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 中空で粉雪が舞っている。

 純二の尾行をしながら、それにしても、と後藤は思った。

 圭と後藤の前に現われた二つの霊のことである。双方ともに四百年前の海難事故に関わっているのは確かだが、圭とユリの父の前に現われた年老いた霊と、中年の紳士然とした後藤の霊とではあきらかに違う。

 また後藤は、なぜ圭に成り代わる必要があったのか。べつに圭でなくとも後藤本人でもよかった気がする。それをどうして、わざわざ紛らわしい成り代わりをしてまで圭を演じなければいけないのか知りたい。前世の記憶も、魂の知識も曖昧なので分からないが、後藤のままでは解決しない何かがあるのだろうか。

 のみならず、この先何が起きて、何が変わるのか。謎の霊は、切り拓くことによってカルマが克服されると言ったが、果たして閉ざす過去が分かったからといって、ほんとうに未来が変わるのだろうか。

「君は、僕と圭のことをどこまで知っているのだ」

 後藤は聞いた。

 涼子は相変わらず答えにくそうな表情を見せていたが、顔にかかる雪を手で払うと話し出した。

「ほんとうは、過去の後藤くんたちに命を助けてもらったことしか分からないの。それによって偶然だと思うけど、あなたたちの過去の名前と現在の名前をかろうじて知っている。だからといって、それ以外の人たちの名前や目的は分からない」

「僕が、君の命を助けた?」

「正確に言うなら、四人かな。私は母と救命ボートに乗る順番待ちをしていたのだと思う。けど無法地帯さながら、横暴な割りこみの連続で見る間に隅に押し退けられてしまった。そのとき通りかかった四人が、見かねてボートに乗せてくれた」

「僕らで間違いないの」

「そうよ。だって有り有りと情景が浮かんだし、魂で感じたんですもの。後藤くんが気がつかないのは、頭で考えすぎるからだと思う」

「考えないで分かるのなら、とっくに悟っているはずだが」

「ううん、思考と感覚は違うわ。まして五感以外の六感だから」

「では君の意見を尊重し、考えないとして、どうしたら君みたいに理解できるようになる」

「それを知るには大切なキーワードみたいなものがあって、共鳴されるだけで、ほぐれた紐が自然に取り出せるの。私のは、何本も絡んだ紐の中でも特に短かったみたい」

「キーワードか。僕にはその糸口すら掴めない」

 と肩をすくめたとき、よぎるものを感じた。「もしかして、紐の数は十四本なのか」

「直感ではなくて推測ね。誰かから聞かされたことがあるんでしょ。でも当たっているような気がする。本数は数えなかったけど、すでに七本がほどかれていて、残りが複雑に絡み合っていた。そしてそのうちの三本に鋭利な棘が見えた」

「ノブとテツに違いない。だが、もう一人は誰だ」

「後藤くん、以前私に言っていたよね。夢のことを」

 涼子が、唐突に矛先を変えてきた。

「ああ、雪山で自殺をしようとする少女の夢だ。最初は暗がりで悲鳴を上げていた」

「残りの一人は、その加害者だと思うわ」

「少女の? 君は、知っているのか」

「私も、暗がりで悲鳴を上げていたことがある。その人は四百年前、最終的には救出されたのに私が助かったことを恨んでいた」

「ならば君が暗がりの犠牲者なのか。ユリという女性だとばかり思っていた」

「ううん。ユリさんも犠牲になったような気がする。四人のうちの一人だったから」

 涼子が唇を噛み締める。「女を標的にする卑怯な男だった。たぶん記憶が覚醒していたのだと思う。小学生のときに報復されたわ。車で拉致されてさんざん悪戯されたの。車のナンバーを覚えていたので母に言ったら、その人は大手食品会社に勤務するエリートだった。でも両親は私の将来を考えて、警察に通報しないで示談にしたの。とうぜん相手は離婚したみたいだけど、私の心の傷はふさがらなかった。なぜって、両親が案じたのは私の未来ではなくて、世間体だったから」

 知らなかった。後藤は自分にその記憶がないのがもどかしかった。

「カウンセリングをくり返して、やっと傷を癒すことができたの。後藤くんに出会えたからかもしれないよ」

 涼子の目が赤い。言葉をかけてやりたくても、後藤には、どのような言葉を投げかけていいのか考えつかなかった。それほどの秘密を涼子は話したのだ。

 だったら涼子へ、変わらない思いを示さなくてはいけない。後藤は涼子の小さな肩を引きよせた。両手で思いきり抱いた。「君が愛しい、心から」

 涼子が顔を埋めてくる。湿った息が胸を熱くさせた。

 と抱擁をとかせるようサイレンが鳴り響く。前方の空が真っ赤になっていた。

 純二は? と見るといなかった。

「火事現場へ行ったのかもしれないわ」

 涼子が言う。「よし、僕らも行こう。デジカメは持っているね」

「うん、持ってる」涼子がショルダーバッグを叩く。

「なら、ここで別れよう。君は記者として現場へ行くんだ。僕は純二を探す」

 言いすてると、後藤は速度を上げた。

       

 

 火事現場は野次馬で身動きがとれない状態だった。火の手がすでに一軒を丸呑みにしていて、隣家へ容赦なく押しよせていた。

 繁華街に隣接する住宅街。現時点で消防車は五台並んでおり、隊員たちが懸命に消火栓へホースを繋いでいるところだった。さらに続々とサイレンを鳴らして後続の車輌がやってくる。

