200稿目、駄文
200稿目じゃん。っつーわけで、100稿目が駄文だったんで、100の節目に駄文でもいいか。
『ウクライナがんばれ』については相変わらずいいたいことはある。
しかしウクライナに関しては、ただロシアに対する愚痴を述べても建設的ではない。相変わらずロシアという国は恐ろしいほどに独善的な顔をさらけ出しているが、ただそれを批判するだけなら、俺でなくともそんな記事はインターネットに溢れてる。
まぁしかし、アレだよな。『ウクライナがんばれ』とは思いつつ、ウクライナが現在受けている支援って、ちょっと常軌を逸してるくらい破格だと思う。
同盟関係があるわけでもなく、特別な力があるわけでもない。そんな国がロシアという大国相手に三ヶ月も戦闘を繰り広げていられるのは奇跡だ。
プーチンがイラついてスジの通らないことを吐き散らしてるのも分からなくないよ。だって、いったい誰がこうなると予測しただろう。そしてこの奇跡は、いつまで続くものだろう。
個人的には「ウクライナの領土をすべて取り返してから停戦交渉」というゼレンスキーの考え方には賛成で、逆に言えばそれよりも低い目標を持つべきではないと考えるが、なにせ今の戦況が奇跡の上に成り立っているだけに、危うさを覚える。
まさにカミカゼの吹いているウクライナ。ロシア軍が吹き飛ぶまでこの風は吹き続けるのか。……わりと祈るような気持ちだ。
てか、他人のことばかり祈ってる場合でもない。
200稿目を迎えて、初稿の掲載日を見りゃ2015/06/15と書いてある。つまりあれから七年も経過したわけだ。『小説家になろう』初投稿はその約一年前だから八年。
おいおい、もうそんなか。無聊を託ち八年。何の前進もないとは恐れ入る。
まぁしかし、前項のトレンディドラマの、あれがトレンドだというのなら、俺には今のトレンドの良さが分からない。トレンドの良さが分からない人間にトレンドを追随することはできず、トレンド以外を排除する世の中の流れの中で俺の作品が受け入れられないのも、分かる気がする。
それとは別に、最近は映画を倍速で見たり、飛ばし飛ばし見たりする連中が増えてるらしい。
まぁあえて批判はしないけど、こういう人種には俺の作品は響くまい。それが時代の流れだというのなら、俺は時代の流れに沿った作品を描く自信などはないし、小説の新人賞もそういう基準に準じるなら、賞が取れるとは思えない。
というわけでそろそろ白旗だ。
俺自身は小説を描く年齢的リミットを決めているからその日までは描き続けるが、もうそろそろ、出版社のために描こうとすることは諦める。しかしその上で、すごい作品を描いてやる。
それで……この時代を笑ってやるのだ。自分が満足した時、俺はこの時代を、それはそれは楽しく笑うことができるだろう。
ウクライナの人々を思うと、今ある幸せを前提にしてこんな夢が持てて、贅沢だと思う。
しかし、俺も俺で自分の人生を全うしなけりゃならない。ウクライナの人たちには悪いけど、俺はまだ、人生が退屈で仕方がない。
だから諦められない。……なにを?
……自分が、笑うことをだ。
この退屈から抜け出して、俺は必ず人生を笑う。
少なくともここに来てから八年。その気持ちは強まる一方だ。こんなに退屈させた借りは、必ずあとの人生で返してやろうと思う。
<おもしろき こともなき世を おもしろく>……さぁ、この下の句はなんだ!?




