イマドキの売り出し方
これは「なにを今さら……」な記事かもしれない。でも、時代の流れに鈍い私が、ようやくたどり着いたところだ。
今回直木賞を獲った佐藤究さんという人は、作家としては相当苦労人のようだ。今もアンチも多いのかな?
知り合いがそういう苦労話を切々と語り、「直木賞を獲ってもなお酷評される彼の作品だから読んでみようと思う」と言ってたのを、「ふーん」と聞いた。
最近、私の端末のyoutubeで「あなたのオススメ」に並ぶのはアメリカのスターを生み出す番組『America's Got Talent』だ。この番組には夢を追いながら七転八倒する私みたいなのがたくさん出てくる。技術のすごさももちろんだが彼らの必死さと、その必死をいろんなリアクションで受け止める審査員のやりとりが私の胸を打つ。
一つの動画が六分とか九分とかなので、何かの合間に見るのにはちょうどいい。
この番組もまぁ結局はエンターテイメントだから、多分に演出じみている時もある。
特に、その人物に困難な背景がある場合……例えば病を患っていたり、友人を理不尽に失っていたり……それを前面に押し出し、「こういう背景の人が精一杯頑張るから評価をあげたいのだ」というシナリオの元、感動を作り出しているケースがある。……と言ったら怒られるだろうか。
いや、もちろん実力もあるんだよ?
すごいなと思う。だけど、すごいのなんか、誰もがすごいのだ。たまに思い違いをしてる出演者もいるのだけど、基本的に、実力にどういう差があるわけでもないように思う。
その中でも、悪くいえば審査員の評価が甘くなる瞬間がある。それは、人物の背景が、作品とリンクした時に起こる。
冒頭の直木賞作家の話を知り合いが読もうと思ったのもその人物の背景を知ったからだし、これは『小説家になろう』で活動している人の多くは自然とやってることなんじゃないだろうか。
知り合いの作品だから読み、評価する。その人をよく知っているという意識が、評価を甘くする。
悪いと言ってるわけじゃない。実は最近のモノの売り方というのは、つまりそういうものなんじゃないかと思い始めてきた。
つまり作品を売りたければ、作品以上に背景にいる人物の人となりが必要なんじゃないか。
例えばまったく同じ作品でも、ガン患者が「ガンです」と明かして公開する物語と明かさずに公開する物語では、読者のとっつき方が違ってくるってこと。それが必ずしも病気とは限らないが、今は前者であることをも広告の武器にしているきらいがあるのではないかと。
「こういう人の描く、こういう作品だから、感動できる」
これが今時代の感動であるなら、作品を売るにはその著者自身の物語が必要になってくるということになる。もっと言えば、それが読者への働きかけとなれば、この際作品の質は二の次となってしまうのが現代なのではないか。
作品に、その筆者の背景を絡めて売っていく手法。SNSが、それをたとえ一般人でも有効にしている。
……売れない作家はそんな分析をしてしまうけど、それがイマドキのマーケティング戦略となるのなら、「俺自身と作家矢久勝基は別の人間だ」などと普段から豪語している私にとっては、これまた頭がいたい。
私のことなどどうでもいい。作品が有名になればいい。作品が超有名になっても、誰も私の顔すら知らないくらいの方がいい。
小説家は、小説が顔なのであって、作品の質で勝負ができればそれでいいのだ。それ以外のものはすべて雑音でしかない。
別に天才でもない。大した作品も描けないのに、そういうことばかりは思う。
でも、願わくば新人賞を獲ったとしても顔出しNGでお願いしたいし、直木賞が獲れたってウィキペディアでも参照できない小説家となりたい。テレビ出演など絶対にするもんか。私は文章だけで矢久勝基という人間を成立させたいのだ。
さぁ、時代はそれを許してくれるだろうか。……やはり潰されるだけか?(苦笑)




