終ノ話「かわら版屋とあやかし同心」
「あーこりゃあ全部焼けるなぁ……」
「何を、呑気、に……」
牛込邸を逃れた二人は、少し離れた場所でその燃える様を眺めていた。ぐったりした様子で大きく肩で息をする本村に対し、惣助は涼しい顔である。
「やー、すみません、私運動が苦手で」
「逃げる、くれぇ、てめぇでやりやがれ……」
牛込邸を出る際、惣助の足が遅いのに見かねた本村が、彼を小脇に抱えて全力でここまで走ってきたのだった。
「危うく火消しとカチ合うところだったじゃねえか……」
「あはは、すみません。……それにしても、凄い一撃でしたねぇ。大上段からの一撃と見せての潜り込んで心臓を一突き、よく思いつきましたね」
「人間相手なら苦無や千枚通しみたいなもんでやるんだがな。あの図体なら神刀が丁度いいかと思ったまでだ」
「本村さん、お生まれは?」
「俺ぁ多摩だよ。……師匠は甲賀だけどな」
「……なるほど」
「そういうお前さんは」
本村が今度は惣助に尋ねる。
「賀茂、って言ってたな」
「……むかぁし、ね。私のご先祖は、それこそ鬼に魅入られた賀茂の末席だったそうですよ。おかげで幼い時分から色々とやらされたもんです。ま、今になって役に立つってのも皮肉ですけどねぇ」
「……もしかして、あやかし専門のかわら版ってのも」
「ああ、いや、あれは」
訝しむ本村に、惣助は無邪気に笑ってみせた。
「ただの趣味ですよ」
言われた本村は一瞬きょとんと呆けたが、やがてくくく、と小さく笑った。
「まぁ、お前さんらしいやな。……さて、この神刀だが」
「本村さんが持っていてください。お狐様がそのお姿になられたということは、しばらくは元には戻りませんよ。もっとも普段遣いには出来ないでしょうが」
「白鞘だしな。それに刀身が光るってのも普段の差料には使えめぇ」
「……正直、またこういうことが起こる気がするんです」
そう語り始めた惣助の顔は、普段より随分と引き締まっている。
「今のように町の噂話に過ぎないモノじゃなく、まだあやかしが本当に怖い存在だった頃。その頃のあやかしが次々に蘇るような、そんな気が。例のお社に封じられているという古の鬼がどうなったのかも気になるところですしね。……それに、ざわつくんですよね、最近」
「ざわつく?」
「こう、胸のあたりがね。何かが起こる前のような、なんとも言い難いですが」
「……なるほどな」
「さて、忙しくなるなぁ。次のかわら版はまた稼げそうだし」
「余計なことは書くなよ?」
「分かってますよもちろん。稼いだら今度は私が奢りますね、お多恵ちゃんの店で」
「! お、おう」
惣助のからかいに辟易しながらも本村は、彼の言うのも分かる気がする、と感じていた。
牛込邸を包む青い炎はいつの間にか普通の赤い炎になり、町の火消したちによって収束に向かっていた。
そうして本村と惣助は、近々お社跡を検分しに行こうという約束をし、その場で別れたのだった。
――――
翌朝のことである。
「ほんむら。ほーんーむーらーっ」
「ん……」
「我、腹が減ったのじゃ。ねーほんむらってばー」
「……なんだ、ちょっと待て……って!!」
「ん?」
本村の目の前に、まだ少女と呼んでもいい頃合いの女が一人。くりっとした大きな目を布団の中からのぞかせていた。
「誰だお前はぁぁああーーー!!」
そう叫んで布団から跳ね起きるが、そこで本村はまた叫ぶことになった。
「はっはは、裸ぁぁぁ!?」
「ん、当たり前じゃろ?」
女は何が悪いのかさっぱり分からない、という体で、布団にぺたりと座り込み小首をかしげている。
「猫は服など着るものか。見たことあるか? ほんむら」
「い、いいいいから何か着ろっ! なんなら布団でも被ってろっ!! っていうか猫ぉ!?」
