。右手でペンを取った。左腕はまだ動かない。しかし右手が動くなら、帳簿はつけられる。


 ヨハンが茶を持ってきた。辺境の台所で淹れた茶。温度が完璧だった。王都の宿舎の茶とは違う。これがヨハンの茶だ。ヘルガが毎日洗っていた茶碗で。


 一口飲んだ。温かかった。


 机の上に、三通の手紙が置いてあった。帰郷前に届いていたらしい。


 一通目。レオンハルトから。「王国の財政改革に、お前の知恵を借りたい。正式な勅令を出す。——また行く」。また行く。また来る、ではなく。この男は辺境を、自分の居場所の一つにし始めている。


 二通目。ルキウスから。「騎士団の辺境常駐を正式に王に上奏した。認可され次第、部隊を派遣する。蜂蜜菓子を頼む」。最後の一文で笑った。


 三通目。エミルから。すでに辺境にいるエミルが、なぜ手紙を書いたのか。封を開けた。


「聖光教会の地下書庫で、興味深いものを見つけた。四人目の転生者の記録だ。この記録は、あなたの未来を変えるかもしれない。詳しくは今夜、研究室で」


 四人目の転生者。ゲームにはなかった存在。攻略指南書に載っていない情報。


 窓の外を見た。焦げた森の向こうに新芽の緑が見える。復興中の城壁のクレーンが動いている。鍛冶場から煙が上がっている。薬草園に人の姿がある。


 この景色を守るために戦った。帳簿と、仲間と、前世の記憶を武器にして。処刑エンドは粉砕した。しかし物語は終わっていない。ゲームのシナリオを超えた、未知の物語が続いていく。


 帳簿を開いた。新しいページ。白い紙。数字はまだ何も書かれていない。


 ペンを取った。


 書き始めた。

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