【第四話】悪役令嬢はお料理を救う
「お兄さま、ただいま戻りました」
「ミネ。早かったね、もう良いのかい?」
「ええ。少しお腹が空いてしまいましたわ」
兄のシャノワールは、マオ家から連れて来ていた侍女シュシュに軽く目配せをし、傍にいた飲料杯の盆を運ぶ給仕から硝子杯を受け取る。
「侍女が見繕ってきてくれるから、それまでこれでも飲んでおいで」
シャノワールから渡された硝子杯にはとろりとした果実氷菓飲料が入っており、さらさらとしていて水分の多いいわゆる果汁飲料と違い、少し小腹が空いている時には好ましい。
麦稈でちろりちろりと口に含んで嚥下すると、喉の奥に爽やかな後味が広がった。
さすが王宮の飲食物。
複雑でありながら違和感なく纏まった、数種類の風味が鼻腔を擽る。
王家への挨拶の列は、伯爵家に移っていた。
公爵家として直接関係があるのは、伯爵家以上。
壇から降りてきた所縁のある伯爵家との挨拶が終われば、ミネの両親――マオ公爵夫妻も一息つける。
ミネも軽く食事を済ませたら、顔見知りの令嬢と少しだけ挨拶をしてから、控室へ移ろうと思っていた。
長丁場になると、高位貴族はちょこちょこ控室へ引き上げて休憩をする。
下位貴族も休憩室を兼ねた小広間や、庭園のベンチなどで安らう。
立食コーナーから戻ったシュシュが、一口サイズの前菜の盛り合わせをミネの前に置いた。
ホワイトヴァルサミコのきらきらしたジュレが輝く、白身魚のカルパッチョ。
塩気の効いたオイルサーディンと、ぷりぷりの海老にフレッシュトマトを合わせたカナッペ。
ブロッコリーとカリフラワーと人参をそれぞれムースにした、三色の野菜を層にしたテリーヌに、スモークサーモンをゼリー状にしたソースをかけたもの。
生クリームで滑らかにした馬鈴薯を球状にしたものに、片面だけ焼いた赤身魚で包んだもの。
ごろごろしたベーコンとほうれん草を、ふんだんに使ったキッシュ・ロレーヌ。
レモンとハーブの香りで和えた生野菜と、ぴりっとした鶏むね肉を薄くスライスしたズッキーニで巻いたサラダ。
まるで宝石のように全てが煌めいていて、シュシュの盛り付けも美しい。
どれから食べようかしらと迷うところだけれど、それはお行儀が悪いことなので、全体にさっと目を遣った後はすぐに決めて口に運ぶ。
想像を裏切らない美味しさで、例えそれが十一回目の経験であっても、心地好いことに変わりはない。
頬に手を当ててほう――と息をつくと、自然と口元に微笑みが浮かんだ。
こんな風に、素直に感情を面に出したのはいつ振りだろうか。
王妃教育のせいでもあったけれど、リオンの横では気を抜ける時はなかった。
もう気を張ることなどないのだ。
きっと、何があってもツウが救ってくれる。
漠然とした自信ではあったけれど、紫水晶の入ったチャームの辺りがほんのり温かくなったような気がして、ミネはそっと胸元に手を遣った。
シュシュが持ってきてくれた白ぶどうの炭酸水で口直しをし、次の料理を口にする。
子どもの一口サイズにしてあるのか、食べ易くてありがたい。
久し振りに食事を美味しく感じたような気がした。
ふ――と視線を上げると、兄のシャノワールと友人のムートン=ヤン侯爵令息がミネを見ていた。
ムートンはシャノワールと同級で、魔導師長をしているヤン侯爵の次男だ。
前世ではシャノワールと共にラパンの虜となり、ミネを嫌っていた。
居心地が悪く目を伏せると、ムートンの声が軟らかく響く。
「ミネ=マオ令嬢は、とても幸せそうにお食事をなさいますね」
微笑ましいと言うように、ムートンは表情を緩めた。
紫水晶を水に溶いたような、やや灰色がかった薄い青紫の髪の毛は、ふわふわと彼誰時の雲のように波打っていて、精霊の光のように輝いている。
