アールがかったズボンの裾襟
春のせいか、振り子の揺れが激しい。
出てきたのは幼い時分に育ってた家だったが、二階まで上がっていくのは久しい気がする。幼い時分は夜半になると下は階段の掛かった上の透き間に上段だけ拵えた押入れから布団を三枚敷いて眠り、朝になるとそっくりそのままそれのために拵えた踏み台を使い戻していたのだ。天窓を拵えなきゃ空の灯りなぞひとつも入らない巾三尺の露地を切った長屋の奥の屋根裏部屋だから、押し入れの奥は三尺などより暗々としていくらでも放り込めるほど深かった。
父も母もとうに亡くなって、布団はわたしひとりのだけだから押し入れはそんなに要らない。余って深々してる四角い穴に余所ゆき外ゆきのこざっぱりした上下ばかりがダラりと下がっている。
どうやら、急いてるらしい。
こんな奥まった真っ暗闇の居場所にも朝昼晩の世間の日常は隈なく廻って来るから、朝になって出立の刻々を刻む足音はヒタヒタ近づいてくる。
それなのに、どうにも決まらない。
上は済んだのだけど下の方がさっぱり決まらない。シャツを付けタイを締め肩にパットの入ったジャケツまで羽織ったのに、下の方はまだ白いブリーフのままだ。
ズラッと掛かったズボンからというわけでない。ズボンは2着しか持っていないから、昨日履いたのでない別物を履けばいいだけなのに。
それがどうしてなのか、決まらない。
わたしひとりだから、辺りに余計の明かりは入れてないから、朝が急いてきても薄暗なままだ。むろん誰に見せるでもないひとりだから姿見はない。ザクロ色にウツボの斑を模したシャツに合わせるのに姿見など必要ない。昨日履いたのじゃなければ一昨日履いたのきまってるはずのに。
どうしたってザクロ色にウツボの斑を模したシャツに合わせるズボンなど存在しないんだから。
いつものように、ええいままよで脚を突っ込めばいいものを。何を躊躇するのか分からない。泣き出して、延々泣き続けて、何で泣いてるのかをとうに忘れてる仔のように呆けた顔になっている。
だから、わたしには、姿見どころか手鏡だって要らないのだ。
二着しかない二つのズボンのどちらに脚を突っ込んだか忘れてしまったが、それの裾の先っぽに異和を感じる。裾は拡がって女性ものによくあるアールがかった襟縁が付いている。
妻のものだった。
わたしよりも背ぃの低い150センチ丁度のズボンなのに、股上まで上げてもツンツルてんにならず足の甲にフワリと優雅に載っている。
自分が幼いよりも小さなものに居ることが分かり、覚めた。




