第71話 呪物
秋も深まり、
窓の外はすっかり色を失っていた。
遠くの木々は枯れた枝を剥き出しにして、
風が吹くたびに、
その細い枝が微かに揺れていた。
カサカサカサッと乾いた音が
聞こえてくるようだった。
病室の中は、
やけに静かだった。
消毒液の匂いが体に染みついていて、
息をするたびに
自分の置かれた状況を思い知らされる。
入院生活も
もうすぐ2か月になろうとしていた。
僕はベッドの上ですることもなく、
ぼんやりと仰向けになっていた。
左腕には点滴の針が刺さっていて、
透明な液体が一定のリズムで落ちていた。
ふと。
ベッドサイドのテーブルにある物が
目に留まった。
僕は体を捻ってそれに手を伸ばした。
人の顔をかたどった真っ黒な彫像。
男のようにも女のようにもみえた。
子供のようでもあり、
大人のようでもあった。
その表情は泣き顔のようにも
怒り顔のようにも、
笑い顔にも驚いている顔にも見えた。
大きさは掌に収まるほど。
ずっしりと重く、
ツルツルとしていて、
ひんやりと冷たかった。
それは石のようでもあり、
鉄のようでもあった。
失くしたと思っていた物が、
こうしてまた僕の元へ戻ってきた。
2か月前のあの夜。
一文字の前に倒れたあの時。
目の前に落ちている
自分の千切れた舌を見て、
僕は死を覚悟した。
次の瞬間。
僕は一文字の叫び声を耳にした。
涙で霞む視界の先に、
一文字の姿が朧げに見えた。
一文字は口を大きく開けて
天を仰いでいた。
その口から舌が天に向かって伸びていた。
ふいに。
一文字の口が、
ビビッビビッという鈍い音と共に
裂けるのが見えた。
「あががががぁぁぁぁぁ」
獣のような咆哮が周囲を震わせた。
バチッと何かが弾けるような音がして、
一文字の舌が天に舞った。
同時に。
一文字の体が
糸の切れた操り人形のように
地面に倒れた。
僕は薄れゆく意識の中、
ポケットの中のスマホを探した。
ひんやりと冷たい物に触れた。
こっちじゃない。
僕は左手でもう一方のポケットを漁った。
目当ての物を探し当てると、
予め入力していた「119」を呼び出して、
表の通りに向かって
最後の力を振り絞って投げた。
通りを歩く誰かが
見つけてくれるだろう
という期待を込めて。
それから。
僕はポケットに入れたままの右手を
引き抜いた。
と。
呪物が闇の中に転がっていくのが見えた。
しかし。
今更どうでもよかった。
こうして明日美の仇が討てただけで、
僕は満足していた。
その時。
倒れた一文字の近くに転がっている
黒くくすんだ小さな石ころが見えた。
直後。
僕は意識を失った。
その後。
僕は病院のベッドの上で目を覚ました。
すぐに口の中に違和感を覚えた。
誰かを呼ぼうと声を出したが、
「あああ・・おおお・・」
と言葉にならなかった。
ナースコールで駆けつけてきた看護師に、
僕は舌を失ったことを聞かされた。
遅れてやってきた主治医が
「舌が根元から千切れているため、
咀嚼と嚥下が困難になり、
味覚にも影響が出る」
と続けた。
そして。
「リハビリを続ければ、
ある程度は
話ができるようになるかもしれない」
と言って僕を励ました。
翌日。
警察が面会に来た。
あの時。
何が起きたのかを訊ねられたが、
僕はただ首を振って、
わからないということを伝えた。
一文字のことも訊かれたが、
僕は「知らない人」と筆談で答えた。
続いて。
警察は2つの黒い石ころを
僕の前に置いた。
1つは肇の遺品。
もう1つは一文字の傍に
転がっていた物だった。
肇の遺品と同じように
人の顔を模した彫像。
その顔は男とも女とも
判別がつかなかった。
目は閉じられていて、
口が大きく開いていた。
その口から長い舌が伸びていた。
「現場に落ちていたんだけど、
君の物かい?」
僕は僅かに逡巡してから、
肇の遺品の方を指さした。
そして。
一文字が死んだことを悟った。
僕は手の中の彫像を優しく撫でた。
椋鳥京花はこれを見た時、
『情けは人の為ならず』
と呼んでいた。
それから。
彼女は何かを察したかのように頷いた。
「以前。
『明星学園』の生徒が襲われた事件で、
3人の被害者達は皆、
素手による暴行を受けていたと、
そう言いましたが。
その謎が解けました」
彼女はさらに続けた。
「人にしたことは
巡り巡って自分に返ってくる。
恐らく。
松葉肇さんに加えた暴行が
自分達へと返ってきたのでしょう」
それを聞いて僕は疑問に思った。
確かに。
肇は3人から暴行を受けて怪我をした。
ただしそれは、
命を落とすほどの怪我ではなかった。
にもかかわらず。
3人は死んでいる。
「これは呪物です。
同程度の痛みを返すだけなら、
それは『呪い』と呼ぶには
あまりにお粗末ではありませんか?」
椋鳥はそう言って静かに微笑んだ。