菖蒲色の瞳は灰みの赤紫系の色で、紫の色素が強いほど魔力が多く、魔導師向きだ。
「お恥ずかしいところをお見せしまして…」
はにかむと、ムートンは嬉しそうに破顔した。
「僕の叔父は王宮の料理長をしていてね――シェーブル=シャンヤン卿というのだけれど、夜会などで料理を提供しても毎回かなりの量が残ってしまうから、いつも淋しそうにしているんだよ」
「まぁ」
「だからミネ=マオ令嬢が美味しそうに食べてくださった話をすれば、きっと喜んでくださると思うんだよね。話しても良いかい?」
「ええ、ええ!見た目もとても美しいですし、きらきらとしていて心が弾みますわ。勿論お味も申し分なくて、わたくしたち幼い令嬢でも一口で頂けるように配慮してくださっていることが、何よりもありがたいですわ」
一瞬、驚いたような顔をしたムートンは、再びにっこりと様相を崩して、ミネの右手を自らの右手で掬うように取った。
シャノワールが少し眉間に皺を寄せたけれど――本来なら女性から手を差し出した時にのみ許される行為だったからだが――特に何も言うことはない。
そしてムートンは軽く腰を折って、ミネの手の甲に唇を落とした。
実際には肌に触れることはなかったが、今世のミネにとっては初めての行為で、思わずどきりとしてしまう。
百年もの間に何度も経験してきた作法ではあるけれど、ツウの言う“攻略対象”である彼らからは一度もされたことがなかったから。
「ミネ嬢、とお呼びしても?」
「は…はい…」
「では、僕のことも、ムートンと」
「…ムートンさま…」
「ありがとう」
こほん――とシャノワールの小さな咳払いが聞こえ、ムートンはミネの手をそっと離した。
「あ、ムートンさま。残ったお料理は、どうなってしまうのでしょう?」
ミネは先程ちらりと脳裏をよぎった疑問を口にする。
ここにある料理だけでなく、休憩用の各控室、隣の下位貴族用の小広間にも、軽食とはいえ大量の料理が用意されているのだ。
「うーん。一応、王宮の使用人たちで消費するようですが、量が量ですからね。最終的には廃棄するようですよ。最初から少なめにすれば良いのでしょうけれど、それはそれで見映えが宜しくないですからね」
「まぁ」
ミネはちらりと傍に控えているシュシュに目を遣ると、彼女もまた驚いたような物憂げな表情をしていた。
「ご希望があれば、夜会に参加しているお家の使用人にも、お土産にできると良いですのにね」
「え?」
「わたくしたちですらこんなに心がときめくのですもの、みんな食べてみたいと思っているに違いありませんわ。ねぇ、シュシュ?」
突然話を振られた侍女のシュシュは、困惑して眉を下げる。
「きっとコォダもコォラも喜ぶはずよ。あの子たち、きらきらしたものが大好きだもの」
若齢二十歳のシュシュは、既婚で、ふたりの娘を儲けている。
長女のコォダはミネよりみっつ下の五歳、次女のコォラはよっつ下の四歳だ。
時折一緒に遊ぶ彼女たちは、ミネが時々分けてあげるお菓子やきらきらしたアクセサリーに、瞳を輝かせていた。
「お嬢さま」
めっ――と窘めるような気配を携えた口調でシュシュに声を掛けられると、ミネは少ししょんぼりして兄に目を遣る。
シャノワールは特に何も言うことはなかったが、少しだけ困ったような顔をしていた。
隣に立つムートンは、顎に手を遣って何やら考えている。
「良いかもしれませんね」
「は?」
ムートンはとても良いことを思いついたと言わんばかりに、明るい顔で“失礼します”と礼をして足早に両親の元へと戻って行く。
この後まさか、自分が軽い気持ちで言ったことが採用されることになるとは思わず、ミネはムートンの姿を黙って見送った。
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