裁かれる者——処刑台への召喚状
会議室に顔を揃えたのは、エミル、ギュンター、ヨハン、ヘルガ、ナターリア、リリアーヌ。レオンハルトとルキウスは既に王都に戻っている。しかし二人からの鴉便が、昨夜のうちに届いていた。
「王都での裁判が決まりました。教会の大司教クレメンスが、王国評議会に公開裁判を正式請求。私は被告として出廷します」
静まり返った会議室に、ヘルガの息を飲む音だけが聞こえた。
「出廷しなければ、リリアーヌさんを教会に引き渡すよう正式要請が出されます。リリアーヌさんを渡すことは論外です」
リリアーヌの目が潤んだ。しかし泣かなかった。唇を噛んで、真っ直ぐにセラフィーナを見ている。半年前、辺境に家出同然で来た少女は、もうそこにはいない。
「セラフィーナ様。私のせいで——」
「あなたのせいではありません。教会の構造の問題です。あなたが存在すること自体は、誰の罪でもない」
前世の上司が言った「お前の体調管理が悪い」という言葉を思い出した。過労死した社員を責める上司。暴走した聖女を理由に領主を裁く教会。責任の転嫁。構造的暴力。本質は同じだ。
エミルがレオンハルトの鴉便を読み上げた。
「『余は法廷に立つ。王太子として、この裁判の不当性を告発する。フリッツが百五十年前のヴィーゼンベルク勅令の全文を入手した。王権が教会裁判を拒否した先例として使える。辺境の証拠資料を全て持参されたし。逃げるなよ』」
最後の一言にセラフィーナは苦笑した。逃げない。逃げるのは前世で十分やった。深夜のオフィスから逃げ出す勇気さえなかった前世とは、もう違う。
ルキウスの鴉便は短かった。
「『護衛する。文句は受け付けない』」
五文字。いや、九文字か。この男は長い言葉を必要としない。しかしその九文字に込められた重みは、レオンハルトの長文に劣らない。
「しかし問題があります」
エミルが声を落とした。
「カーティス・ノーヴァルが教会側の証人として名乗りを上げています。フェルディナント殿の情報では、カーティスはセラフィーナさんの『異常な知識』、つまり先物取引、原価計算、複式簿記といった概念を証拠として列挙するつもりです」
「カーティスが。あの男が証人に」
皮肉だ。かつてセラフィーナの商業手法を「辺境の小娘の商売ごっこ」と嘲笑した男が、今度はその手法を「異端の知識」として法廷に持ち出す。攻撃の角度を変えただけだ。商人として潰せなかったから、教会の力を借りて法的に潰そうとしている。
「そしてもう一人、証人リストに『ヴァルトシュタイン家の関係者』と記載があります」
ナターリアが息を呑んだ。
「父上が証人に?」
「名前は記載されていません。しかし『ヴァルトシュタイン家の関係者』と明記されています。父上本人か、あるいは父上が送り込んだ誰かです」
父が教会側の証人として法廷に立つ。ありえないことではない。セラフィーナの返書、あの辞退の手紙を読んだ父が、怒りのあまり教会側についた可能性がある。あるいは政治的な計算で、教会に貸しを作ろうとしている可能性も。父は常に計算する人間だ。感情ではなく利害で動く。
しかしブレンナーの言葉が脳裏を過ぎった。「愛し方がわからなくなった」。母のことを、今でも書斎の肖像画の前で立っている父。あの男は本当に、娘を処刑に追い込むつもりなのか。
セラフィーナは窓に目を向けた。復興作業の音が聞こえている。城壁を直す音。槌の音。人の声。この音を、もう一度聞くために、法廷から生きて帰らなければならない。
「対策を整理しますわ」
セラフィーナは白い紙にペンを走らせた。前世の危機管理マニュアルが頭の中に蘇る。リスクの洗い出し、対策の策定、担当の割り振り、期限の設定。監査法人が来る前の夜と同じ手順だ。ただし今回の監査は命が懸かっている。前世の監査で最悪の結果は始末書だった。今回の最悪は火刑だ。
「第一に、証拠資料の整備。辺境経営の全帳簿を持参します。領地の収支、領民の生活水準改善データ、薬草園の成果、鍛冶場の雇用創出。全てが『異端の知識』ではなく『合理的な経営手法』であったことを数字で証明します」
「帳簿の写しは私が用意しますわ」
ナターリアが手を挙げた。妹の帳簿の腕は、ヨハンに教わった基礎の上に、セラフィーナが仕込んだ応用が乗り始めている。
「第二に、北方警備費の不正流用の証拠。教会が三十年間、辺境に資金を流して封印装置を管理していた事実。魔獣災害を『セラフィーナの異端行為が招いた天罰』とする教会の主張に対し、『教会自身が封印を意図的に弱体化させた可能性がある』という反論の根拠になります」
「この分析は僕が引き受けます」
