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ちょっときいて  作者: 矢久 勝基


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体罰ってヤツ

 先日、体罰について意見を求められた。ついでなのでここでもつぶやいてみたいと思う。

 ただ、いじめとか体罰とか、この辺の話題については非常に曲解や勘違いがされやすい分野だと思うので、内容如何で途中で読むのを投げ出す可能性があるのなら、初めから読まないで頂きたい。


 わたしは、体罰が必ずしもいけないことだとは思っていない。

 むしろ体罰をすべて一緒くたにして犯罪のようにいう今の風潮……決していいものではないと思っている。

 これも先日のことだが、わたしは小学生にカラまれた?ことがあった。

 自転車でするすると走っていたら、脇から飛び出してきた彼は、激突針路上で急ブレーキをかけ、ありったけの声で「あぶねーだろ!!」と叫んだ。

 矢久も大概に子供なので、カチンときた勢いで自分の自転車を蹴り下りて、「おめぇ、今何つった?」と凄みをかけると、少年は"まさか"オトナともあろう者が反撃に転じることなどないとタカをくくっていたのだろう。信じられないという表情を浮かべながら、唇を真っ青にして必死で謝った。

 そのため、話はそれ以上の大事には至らなかった。

 ……とまぁ、そんな矢久のイタイ話。(苦笑)


 実際にどっちが危なかったかとか正しかったかとか、そんなことは論じないし、小学生に本気になるイタイ大人の矢久に笑ったり怒ったり、軽蔑する者もいるかもしれない。

 別にどう思ってもらっても構わないのだが、一つ言える事は、少年はその時、"論議できる余地も、喧嘩をする勇気もなかったのに、かないそうにもない相手に吼えてしまった"危機管理のなさがあったことは間違いない。


 この危機管理のなさというのは、わたしは今の教育のあり方に端を発していると思う。

 いつからか体罰の問題が取り沙汰され、"どんなことがあろうとも体罰はいけない"という風潮が当たり前になっている。わたしは現在、子供と接することも多い生き方を送っているが、そのせいもあり、オトナというものはどんなに噛み付いても危険のない生物だ、と勘違いして、まぁ言葉を選ばなければ、大人をナメてる子供も少なくない。


 いいのだ。実際、大人と子供ということと人間の優劣は別だと思っているし、子供は大人に従わなければならないという理屈がダイキライだった矢久は、小さな頃から大人に対して非常に反抗的だった。

 しかし、先ほど登場した少年との決定的な差は、どこまでがセーフでどこからがアウトかを把握していたことだろうか。

 彼はあの時、正直危険だったと思う。あの場面でわたしはあの子を一方的にぶん殴ることもできたわけで、そういう可能性を予測できない行動をとるという時点でアウトだ。同じ反抗をするにしてもその方法は限りなく危険なわけである。と、大人に反抗ばかりしていた矢久は言う。


 話を戻せば、今、大人は子供に対して、完全に体罰を封じられてしまっている。

 わたしの少年時代は、体罰なんて結構当たり前で、繰り返すけどナマイキな少年だった矢久のことを、会えば難癖つけて殴ってた教師もいる。

 つまりよく殴られた。しかしその中で、わたしは"納得のいく体罰"と、"納得のいかない体罰"というものが厳然とあることを知っていた。今でも、教師たちにどのように殴られたかは結構覚えているが、納得できる体罰について、わたしは今でも「よく、ちゃんと怒ってくれたな」と感心する。逆に納得いかない体罰(叱責も含め)については、今でも目の前に座らせて事情を聞きたいくらいだ。

 つまり、その頃の子供は、ちゃんとその体罰が道理に合うかどうかを考え、見分けていた。

 今はどうだろうか。手を上げることそれ自体が悪だと嫌って、無闇にシャットアウトしていないか。


 つまり、体罰も信頼関係なのだ。

 ちゃんと信頼の置ける教師から納得のいく体罰を受ける分には、少なくとも殴られるのが日常だった矢久は納得ができた。大人だって子供と同じように腹を立てることを肌で知っていたし、そして怒り出せば、少なくとも子供では太刀打ちができないことを知っていた。

 サバンナで、大型の肉食獣から逃げ切る手段を知らない草食動物はいないが、体罰のない今、子供たちはまるで天敵のいない荒野を、逃げる手段も知らずに闊歩する小動物のようだ。

 まぁ、平和がさせていることなのだろうが、その危機意識のなさをこそ、モラルハザードというんじゃなかろうか。

 核物質を扱うかのように厳重に守られて育ってきたことは、後の重大なリスクを抱えることでもあることを、ゆめゆめ肝に銘じなければならない。


 体罰がいけないんじゃない。

 体罰もやむなしと言えば、途端に度を越す馬鹿がいるからいけないのだ。

 道理に合う体罰と合わない体罰を見分けることのできなくなった馬鹿がいるのもいけないし、そうなった時真相も見極めず、なにかと訴訟訴訟と騒ぎ立てる馬鹿がいることもいけない。

 つまり、やるほうにもやられるほうにも馬鹿がいるという事実が、「じゃあ、やむをえない場合は体罰オッケーな世の中を復活させましょう」と言えない世の中を作り上げているのだ。

 一部の馬鹿のせいで、体罰をすべて悪としなければならなくなったその状況こそが、一番悪なのだと思う。

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