 後藤は野次馬を掻き分け内側へ入る。雪まじりの天候をものともせず火勢が強まっていた。

 数秒後に、やっと水が放たれた。だからといってすぐに炎が鎮まるわけではない。炎は生きものと同じ、黒煙を立ち昇らせしたたかな反抗を見せる。俄かにどす黒い煙が上空に渦巻いた。

 逃げ遅れた人がいなければ、いいのだが。

 後藤はつぶやきながら、尚も遠巻きに群がる野次馬をすり抜けて純二を捜した。

 しかし、そうそう簡単に見つからない。じっとしているならまだしも、あちこちで人が入り乱れているのだ。その多くは火災を花火と錯覚する不愉快な野次馬で、より見える位置を確保しようと躍起になっている連中だ。消火の邪魔であるし、下手をすれば思いがけぬ事故に巻き込まれる可能性もないとはいえない。

 無理か……。

 断念しかけたとき、煤で全身を汚した若い母親が三才ぐらいの幼児の手を引いて泣き叫んでいるのが見えた。緑のトレーナーに丈の長い巻きスカート、その上にチェックのエプロンを掛けていた。衣服が焼け焦げている。

「助けて、誰か! まだ六才の娘が二階にいるの」

 泣き叫び、誰彼となく助けを求めていた。目が引きつり、焦点が定まっていない。しかも指をさす方向からして、どうやら隣家ではなく燃えさかる火元の家だった。

 叫びに、救助へ向かいかけた隊員たちも火勢のため躊躇している。そのうえ隊長が救助の指令を出さない。もはや救出は不可能と判断し消火に専念している。不可抗力、いくら消火服を装備していても隊員の犠牲は否めない状態なのだ。

「自分に行かせてください!」

 その中、一人の隊員が無謀とも思える救出を志願した。見物人からどよめきが起きる。

「無理だ、二次災害の恐れがある。それよりも火を消しとめる方が先決だ」

 隊員に危険を侵せたくない。隊長が制止した。

「でも、二階に子供が……」

 よほど正義感が強いのだろう、隊員は隊長の指令にも怯まない。「裏の方からなら、大丈夫だと思います」と、わずかな糸口を探して懇願する。隊長が判断に迷いを生じさせる。火を消しとめるのが第一だが、人命を助けるのはもっと大事だったからだ。

 母親が、縋るようにして隊長の消火服の袖を掴んだ。隊員の勇気に希望を感じたのだろう、錯綜していた焦点が定まった。

「娘の部屋は二階の裏手。お願いします、助けてください!」

 隊長は決断した。

「よし、裏から梯子で救出だ。急げ!」

 指令に数人の隊員が、勇躍救出に向かった。

 そのときだった。ずぶ濡れの毛布に少女を包み、若い男が裏手から飛び出してきた。隊員たちの足がとまる。

 純二だった。

 さっきまで被っていなかった帽子姿だったので、別人と見間違えた。だが、なぜそこまでするのか。後藤にはその思いのほうが強い。

 純二は安全な所まで走ると、白衣を着た救急隊員に少女を預けた。「無事です。火傷もありません。煙を多少吸い込んでいますが」

 母親が駆けよる。我が子と確認すると、狂ったように落涙させる。しゃくりあげるようにして嗚咽した。

 それを見て、純二が後退りをした。「借用した帽子、もらっていきます」

 無言で踵を返す。首すじに痛々しいほど火傷が見えた。

「ありがとうございます」

 母親が礼を言った。ストレッチャーに寝かされた少女も手を合わせている。

「名前を教えてください。あなたを讃えたい」

 救出に向かおうとした隊員が呼びとめる。が、純二は振り返ろうともしないで消えた。

 隊員は肩透かしを喰らった感じで残された。しかし彼らには、まだ火を消すという仕事が残っている。純二の去った方向へ敬礼をすると、すぐに消火活動へ戻っていく。

       

 

 しかし火事現場にいたのは善良な人間だけではなかった。そもそも強大なるエネルギーを放つ炎である。無責任な野次馬の中には、邪悪な心を持つものも少なからず集まっていた。

「今の奴、麻薬捜査官だと嘯いていた男じゃないのか」

「ああ、どうやらそうみたいだな」

「冗談じゃねえぞ。イミテーションのくせに、ぶっ殺してやる」

 純二を追いかけようとした後藤の耳に、物騒な会話がぽんぽんと飛び込んでくる。人の隙間から覗き見ると、圭を手にかけたノブとテツだった。

 麻薬捜査官?

 意味が理解できなかったが、純二と彼らの間に諍いが生じているのが推測できた。

 とするなら、もう純二はユリに接触したに違いない。どこまでも推論だが、ユリに触手を伸ばした二人を阻止したのだ。イミテーションと言っているし、間一髪の窮地を救うには身分を詐称する選択肢も有り得る。

 あれこれ考えていたら、純二が消えた跡を一人の女性が追いかけていった。

「ユリだ!」

 テツが叫んだ。その声に反応したノブが、ユリを確認するとぎらつく目を向けた。

「ふ、面白くなってきやがったぜ。よし、俺は尾ける。携帯で場所を連絡するから、気づかれないよう車を回すんだ」

 口を歪めてノブが走り出す。後藤の危険信号が点滅した。

 


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