【第九話】悪役令嬢は入学する
それからの数年は、平和そのものだった。
通常の淑女教育と同時進行の王妃教育は、十度のループを繰り返したミネにとってはただの復習に過ぎず、忘れかけていた部分を思い出す作業にしかならなかった。
定期的に――毎日のように王城に通うため、必然的に、婚約者である第一王子リオンと過ごす時間も増える。
休憩時間にお茶をしたり、週に一度の休みの日には、市井に視察も兼ねてお忍びで出掛けたりもした。
リオンの王太子教育は大変そうだったが、元々優秀な彼は、ミネに負けまいと真摯に取り組んでいる。
結果、過去百年のどのリオンよりも、優秀な王子に成長した。
このままでいけば、問題なく王太子に冊立できる。
大方、男爵令嬢ラパンと共にいた時には、彼女と遊ぶことに夢中で、まともに取り組んでいなかったのだろう。
そのラパンはというと、相当期間、淑女教育が滞っていた。
精霊ツウの話では。
領地から出ることは許されず、一般教育については、領民たちが学ぶ民間学校で、平民と机を並べていたらしい。
淑女教育については、父親であるトウツ男爵が、同門のターションマオ侯爵に泣きつき、なんとか家庭教師を派遣して貰う事態となっていた。
それでも、通常の淑女の、三倍以上の時間を要しているようで。
『百年も貴族令嬢やってたクセに、何やってるんだろうね』
と、ツウは嗤う。
それでもここが乙女ゲーム【迷いの森のウサギちゃん】である以上、結局は、仕上げ学校には通学することになるのだろう。
夜会にも茶会にも参加できずに憤ったラパンは、入学を間近に控えて死に物狂いになっているのだとか。
ミネはラパンの入学前に、一計を案じた。
恐らく、ラパンは紫水晶の在処を探ってくる。
そして彼女は、宝石の見分けがつかない。
という訳で、紫水晶に良く似た“尖晶石”という宝石を使って、ラパンが愛用していたものを模したブローチを作った。
同時に、尖晶石を用いた各種アクセサリーを、同期生の人数分用意する。
紫水晶に似た尖晶石は、元々は赤いものが主流で、紅玉の代用品として重宝されていた。
紫のものはあまり需要がなく、現物を目にしたことのある貴族は皆無に等しい。
ラパン用のブローチの尖晶石を最大に、それより小さい石を使ったアクセサリーは、白金素材を使ったこともあり、洗練された輝きを放つ。
女性用にネックレスやブローチ、ブレスレットなど。
男性用にはネクタイピンやピンバッジ、カフス釦などを用意した。
念のためこれらのアクセサリーには、魔導師長の息子ムートン=ヤン侯爵令息に頼んで、黒魔術避けの術を施して貰っている。
各自に選んで貰うようにするつもりだが、間違いなくラパンはこのブローチを選ぶ。
ミネは自分用に、いちばん小さな尖晶石のついた、ツウに貰ったのと同じロケットを用意した。
これできっと、ミネが持っているものが本物の紫水晶だと、ラパンに気付かれることはないだろう。
それらはリオンに頼んで、王家からの支給品ということにして貰った。
第一王子と第二王子の所属するこの学年に、災いが降りかからないよう術を施した、特別な品だと印象をつけることにしたのだ。
リオンを護るために、彼のために作ったミネとお揃いのロケットには、ツウに頼んで更に強力な黒魔術封じの術を施す予定だ。
何か不穏な未来を感じ取り、これだけはどうしても、ツウの絶大な力を頼るしかない。
そうして、ミネは十五歳になり、ついに仕上げ学校への入学時期になった。
暮顧月頭から愛逢月末までの社交シーズンを終え、一ヶ月の長期休暇を挟んで夜長月からが新学期となる。
そこからの一年の間に、十六歳になる予定の者が新入生だ。
夜長月朔日の入学及び始業式は、全校生徒が集まる――つまり、同じ年頃の貴族子女が全員集まる盛大な式典が行われる。
リオンと共に王家の馬車で登校したミネは、到着後すぐにクラス分けを確認した。
過去百年と同様、ミネはリオンとレオン――ふたりの王子と同じクラス。
他にも、シャティグレ公爵令嬢、レオパール公爵令嬢、宰相令息のブレロー=リィ、騎士団長令息のルナール=フゥリィといった、お馴染みの面々も一緒だ。
兄のシャノワールと友人のムートン=ヤン侯爵令息は一学年上。
これで、ラパンの“攻略対象者”全員が同時期に在校することになったが、過去百年と違い、ラパンは彼らとは違うクラスに割り振られた。
爵位が低い上に、入学試験の成績も芳しくないから当然ではある。
式典が行われる大広間での新入生挨拶は、当然、第一王子のリオン。
クラスごとに別れて整列しているが、ラパンはどうにも納得がいかないらしく、ぶつぶつと文句を呟いている。
隣に立つメラノレウカ=ターションマオ侯爵令嬢が、厳しく窘めている。
気の毒に、どうやらラパンがおかしな行動をしないよう、父親の侯爵から指令を受けているらしい。
入学式の後、一年生だけが会場に残され、例のアクセサリーが配られた。
