独り言
『ちょっときいて』といっても、基本的にはヒトリゴトを並べ立てるコーナーだ。ことさらに"独り言"という題名をつけるほどのこともないが、ウダウダ書きたいので今日はそんな題名である。てか、もはや『ちょっときいて』な内容でもないため、『ちょっときいて』と分ければいいのだが、他人にはどうでもいいことだろうからこのままでもいいかといったところだ。
そういう人種のためにツイッターというものは存在しているのかもしれない。
しかし、俺がいいたいことは140文字では到底納まらないし、リツイートがほしいわけでも支持者がほしいわけでもない。ただ、モノを書くエネルギーだけがいつまでも収まらない俺が、日記の代わりに書きたいだけだ。
そんなものが世界中で閲覧できる状態にできる今日この頃。……自分のことを棚にあげて、冗談抜きに害毒だとも思う。
このたび長編作品を仕上げた。一つ前の作品の完成が今年の6月29日だったから、それから4ヶ月近くかかったのか。11万3千文字作品だから、そこまで遅筆でもないかもしれないが、自分としてはこれほどに時間のかかる内容ではない。大したこともないんじゃないかと思ってしまう。
負けて負けて負け続け、自作品に対する自信やプライドのようなものなど、どこかになくなってしまった。
面白い、はずなんだ。作品が完成した時、必ずそう思う。
逆に言えばそういう水準まで行かなければ"完成"とはならないわけで、完成したからには面白いものに仕上がっている。俺は自作品に対して、いつもそう思っている。
しかしそれがとんだナルシストであることが、どこにも通用しないことで自明となっている。
負け癖が高じて、自分の面白いという感覚が疑われる中で、胸を張って自作品の良さを伝えることもできず、あれが悪いこれが悪いと自分以外の何かのせいにして、卑屈に歪む心はハリネズミのように他者との付き合いを億劫にしてゆく。
結局協力者や応援者とも疎遠になって、終いにゃ一人になって、"独り言"をつぶやくだけの害毒となる、と。
おまけに金もねぇときたもんだ。今日銀行に支払いに行ったら矢久家は1万円のない家になってしまった。
政治家の都合で俺の事業はいとも簡単に制限されてしまう。度重なるコロナ政策が直撃して、娘二人抱えて蓄えは底をつき、その挙句に『命を賭けて選挙を戦います』と騒音公害よろしく叫ばれても、「お前らの命でうちの娘の命が賄えるモンなら死んでみろや」としか思えない。
このように、あまりに過度な負け癖は、精神のすべてをすさませてしまうものだ。
てか同情すらされたくもない。
「大丈夫?」……「大丈夫じゃない」と答えたら、何かが変わるのか。
もういい加減死んでもいいと思う。結構長く生きたし、作家の夢はともかく、ほしいと思うもので一生絶対に手に入らないものがあることも分かってしまった。
どうせこれから、俺にとってはもっともっと住み辛い世界になっていく。マイナンバーカードとか、いずれ強制され始める気配がするだけで、『時代の孤児(自作の短編)』かよといいたい。
本当に、本当にくだらない世の中。ニセモノたちが我が物顔で講釈垂れて地ならししてる世の中。
蝶の羽でも借りて、しょんべん引っ掛けて、やり逃げでオサラバしたくなるわ。
「じゃあ死ねよ」と思う。思わないか?……ガキが、死ねるもんなら死んでみろと。
本気の本気でそう思えたら、怖いものなんて何もないはずだ。
描けるなら、死んでもいい。死ぬほど描いて、死ねたらラッキーじゃないか。死んでもいいんなら。
そういう気概で作品を描けばいいじゃないか。死ぬほど描いて死ねばいい。
それもできないやつが軽々しく死を口にすんなと。誰よりまず、俺に語りかける俺がいる。
その境地まで達することのできていない俺が一番くだらない。
今、一作品を描き終えた。しかしそれは、自分の死に値する作品などでは到底なかった。イキテルシネ(苦笑)。
でも次こそは……今度こそ、描き死にできる作品でありますように。
死んでもいいから、次回作が矢久勝基の代表作だと本当に胸が張れる作品でありますように……。
その代表作が、世界を震撼させるようなものでありますように……。
もっともっと燃えたい。燃え尽きていいから。