「うーるさいのぉ」
ぶちぶちと文句を言いつつも、自らを猫と呼ぶ女は布団を被り、首から上だけをちょこんと出した。
その様子に本村がつい「可愛い」と呟いてしまったのは致し方ないといったところだろう。背中につくくらいの髪は乱れ、まるで狐か猫の耳のような形に寝癖がついている。
「これでいいかの?」
「お、おう……いや、いいわけじゃねえよ!? お前さん、一体どこの誰なんだ? ていうか猫って言ったか?」
「うむ。昨日は我を散々抜いたり差したり」
「人聞き悪いな!? それに俺ぁ昨日ずっと……! そうだ、神刀は!?」
そう叫んだ本村は、床の間に飾ったはずの神刀が消えているのに気づいた。
慌てる本村に、女が楽しそうな声で話しかけてくる。
「そんなとこにはないぞー。我がその神刀なんじゃもんね。というか早く我の銘を打つがよい」
「じゃもんねじゃねえ馬鹿もの、ふざけてる場合じゃ……え? 今なんて?」
「銘を打つがよい。まだ決めておらぬのじゃろ? 銘はそのまま、この姿の名としても使うからの」
「え、じゃあお前さん本当に……?」
「うむ。我こそ昨日、神刀と化したお社の主、人呼んでお狐さまの憑いた猫じゃ」
そう言ってしたり顔をしつつ胸を張る。と、被っていた布団がはだけた。
「あ」
「んなーーーーーっ!! ちちぃぃぃぃいぃいっ!!」
「もー、ちちの一つや二つでそう騒ぐでないわ。自分で言うのもアレじゃが、さほど大したもんでもなかろ? 生前などほれ、放り出したまま往来を闊歩しとったというのに」
「生前って……お、お前さん、本当に? ていうか女だったのか⁉︎」
「証が欲しいか。じゃあほれ。我の尻を見るがよい」
「見られるかっ!!」
「布団越しでよい。そこから何か出ておらぬかの」
「出てるって何が……!」
果たして布団の向こうに本村が見たものは、キジトラ柄の長い尻尾が二本。
「ね、ねこまた……?」
「そうすけというはぐれ陰陽師がいうたであろう。我はお社の狐と憐れにも無残に殺された猫のまじりもの、そういう猫又もおるということじゃよ」
「マジか……」
「と、言うわけで、しばらく世話になるぞ。そうさな、お主が死んだらば我もまたぶらりと旅などしようかの」
「マジか……」
「ところでの、ほんむら。我、腹が減ったのじゃが」
「マジか……」
「ほんむら?」
とうとう反応すらせず呆然とした表情の本村に、女は布団をはだける。彼女の首に巻き付いた青い首輪の鈴がちりん、と涼やかに鳴った。
「ほれ」
「うわあああっ! いいから早く何か着ろぉっ!!」
「腹がへったのじゃが」
「わかった、わかったからっ!!」
「しかしあれだのう、使用人の一人もおらぬのだの、この家は」
「住んでるのが俺だけだからだっ! ちょっと待ってろ、飯の前に妹が着てたのを持ってきてやるからっ!」
「手早く頼むぞ。じゃないと我、腹が減ってこのまま小躍りしちゃうかも」
「しちゃうんじゃねえよっ! あーもー!!」
時は徳川の代、ところは江戸より少し離れた宿場町。
そこにはかつて、人知れずあやかしを暴き、時には戦い、時には護り、人とあやかしが共に歩む時代を目指した者たちがいたという。
だがそれは、正史として残ってはいない。
――それを識るものは、いずれのお社に住む狐ただ一匹だけという話だ。
かわら版屋とあやかし同心 第一章「化け猫」 完
この作品は秋月忍先生主催の「和語り企画」参加作品です。
この続きは、またいつかどこかで。
お楽しみいただき、ありがとうございましたー!°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°