爵位の高い順に選ぶように言われ、男子から配られたその中から、最高位である第一王子リオンは、ミネとお揃いの小さなロケットを選んだ。
これは事前に打ち合わせ済みである。
ところが女子の最高位であるミネは、下位から選ぶよう進言した。
最下爵位のラパンは嬉々としてあの大きな尖晶石のついたブローチを選んだが、他の令嬢はやはりミネに遠慮して、先に選ぶよう懇願してくる。
仕方なく、という態で、ミネはいちばん小さな尖晶石のついたロケットを手に取った。
残されたものは、他の令嬢たちが話し合いによって割り振って行く。
勝ち誇ったような表情でブローチを身に着けたラパンは、
「やっぱり、このブローチはちゃんとあたしの手元に来るようになってるのよ!これでいつも通り、攻略ができるわ!!」
などと意味不明なことを言っている。
この時点でラパンの言動は、同期生たち――令嬢だけでなく、王子たちを含む令息たちからも、冷ややかな目で見られることとなった。
「ねぇ、ミィ。アレが例の男爵令嬢かな?」
令嬢を示して“アレ”なんて言うリオンもどうかと思うが、ミネは何も知らない振りをして、“さあ?”と誤魔化した。
その後のラパンの言動は、恐ろしいくらいに滑稽だった。
ブローチが紫水晶だと信じて疑っていない。
一年かけて、何かがおかしいことに何一つ気付かなかったのか。
第一王子リオン=シィツゥと一緒にいたミネの前で、盛大に転んで“ミネに足をひっかけられた!”と喚き。
第二王子レオン=シィツゥには、廊下の曲がり角から飛び出して体当たりをかまし、一緒にいた婚約者のレオパール=バオ公爵令嬢を睨みつけ。
ミネの兄シャノワール=マオ公爵令息には、“ミネに虐められた”と出鱈目な罪状を並べ立てて泣きつき。
宰相の息子ブレロー=リィ侯爵令息に、“勉強を教えて欲しい”と付き纏い、婚約者のシャティグレ=ラオフゥ公爵令嬢の誹謗中傷を吹き込み。
騎士団長の息子ルナール=フゥリィ侯爵令息に、びしょ濡れ姿で関係を迫って、婚約者のメラノレウカ=ターションマオ侯爵令嬢の逆鱗に触れ。
魔導師長の息子ムートン=ヤン侯爵令息には、禁忌である“闇魔法”について詮索した。
当然、彼らのラパンに対する好感度はダダ下がりになる。
リオンは冷ややかに、蹲って助けを求めるラパンの手を足蹴にするように振り切り。
レオンは不快さを滲ませて、パールを庇うように横抱きにして無言で立ち去り。
シャノワールは、最愛の妹を貶められて激怒し、父親のマオ公爵を通じてトウツ男爵に直接抗議文を送り。
ブレローは、シャティと共に図書館に逃げ込み、騒がしいラパンの図書館立ち入りを禁止し。
ルナールは、最愛のメラノに誤解されるのではと危惧し、常にメラノから離れることをせず。
ムートンは、“闇魔法”について語るラパンに危機感を憶え、速やかに魔導局に通報した。
ラパンが攻略に失敗したのは当然のことで。
そもそも迷いの森の精霊、ツゥスウェジンを手に入れることができていない。
そして、悪役令嬢であるミネが意図せず、攻略対象者六人を全て自力で攻略してしまっていたからだ。
リオンは、ミネに一目惚れして以来溺愛が加速。
レオンは兄の婚約者ミネに友好的で、自身の婚約者としてパールを紹介して貰っている。
シャノワールは、元々妹を溺愛していた。
ブレローは、賢いミネに一目置き、自身の婚約者シャティとも仲の良い彼女に友好的。
ルナールは、ミネの開発した魔道具に護られ感謝し、婚約者としてメラノを紹介され友好的。
ムートンは、料理の件があって以来、兄シャノワールの友人という関係もあって友好的。
元々同等な親戚関係であるリィ家とフゥリィ家に於いて、同期の好敵手として険悪な雰囲気だったブレローとルナールは、ミネの尽力により態度が軟化、仲良しではないが信頼感は増した。
婚約者であるシャティとメラノの関係も、影響しているのかもしれない。
これらの人間関係は全て、仕上げ学校入学前には確立していた。
彼ら優秀な側近たちに囲まれ、きっと、次世代のリオン王政は盤石となるのだろうと思われる。
そんな攻略対象者の好感度を、一年目終業の時点で、全員マイナスにしてしまったラパン。
夜長月朔日の終業式を以って、高位貴族への度重なる迷惑行為を理由に、王家から自領地謹慎処分――実質、停学扱い――を言い渡された。
「なんでこんなことになるのよ?!ちょっとツウ!聞いてるの?!ツウ!」
ブローチに向かって暴言を吐くが、ツウが聞いている訳はない。
ツウはその尖晶石には、宿っていないのだから。
男爵と共に領地に追い遣られたラパンは、その後一年かけて、自領地で隠しキャラの黒魔術師を探し出す。
そしてブローチの尖晶石に、禁忌の黒魔術を用いて、攻撃魔法を施して貰うことに成功したのだった。
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