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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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王都大法廷——処刑台の記憶

 十日間の馬車旅は想像以上に長かった。街道沿いの宿場町で三度泊まり、ギュンターが手配した南回りルートで教会の巡回路を避けた。食料は十二日分のうち十日分を消費した。リリアーヌの蜂蜜菓子は約束通り、一日一つずつ食べた。四つ目を食べた時、涙が出そうになった。五つ目を食べた時、笑えた。六つ目はまだ食べていない。帰ってから食べる分だから。


 王都の城門は白い石造りだ。高さ十五メートル。王国の紋章が頂部に刻まれている。前世で東京駅に着いた時のような安堵はない。ここは戦場だ。出張先ではない。


 城門を通過する時、門兵が馬車を止めた。通行証の確認。ヨハンが事前に用意した辺境領主代行の公印入り書状を見せた。門兵の目が一瞬、変わった。「辺境の公爵令嬢」の名は、もう王都に知れ渡っているらしい。


「ヨハン。門兵が私を見る目——」


「好奇心七割、同情二割、恐怖一割と見ました」


 正確な分析だ。いつも通りの。


 馬車が王都の大通りに入った。石畳の振動が変わる。辺境の砂利道とは違う、整然とした揺れ。建物が高くなる。三階建て、四階建て。窓ガラスが日光を反射している。人が多い。前世の新宿を思い出した。しかし新宿には馬はいなかったし、中世風の衣装を着た人々もいなかった。


 エミルが窓の外を見ている。眼鏡の奥の目が鋭い。学者の目ではなく、偵察者の目だ。


「大聖堂の方角に、教会の旗が増えています。裁判の準備が進んでいる証拠です」


「大聖堂——法廷はそこですか」


「いいえ。法廷は王宮内の大法廷です。しかし教会は大聖堂を拠点にしている。法廷と大聖堂の間を教会兵が行き来するでしょう。つまり法廷の周囲は教会の勢力圏です」


 教会の勢力圏の中で、教会と戦う。前世で言えば、税務署の中で税務調査に反論するようなものだ。しかしやるしかない。


 馬車がレオンハルトが手配した宿舎に到着した。王宮近くの貴族用宿舎だ。門の前にルキウスが立っていた。旅装ではなく、正式な騎士の軍装。剣を帯び、王家の紋章入りのマントを羽織っている。


「遅い」


 それだけ言って、馬車の扉を開けた。セラフィーナが降りる時、さりげなく手を差し伸べた。左腕が不自由なことを知っているのだ。


「ルキウス殿。お迎えありがとうございます」


「護衛だ。礼はいらない。中に入れ。レオンハルトが待っている」


 宿舎の中は広かった。応接間、寝室が三つ、書斎。レオンハルトが書斎の椅子に座っていた。テーブルの上に書類が山積みになっている。法律文書、判例集、教会法の写し。フリッツが隣に立ち、書類を整理している。


 レオンハルトが立ち上がった。セラフィーナを見て一瞬、顔が歪んだ。左腕を吊っている姿を見たのだ。しかしすぐに表情を戻した。


「来たか」


「約束しましたもの」


「腕は」


「動きません。しかし右手は動きます。帳簿をめくるには十分ですわ」


 レオンハルトが小さく笑った。しかし目は笑っていなかった。疲労が滲んでいる。十日間、法廷の準備で眠れていないのだろう。フリッツの目の下にも隈がある。二人とも戦いの前だ。


「状況を報告する。裁判は明後日。傍聴席は百二十名分。うち教会関係者が四十名、貴族が五十名、一般傍聴が三十名。教会側の証人は五名。弁護側は——」


「私とエミル殿の二名ですわね」


「三名だ。余も証言台に立つ」


 フリッツが息を飲んだ。レオンハルトが証言台に立つ——それは王太子が公式に教会と対立することを意味する。


「殿下。それは——」


「決めた。余が法廷で証言しなければ、帳簿の数字だけでは教会の教義を覆せない。数字は事実を証明する。しかし事実だけでは人は動かない。権威が必要だ。王太子の権威を、お前に貸す」


 権威を貸す。前世の監査対応で、社長が同席してくれた時のことを思い出した。社長の存在だけで、監査法人の態度が変わった。人は数字ではなく権威で動く。悔しいがそれが現実だ。


「ありがとうございます。レオンハルト」


 名前で呼んだ。レオンハルトの目がわずかに揺れた。


「礼はいい。裁判が終わってから言え」


 エミルが資料箱を運び込み、フリッツと打ち合わせを始めた。学者と従者が法律論を議論する光景はどこか前世の弁護士事務所に似ている。


 ヨハンが茶を用意した。宿舎の台所で淹れた茶は辺境の執務室の茶と温度が違った。道具が違うから仕方がない。しかしヨハンの所作は同じだ。どこにいてもこの男は変わらない。


