第3話 後日談 一つの花を贈れなかった君へ
その日、皇女宮の応接室に、ジャックの来訪が告げられた。
「入れ」
サージェッツァが言うと、扉が開いた。
布を掛けた大きな板を抱えて、ジャックが入ってくる。
顔色がよかった。
以前のように、肩を強張らせてもいない。
皇女の前に立ち、まっすぐ礼をした。
「完成したのか」
「はい」
ジャックは、布を外した。
サージェッツァは、しばらく黙って絵を見た。
一輪の花を手にした女性が、そこにいた。
金色の髪。伏せがちな碧い目。手の中の花を、見るともなく見ている。
背景は簡素だった。だが、花を持つ手だけは、異様なほど描き込まれている。
何度も、何度も描き直された線の上に、最後の一本が置かれていた。
傍らに控えたドレンも、書類を持つ手を止めていた。
「題は?」
サージェッツァが尋ねた。
「『一つの花を贈れなかった君へ』です」
サージェッツァは、それ以上訊かなかった。
絵と題名を並べれば、誰に向けて描かれたものかは分かる。
卓の上の書類へ、サージェッツァは一度目を落とした。
地方の有力者の動向を記した束の中に、その名はあった。
「そういえば、オプティムは結婚したそうだ」
ジャックの肩が、わずかに動いた。
「……そうですか」
「妻とも、仲睦まじく暮らしていると聞く」
ジャックは、何も言わなかった。
視線が、自分の描いた絵へ戻る。
一度、息を吐いた。
それだけだった。泣きもしなければ、崩れもしない。ただ、口元がわずかに緩んだように見えた。
サージェッツァは、その顔を見ていた。
それから、絵へ目を移した。
「望むなら、この絵を彼女へ届けることもできるぞ?」
ジャックは、少し黙った。
答えるまでの間は、思ったより短かった。
「彼女が幸せに暮らしているのに、昔の男からの贈り物なんていらないでしょう」
声に、力みはなかった。
諦めの響きでもなかった。
サージェッツァは、何も返さなかった。
ジャックは、絵から一歩下がった。
「この絵は、殿下にお任せします」
それきり、絵の行き先を尋ねなかった。
サージェッツァも、告げなかった。
ジャックは深く礼をして、扉へ向かう。
絵を置いていくことに、迷う素振りはなかった。
振り返りもしなかった。
扉が静かに閉まる。足音が遠ざかっていく。
サージェッツァは、呼び止めなかった。
この男が何を選んだかは、もう見た。
◇
部屋には、皇女と侍従と、一枚の絵だけが残された。
ドレンが、絵の前へ進み出た。
「こちらは、どういたします?」
「所定の美術館へ――」
サージェッツァは、そこで言葉を止めた。
もう一度、絵を見た。
一輪の花を持つ女性。
「……いや」
サージェッツァは、脚を組み替えた。
「ライドル伯爵に渡せ」
ドレンの手が、わずかに止まった。
「よろしいのですか?」
「オプティムほどの資産家なら、領主であるライドル伯爵家の夜会にも招かれるだろう」
それ以上は言わなかった。
ドレンは静かに頭を下げた。
「承知いたしました」
運び出しの手配のため、侍従が部屋を出ていく。
サージェッツァは、一人になった部屋で、絵の前に立った。
窓から差す光の中で、一輪の花を持つ女性が、こちらを見るでもなく、花を見つめている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「失ったものを取り戻す」のではなく、「取り返せない失敗をしたあと、どう生きていくか」という話を書きました。
ジャックとメアリーが復縁する結末にはせず、それぞれが別の人生を歩いていく形にしています。
そして最後に残るのが、贈れなかった一輪の花と、一枚の絵です。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




