物書きのプライド
三月十七日の日経新聞の記事に、
『某写真コンテストで最優秀賞に選ばれた作品に批判が殺到し、同センター(主催者)は十六日までに賞の取り下げを決めた』
との記事が載っている。(引用:日本経済新聞)
実際どのような作品かなどを細かく掲載すると読者の目が別の方向にブレるし、わたしは芸術そのものに良し悪しの評価はしたくないので控える。
それより問題にしたいところは『最優秀賞に選んだ作品を、批判が殺到したから、取り下げた』部分だ。なんだか本当に現代ってモノを象徴しているようでいやだ。
芝居関係の方に伺った言葉に
「舞台の最中にもらった感想や批判はすべて無視しろ」
というのがある。
少し補足すると舞台というのは数日間にわたり一日一回から三回の公演を行う。当然舞台と舞台の間には休憩時間があるから、その間に会う他人にいろいろなことを言われるわけだ。
その感想がたとえ「こうしたほうがいいよ」というアドバイスだとしても、終わるまでは無視をして、終わってから考えろ……というものだ。
いわく、「そうでないと演技がブレてしまう」のだそうだ。まぁわかる。本番までの長い道のりの中で自分に葛藤しながら作り上げてきたキャラクターは、他人の軽い一言で早々変えられるものではあるまい。それを無理に行えば一貫性のないおかしな人間が出来上がってしまうのだろう。
それは、物語の作品にも言えることだと思う。
最近は瞬く間に情報が日本全国を駆けて、その反響が一瞬で日本全国から返ってくる世の中だ。企画の段階ですでにその作品は終わったのかと思えるほどの意見が集まり、一般の方々の動向を見るのには事欠くまい。
しかしそれに踊らされて、その作品における根幹のテーマすらブラしてしまって本当に良いものが出来上がるものか。
大事なことは自分の描いた作品に誇りを持つことではないのか。誇りがもてるまで作り上げることではないのか。描きたい物、描きたい世界があるから文章を、物語を描いてるのではないのか。
ならばそうそうブレないものじゃないのか。
だが、今はそういう時代じゃないんだな……と思える象徴的な事件が、冒頭の記事だ。
新聞には問題となった作品も掲載されていた。
確かに見方によっては『不謹慎』と思える作品だ。だがそれが良いと思ったから出品して、良いと思われたから最優秀に選んだのだろう?
他人にちょっと水を差されたくらいでその信念を曲げるのなら、初めから出すな選ぶなと思う。
というか、実際そこに『信念』などはないのかもしれない。それが、今の傾向なのかもしれない。だから簡単に取り下げられるし、辞退できるのだろう。
売り上げ、他人の評価、ブランドのイメージ……最近はそればかりを気にして作品(文章に限らず)が出来上がっている。もちろんそれをすべて無視するわけにはいかないだろうし、誇り(プライド)じゃメシは食っていけない。
わかっちゃいても、他人の意見に振り回されてる企画を見る機会を最近多く見るにつけ、ゲイジュツってヤツの死亡を感じるヨネ。
なお、作品描くなら人の意見はまったく聞くなっていう話じゃない。
プライド持とうよ。持てる作品を描こうよ。他人に流されすぎないでさ……って話。