 夜になった。明日は最終打ち合わせ。明後日が法廷。


 セラフィーナは寝室の窓から王都の夜景を見下ろした。大聖堂の尖塔が月光に照らされている。あの尖塔の下に自分を裁こうとする者たちがいる。


 ふと既視感が走った。


 この景色を知っている。ゲームのCGだ。処刑イベントの直前、プレイヤーに表示される一枚絵。月光に照らされた大聖堂と、その手前に広がる大法廷の屋根。ゲームではこの景色の次のシーンが、断頭台だった。


 足が竦んだ。心臓が跳ねた。知っている。この場所を。この角度を。ゲームで何度も見た。プレイ動画で見た。あの時は「ひどい展開だな」と思っただけだった。画面の向こうの出来事だった。


 しかし今——自分がここにいる。画面の中に入っている。処刑台に向かう悪役令嬢の視点で、この夜景を見ている。


 扉が小さく叩かれた。


「セラフィーナ様」


 ヨハンの声だった。


「開けていますわ」


 ヨハンが入ってきた。手に何かを持っている。小さな布袋。


「マルクス殿の護符です。枕元に置いておきます」


「……ありがとう」


「それと明日、大法廷の下見に行く予定です。ルキウス殿が案内してくれます。法廷の構造を事前に把握しておくべきかと」


 法廷の下見。前世の監査でも、会場の下見はした。席の配置、出入口の位置、資料を置く場所。準備は怠らない。


「ヨハン」


「はい」


「明日、法廷を見たら、怖くなるかもしれません」


 ヨハンは沈黙した。長い沈黙ではなかった。この男の沈黙はいつも短い。


「怖くなったら、帳簿を開いてください。数字は嘘をつきません。そして私がお隣にいます」


 隣にいる。ヨハンはいつもそう言う。婚約破棄の日も、辺境への馬車旅も、魔獣の夜も。隣にいると。この男の言葉は帳簿と同じだ。正確で、揺るがない。


「おやすみなさい、ヨハン」


「おやすみなさいませ、セラフィーナ様」


 扉が閉まった。一人になった。


 窓の外の大聖堂を見た。月が雲に隠れ、尖塔の影が消えた。暗闇だ。


 しかし枕元にマルクスの護符がある。懐に蜂蜜菓子が一つ残っている。隣の部屋にヨハンがいる。書斎にレオンハルトとエミルとフリッツがいる。門の外にルキウスがいる。辺境にはリリアーヌとナターリアとヘルガとギュンターがいる。


 一人ではない。ゲームのセラフィーナは一人だった。法廷で一人きりで、弁護人もなく、証人もなく、ただ聖女の告発を受けて断頭台に送られた。


 しかし今は違う。


 明日、大法廷を見に行く。処刑台があった場所を、この目で確かめる。怖いだろう。しかし怖くていい。怖くても立てる。前世の佐藤凛は、怖くて立てなかった。しかし今の自分には立てる理由がある。


 目を閉じた。眠れないだろうと思った。しかし十日間の馬車旅の疲労が勝った。気づいた時には、朝だった。


 翌日の午後、ルキウスの案内で大法廷を下見した。


 王宮の東翼に位置する大法廷は、天井が高い。ステンドグラスから色とりどりの光が差し込み、石造りの壁に王国の歴史画が掛けられている。正面に裁判官席。その左右に原告席と被告席。後方に傍聴席が階段状に並ぶ。


 美しい場所だ。しかしセラフィーナの足は、入り口で止まった。


 知っている。この場所を。ゲームのCGと同じだ。ステンドグラスの模様。石柱の配置。天井のアーチ。ゲームで見た大法廷と寸分違わない。


 ここに——断頭台があった。ゲームでは、正面の裁判官席の前に、木製の処刑台が組まれていた。悪役令嬢セラフィーナが膝をつかされ、聖女の告発を受け、群衆の罵声の中で首を差し出した場所。


「セラフィーナ様。顔色が」


 ルキウスが短く言った。気づかれた。


「大丈夫ですわ。少し既視感があっただけです」


「既視感」


 ルキウスは問い返さなかった。この男は深追いしない。しかし、さりげなく一歩近づいた。盾になる位置取りだ。


 法廷の中を歩いた。被告席に立った。木製の柵で囲まれた小さな空間。ここに明日、立つ。


 傍聴席を見上げた。百二十の席。明日はそこが人で埋まる。教会関係者。貴族。一般傍聴人。全員が自分を見る。


 その時、傍聴席の最後列に人影があった。


 銀灰色の髪。厳格な横顔。宰相の正装ではない。地味な外套を羽織り、一人で座っている。


 アルベルト・フォン・ヴァルトシュタイン。


 父だった。


 セラフィーナと目が合った。しかし父は何も言わなかった。立ち上がりもしなかった。ただ娘を見つめていた。その目に何があったのか。怒りか。悲しみか。それとも——ブレンナーが言った「愛し方がわからなくなった」男の、不器用な何かか。


 父は席を立ち、法廷の中央通路を歩いて出て行った。どちらの側にも座らず、ただ一人、中央を歩いた。


「……父上」


 小さく呟いた。声は届かなかった。しかし父の背中が扉の向こうに消える瞬間、一瞬だけ足が止まったように見えた。

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