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君の名前を、私が書き換える  作者: 雪見遥
第2章 2022年4月
24/24

第15話 再び目撃した失敗

 今日も塾の日だった。放課後、私はいつものように塾へ向かい、いつもと同じ教室の中央より少し前の席に腰を下ろす。授業に集中するには一番落ち着く位置だ。


 今日の授業は英語。教師は動詞の文法練習を取り上げ、時制ごとに正しい動詞の形を選ぶ練習をする予定らしい。


 確かに、いくつかの用法は生徒にとって直感的ではないかもしれない。けれど、私は三年前の学習段階で、すでに自分に合った効果的な勉強法を作り上げていた。ノートの整理も完璧で、練習を重ねるのも苦にならない。だから私にとっては、ほとんど難しさなんてなかった。


 なのに、後ろの席のあの名前が、またもや私の注意の中に割り込んできた。


「南條さん、この問題はどのテンスを使うべき?」


 問いかけに、私は思わず顔を上げた。南條千雪は相変わらず一番後ろの席に座り、答えを返さず、怯えたように俯いている。目の焦点は定まらず、まるで意識が遠くに漂っているみたいで、今この場に集中できていないのが一目でわかる。唇がかすかに動いたが、声にはならなかった。教室の空気は凍りつき、紙をめくる音すら聞こえない。


 教師眉をひそめ、そのまま彼女の机の横まで歩いていく。覗き込んだ瞬間、講義中の問題どころか、前の練習すら終わっていなかった。しかも答えは滅茶苦茶で、単語の綴りさえも逆転している。bをdと書き間違えるなんて、もはや単なる不注意では説明がつかない。


 教師の声に苛立ちが混じる。


「これはもう災難だね。家に帰ったら基礎からやり直しなさい。今のままじゃ全然ついてこれないよ。そんな状態でここに来ても無駄じゃないか? 時間の浪費だろう?」


 彼女はただ俯いたまま、肩をかすかに震わせていた。それでも反論もなく、言い訳の一つさえしない。ただ静かに小さく頷き、ペン先を再び紙の上へと落とした。動きは遅く、ぎこちなく、まるで何かに押さえつけられているみたいだった。その姿は、悔しさでも恥でもなく——むしろ、すでにそれに慣れてしまったような麻痺に近かった。


 私は席から動かず、その光景を見ていた。胸の奥に複雑な感情が湧き上がる。少しの気まずさと、どうにも言葉にできない無力感。


 前に彼女が答えられなかったときは、ただ準備不足か、苦手な科目だからだと思っていた。けれど今日もまったく同じ。練習問題にまるでついていけず、基本的な単語さえ書き間違えたり、逆にしたりする。ここまでくれば、もう認めざるを得ない。これは偶然なんかじゃない。彼女の「学習態度」そのものに問題があるのだ。


 もし本当に授業をちゃんと聞いているのなら、こんな基礎的な部分を何度も間違えるはずがない。先生に当てられても、毎回言葉を失うはずがない。先生が叱るのは当然だ。基礎を築かず、改善の努力も見えないままでは、みんなの前で恥を重ねるだけだから。


 これが現実——基礎が弱いこと自体は罪じゃない。けれど、変えようとしないことこそが、本当の問題なのだ。


 私は別に彼女を責めたいわけじゃないし、事情を知らずに決めつけているつもりもない。ただ、こんな姿を見せられては、どうしても理由が見つからなかった。彼女を同情する理由も、時間を割く価値も。


 酷な言い方をすれば、この程度なら、確かに親の払う塾代の無駄だ。私が彼女を理解したくないんじゃない。彼女が、私に理解したいと思わせる価値を見せていないだけ。


 塾が終わると、私はすぐに鞄をまとめ、足早に出口へ向かった。去り際、思わず彼女に目を向けてしまう、うつむいたまま、手の中のペンが何かに押さえつけられたように、ゆっくり、苦しげに紙の上を這っていた。その姿は、泥沼に囚われてもがく人間のようで、どんなに足掻いても這い上がれない。


 私は小さく息をつく。彼女のこの状態では、進む道はますます狭くなるだけだろう。将来は蝋燭のように、一滴一滴燃え尽き、最後には音もなく暗闇だけが残るに違いない。


 この点数主義の社会では、成績や学歴こそが最も現実的で冷酷な切り札だ。一枚の点数は、単なる試験の結果ではなく、門票——より良い高校や大学へ進めるかどうか、その全てを決める。誰だって上位に入りたい。誰だって名門校へ行きたい。だから全力を尽くし、必死に這い上がる。皆知っている、それが唯一の通行証だからだ。


 点数が良い、それが「能力がある」証明になる。それが一番わかりやすい価値の尺度であり、将来より大きな世界で戦うときにも武器になる。そうでなければ、この弱肉強食の社会では、容赦なく淘汰されるだけ。就職活動で真っ先に見られるのは学歴。まともな大学にも入れなければ、誰があなたを正面から見てくれる? 人事の目が成績表に留まった一瞬、「不合格」という三文字がすでに押されているのだ。


 それは選択ではなく、運命だ。


 私の脳裏には、彼女の姿が自然と浮かぶ——隅で縮こまり、うつむき、手の中のペンが紙の上で震えながら足掻いている。その姿は、世界から無言で「不合格」の印を押されたかのようだった。彼女にとって未来は、今日この瞬間、すでに死刑を言い渡されたのかもしれない。


 ——けれど、あの時の私はまだ知らなかった。心の奥で下したその結論が、やがて完全に覆されることを。そして、いつの日か「彼女は私が理解するに値しない」というその考えに、深い後悔を覚えることになることを。

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