世間とのズレ
とある人に、とあるアニメ作品を勧められた。「話題作だから見てみろ」と。
私はそれを見た。題名も内容も明かさない。私は決して、それがいい作品だとは思えなかったが、その作品に対する批判をしたいのではないからだ。
設定等は興味が惹かれる部分もあった。なんとなく"話題作"に共通するところで、冒頭は興味深いものも多い気がする。
しかし、それでいて私ががっかりする一つのパターンとして、後半部分が前半部分で設定した"興味深い設定"を充分受け止めとめきれず、「なにこれ」というエンディングを迎えることだ。竜頭蛇尾という言葉があるが、まさにそれ。
最近……といえば、最近なのかもともとの傾向なのかは知らないが……そういう傾向が増えていないだろうか。「おっ」と気を惹く冒頭で注目を集め爆発的に話題になるが、ぶちまけてみた問題提起に筆者自身もそれほど奇抜だったり建設的だったりする答えを持たず、"なんでもない作品"として終わっていくという……。
それでも前半の話題性で逃げ切れれば勝ちなのか、そういう作品が後を絶たない気がしないでもない。
今、そういう戦略が王道なのかもしれないとか思う理由として、web小説投稿サイトの作品について、こんな言葉を聞いたことがある。
「"読めば分かる"は通用しない」
つまり、ずーーっと最後まで読んで、「なるほど確かにこういう話は面白いわ!」は通用しないぞということだ。
そういうことなのかもしれない。ラストが一番盛り上がる話というのは、ユーザーが飽きっぽい今の時代では人を惹く要素にはならないのかもしれない。
まぁしかし、こちとら起承転結、最後のオチに命を賭ける古い作家様(笑)だ。竜頭蛇尾の作品をラストまでみて「すばらしい作品だった」とは言えず、冒頭紹介したアニメ作品も、小さな奇跡と、その顛末を見せられた時、すっかり興ざめしてしまっていた。でも、それはいい。ただの個人的な見解だから。
私はその作品を勧めてくれた人に、長い感想を送った。この物語がどうしてダメなのか。どの部分が安易で、どうして面白くなりきれなかったのか。
そしたらその人が「じゃあ世間がなんていってるか、ツイッター見てみな」と返答してくるので、言われたとおりにしてみた。ら……
……驚いたことに、ツイッターに見られる文言の多くはべた褒めなんだ。
「これはすごい」「傑作だ」「ラストまでノンストップだ」「見た人と語り合いたい」etc....
ついでに、私が作中でもっとも不愉快だったキャラクターが一番人気というのもオドロキだった。この物語のどこにそこまでの賞賛を浴びせられるのかと問いたいけど、ツイッターはつぶやきだけに、私が書いた大学のレポートのような詳細は一切書かれていない。
でも彼らにしたら、それら賞賛の一言で、この物語を語りつくしているのだろう。
私は、これほどにズレている。
世間が感激してやまないものに、冷たい視線しか送れない自分は感激を忘れてしまった老害なのだろうか。
彼らに私が真っ向から理由を聞いたらちゃんと答えてくれるだろうか。
「うるさいアンチが……」と言葉尻に揚げ足を取って、論点と違うところで批判する図も容易に想像できるけど。
しかし、作品を紹介してくれた人はこうも言っていた。
「こういう人気を経て、この作品は何がウケたのかを分析するようなアナタのような人たちが何人も集まって、よりその色を強めた作品を世に送り出してみると、……売れると思うでしょ? ……それが売れるとは限らないから、世間は分からないんだ」
……そうだとすれば、クリエイターとユーザーというものは、もともとズレているものなのかもしれない。
『小説家になろう』とかはそういうところが、時代にマッチしていたのかもしれないよな。もともとユーザーであった素人作家が流行モノを描くのだから、ズレが少なかった。
でも、だから、web小説投稿サイト発で、長く続くプロ作家も少ないのかもしれないとも思う。
ズレてズレて……世間様とズレたまま、私はいつか傑作を生み出すだろう。
それは、矛盾なのだろうか。それとも覇道として存在する選択肢なんだろうか。
やるぞ!……という気持ちと、先日書き連ねた"作家の寿命"の狭間で、一人焦る日々だ。




