【第五話】悪役令嬢はまた恋をする
両親に伴われて公爵家専用の控室に戻ると、ミネはほっとひと息ついた。
前菜を食べた後は、友人たちとの会話を楽しむ。
壇上ではやっと男爵家の挨拶に移ったようだ。
この後は王族が会場に降りて、会話を楽しんだりダンスをしたりする。
過去の記憶では、ふたりの王子は令嬢たちにひっぱりだこにされていた。
初めから三度目までの人生では、ミネも積極的に第一王子リオンにダンスを申し込んでいたが、四度目からは、両親と共に控室に戻ることにしている。
いつもリオンは、最後に壇から降りる男爵令嬢ラパンを呼び止め、そのままふたりで踊り始めるからだ。
そんな姿は見たくない。
腰掛に腰を下ろすと、シュシュが飲み物と料理を運んでくれた。
「ふう。やっと食事ができるな」
父親であるマオ公爵が、先程のミネと同じように果実氷菓飲料を口にする。
コース料理よろしく、順にシュシュが運ぶ料理を食べ進めると、父はシャノワールとミネに声を掛けた。
「誰か気になる者はいたかい?」
これは友人としてという意味もあるし、今後の婚姻を視野に入れた意味も含む。
例のごとく、最初の内はミネもリオンのことをきらきらとした瞳で語っていたが、それももうない。
「特にありませんね」
「わたくしもです」
冷ややかに答える兄と同様、ミネも特に感情を乗せずに答える。
公爵は夫人と視線を合わせて笑った。
「おやまあ。我が家の子どもたちは、なかなか厳しい目をしているようだ」
「そうですわね。お眼鏡に適うお方は現れるのかしら」
親戚にあたるラオフゥ家やバオ家の話、これから関係を深めるであろうリィ家やフゥリィ家の話を聞き、今日会話をしたムートンとのことや、仲良しの令嬢たちの話をする。
緩やかな家族だけの会話を楽しんでいると、不意に叩扉の音が聞こえた。
マオ家から連れて来ていた従者のクゥ――シュシュの夫が扉の外で用件を伺い、少し驚愕の色を添えた表情で戻る。
「第一王子殿下と、第二王子殿下がお見えです」
王家主催の夜会の最中に、王子が公爵家の控室を訪れることはまずない。
それでも冷静に対応するマオ公爵は、全員に立つよう視線を送り、王子たちと護衛の騎士を部屋に招いた。
「突然の訪問、申し訳ない」
ミネと同級のリオンは、威厳がありながらも子供らしさを携えて、年長者に対する非礼を詫びた。
「いいえ。ご足労頂き、こちらこそお礼を申し上げます」
公爵の礼に合わせてシャノワールも礼をし、夫人とミネは最敬礼を執る。
リオンが手を挙げたのを合図に、四人は頭を上げた。
リオンの目線が、ミネに移る。
思わず絡んでしまった視線に、ミネは思わず頬を染めた。
「ミネ嬢、と呼んでも?」
突然の呼びかけに、ミネだけでなく両親も兄も驚く。
「は…はい…」
おずおずと答えると、リオンは横に立つレオンに目配せをした。
「私たちのことも、リオン、レオンと呼んでくれ。ああ、勿論、公爵夫妻も、シャノワール卿も」
「ありがたきお言葉」
一体何が起こっているのだろうと、ミネはそわそわと視線を彷徨わせる。
長年の淑女教育の成果も、何故かここでは発揮できなかった。
「お手を」
ここまで黙っていたレオンの言葉に、ミネは反射的に右手を浮かせる。
こういうことだけは、条件反射のように躰が自然と動くのだ。
兄の友人であるムートン=ヤン侯爵令息の時と同じく、レオンもミネの右手を自らの右手で掬うように取ると、軽く腰を曲げて手の甲に唇を落とした。
ムートンの時と違うのは、明らかにその唇がミネの肌に触れたこと。
ミネは動転したものの、なんとか意識を整えて、何事もなかったかのような表情を繕う。
けれど、それ以上に驚いたのは、彼の兄であるリオンの行動。
立ったままだったムートンやレオンと異なり、リオンはミネの前に片膝をついたのだ。
そして周囲の者たちが止める間もなく、ミネの右手を取ると表に返し、あろうことか掌に口付けを落とした。
「…っ!」
手の甲への口付けは親愛のしるし。
手の平への口付けは求愛のしるし。