エミルが頷いた。
「第三に、エミル殿の学術的反証。教会が主張する『異端的知識』について、学術的に反駁していただきます。複式簿記や原価計算は『発見されていなかっただけの合理的技法』であり、異端の産物ではないと」
「王立学術院の文献を引用して証明します。実はこの反論は、半年前から準備していました」
半年前から。エミルはこの日が来ることを予測していたのだ。学者の先見性か、共犯者の用心深さか。
「第四に、リリアーヌさん」
リリアーヌが顔を上げた。
「あなたには辺境に残っていただきます。何があっても辺境を離れないでください」
「でも——セラフィーナ様が——」
「私が法廷で戦えるのは、あなたがここで安全でいてくれるからです。あなたが教会の手に渡れば、私の戦う理由がなくなります」
リリアーヌの目から涙がこぼれた。しかし頷いた。強い頷きだった。
「わかりました。待っています。ここで待っています」
ヘルガが立ち上がった。
「あたしはここを守るよ。ギュンターと二人で、この辺境を回す。あんたが帰ってくる場所を、綺麗にしておく」
「必ず帰ってきなさい。あんたの席は空けておくから」
ヘルガの言葉が胸に染みた。前世では「お前の席は空けておく」と言ってくれる人はいなかった。倒れた翌週には、別の人間が座っていた。
ギュンターが渋い顔で言った。
「三十年前と同じ手口だ。教会と商人が手を組んで辺境を潰す。あの時は誰も止められなかった。エリザベート様を守れなかった。しかし今度は違う」
老商人の目に、四十年分の悔恨と決意が燃えていた。
「今度こそ守り切る。帰りを待つ」
ヨハンが静かに言った。
「お供いたします。セラフィーナ様」
「ヨハン。危険ですわ」
「危険でないことは、今まで一度もございませんでした。従者は主の隣にいるものです」
迷いのない声だった。この男は最初から、そのつもりだったのだろう。婚約破棄の日も、辺境への馬車旅も、帳簿の夜更かしも。全て隣にいた男だ。
出発は三日後と決まった。王都まで馬車で十日。裁判の日程は二週間後。ぎりぎりの日程だ。
会議が終わった後、ナターリアがセラフィーナの部屋に来た。密書で知らせてきた「ヴァルトシュタイン家の関係者」について、もう一つ情報があるという。
「姉上。ナターリアの手紙の侍女グレーテル——母上の元侍女のことを覚えていらっしゃいますか」
「ええ。手紙の仲介をしてくれた方でしょう」
「グレーテルから最後に来た密書に、こう書いてありました。『旦那様は教会の要請を三度断った。しかし四度目に折れた』と」
三度断った。父は最初から教会側についていたわけではない。三度拒否した上で、四度目に屈した。何が変わったのか。
「さらにグレーテルはこうも書いています。『旦那様は書斎で、夜中まで何かを書いておられる。手紙ではない。もっと長い文書を。焼いては書き直しておられる』」
焼いては書き直す。何を書いているのか。誰に向けた文書なのか。
「父上は何かを準備しているのかもしれません。教会側か、それとも……」
ナターリアの声が不安に震えていた。しかしその目は真っ直ぐだ。父を恐れながらも、真実を見つめようとしている。
「わかりません。しかし法廷で会えば、わかるでしょう」
セラフィーナは妹の手を握った。小さな手だ。しかしこの手は、もう震えていなかった。
セラフィーナは執務室の窓から外を見た。復興が進む辺境の街。城壁の修繕。鍛冶場の煙。薬草園の畑。この景色を守らなければならない。
ゲームの処刑イベント。大法廷。断頭台。前世でプレイ動画を見た時は、「ひどい展開だな」と思っただけだった。画面の向こうの出来事だった。しかし今は自分がそこに立つ。
ペンを取った。レオンハルトへの返書を書く。
『レオンハルト。
出廷します。逃げません。帳簿を全て持っていきます。法廷を私の経理部にしてやりますわ。
追伸。リリアーヌさんの蜂蜜菓子を差し入れとして持参します。法廷の休憩時間に』
最後の一文は冗談だ。しかし冗談を書ける余裕があるうちは、まだ大丈夫だ。
封をした。鴉便で送る。鴉が窓から飛び立つのを見送った。王都へ向かう鴉の影が、夕空に消えていく。
三日後に出発する。ゲームの処刑イベントの舞台に、自分の足で向かう。前世では処刑の前に逃げ出す選択肢があった。辺境に引きこもり、教会の手が届かない場所で生きる選択肢も。しかしそうすればリリアーヌが犠牲になる。この辺境が犠牲になる。
前世の佐藤凛は、逃げることも戦うこともできずに壊れた。今世のセラフィーナは戦うことを選ぶ。帳簿を武器に。仲間を背に。