この国では、片膝をついて手の平へ口付けを落とすことは、求婚を意味している。
八の歳を超えたばかりのリオンは、その意味を知っているのかいないのか。
一緒に訪れたレオンも、この行動には唖然としている。
「で…殿下っ!」
普段は冷静なマオ公爵が、最初に我に返ったようだ。
リオンに立つように促すと、彼は立ち上がってそのままミネを傍に寄せる。
「挨拶の折にもう少し話したかったのだが、さっさと行ってしまわれたのでな。様子を伺っていたら、ムートン=ヤン卿となにやら親し気にされていたから、焦ってしまったのだ。許せ」
無邪気な笑顔を向けるリオンは、まだミネの手を握ったままだ。
「ダンスに誘いたかったのだが、会場に姿が見えなかったから、思わず押しかけてしまった。良ければここで、一曲お相手願えないだろうか」
会話を邪魔しない程度にうっすらと、会場の音楽がこの部屋にも聞こえてきている。
第一王子からのこの程度の申し出を断ることなど、この公爵家の面々にできるはずもなかった。
ミネはリオンに導かれるままに足を運ぶ。
リオンに求められて踊ることなど、この百年を超える生涯の中で、初めてのことだった。
過去、この物語の主人公だと言われているラパンに向けられていたような人懐こい微笑みで、リオンがミネを見詰めている。
こんなに穏やかな人だっただろうか。
いつもミネを邪険にして、汚いものでも見るかのように憤った表情をしていたリオンとは、まるで別人のようだ。
だが確かに、シャノワールもミネに対して優しかったのに、学校でラパンに会ってからは嫌悪の表情を多く向けるようになった。
きっとこれが彼の本来の気性で、過去の彼はラパンによって心を捕らえられていたのだろう。
――ずっとこのままでいられたら良いのに。
――このままリオンさまに想いを寄せることが許されれば良いのに。
もう大丈夫だ――と精霊は言ってくれたけれど、ミネには不安が残る。
くるくると音楽に合わせて円舞曲を踊ると、だんだんとリオンの体温がミネに伝わってきた。
胸元の紫水晶が、リズムに合わせて“大丈夫、大丈夫”と言ってくれているような気がする。
曲が終わる頃には、ミネもやっと、本来の微笑みをリオンに返すことができていた。
そんなふたりを見て、マオ公爵夫妻はそっと囁きあう。
「これは…決まってしまったかなぁ」
恐らく、第一王子リオンの――或いは第二王子レオンも含めて、婚約者選びを兼ねていたこの夜会。
前回は筆頭公爵家のミネが不参加だったから、今年に持ち越されていたのだ。
元々爵位の釣り合いで考えても、ミネが最有力候補だった。
そこへきて、今回のこのリオンの言動。
更にはミネ自身の表情の変化。
マオ公爵は、愛娘を手放す決心を余儀なくされた。
通常なら夜中あるいは明け方まで続く夜会も、このプレ・デビュタントを兼ねた建国記念日の夜会は、午前零時でお開きとなる。
七歳の子どもが意識を保つには、ぎりぎりの時間だ。
ミネは自室に戻り、シュシュに就寝の準備を整えて貰う。
湯浴みを済ませてさっぱりとした躰に、シフォン素材で軟らかいお気に入りの瑠璃紺の寝衣を纏い、寝台の上に横になった。
シュシュが灯りを消して部屋から出ると、脳裏にツウの声が響く。
『あやつは王子を虜にするために吾の力を最大限に利用したけれど、そなたはどうする?』
夜会の間、ずっと何も言わなかったツウは、とても空気が読めるらしい。
普段はこちらから話し掛けない限り、反応することはないのだという。
「なにもしません」
考えるまでもなかった。
ラパンはツウの力を使ってリオンを虜にした。
では、ツウの力がなかったら?
リオンはミネの努力にどのように応えてくれるのか。
ミネは胸の中に湧き上がる仄かな恋心に、少しだけ期待の炎が灯るのを感じる。
「見守っていてください」
ミネはそっと目を閉じると、ここ百年の間に感じたことがないほどの穏やかな気持ちで、ゆるゆると眠りに就いた。
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