牛にまでなってしまったから、仕上がりのいい干し草の旨さに心ならずモォーと泣く
お盆休みなのに、世間では子を連れた親子連れが溢れてるのに、妻と仲違いしてしまい、こうしてひとり二階で寝ているからだろうか。零時を越したあたりで覚めてしまった。
もう寝付けそうもないから、そのままを記すことにする。
わたしはそこの家の親であり、うえの子でもあるようだ。
だから、家も実家といま住んでる家が交互に出たり入ったりしている。父も母ももう死んでしまっていないのに、親で入っても子で入っても、いまと違って若かった。
恋焦がれるときの切なさが肌に沁みて残ってしまうくらい、若かった。
彼女がふたりの男の子を連れてやってきた。
来るまではそこまで思い詰めてはいなかったのに、やってきたのが分かると、あくらかに顔が華やいでくる自分が分かる。彼女とふたりの男の子の相手をしてるのはいまの齢相応の妻のようで、そう思うと妻の横にいるわたしは連れあいなのだが、連れあいの顔をすると、彼女はそれを見咎める顔をする。
彼女のそんな顔を見ると、少し寂しく感じた。
寂しさだから、焦がれてはいないから、わたしはそれを飲み込んで仕舞いこむ。
模様替えはないのに、しばらくが間に挟まっていたようだ。そんな気が横から入ると、彼女とふたりの男の子は親子ごと消えてしまっていた。
玄関には靴が三つとも揃っているから、家の中にまだ居るらしい。目当ての先を妻には聞けないから、そんな素振りを見せずに二階にあがる。
二階の部屋から声がした。
まだお喋りの出来ないふたりの男の子に話して聞かせている彼女の声に混じって、その様子を聞き、眺め、そして楽しむ若い男の存在を感じる。
その部屋は実家のわたしの部屋だから、小学校6年の年に引っ越した新築以来はじめて持てた自分の部屋であるのはずぅーと変わりないから、素直に堂々と入ればいいのに、そこで楽しんでる若い男の存在を感じ、もしもを憂いて軽くノックする。
ドアを開けたのは、ケイタロウだった。
実家の自分の部屋だからか、部屋にいる彼女は若い時分の妻だった。ふたりの男の子はどちらもわたしのうえの子したの子だった。緑のプルオーバー着たケイタロウは胡坐をかいた妻とその膝上で手足をばたつかせるよりほか何も出来ないフミトの周りを回転木馬のように回っている。余程に回り心地がいいのか盛んに母にしか通じない言葉で話しかけている。部屋の中なのにフードを被り、時おり戸口に立ったままの私を不思議なものでも見るように見上げてくる。
じぃーと見つめるケイタロウの右頬に爪で一筋つけたような引っ搔き傷が見えた。
さっき拵えたばかりの赤い線だった。まだ幼かった子どもたちのスナップ写真をクリアケースに入れて持ち歩いて時分に、緑のプルオーバーで頬に引っ搔き傷のものがお気に入りだったのを思い出した。
若い男は見えないが部屋の中にいる気配はそのままだ。こうして四人が一緒にいる感じを楽しんでる気配はそのままだ。
それ以上に此処を今を慈しんでるのは彼女の方だ。母であり妻であり女である自分を慈しむ女の顔だ。
彼女が若い時分の妻なのは紛れもないのだが、あの頃よりも白いふわふわしたものの似合うガーリーな女のように感じる。
わたしの覚えている若い頃の妻は、いつ見てもどこから見ても、ハッと胸を鷲掴みされるような美人だった。
わたしはドアを閉め、階下へ戻った。
説明などしなくても二階の一部始終を分かって妻は、「可哀想なあなた・・・あんなにも恋焦がれるくらい若いんだもの。でも、仕方のないことよね」と零して呉れた。
いきなりの模様替えだった。
その年の祭神としてイキガミとなるよう仕向けられている。こうしたことには先達がいるもので、そのひとの導きで日々の糧からはじまるひとつひとつにより日常を過ごしていく。
焦がれるどころか慈しんでもいけない身なのだ。
日が暮れ夜が更けて、いつもの山のうえの社にいくと、いつもよりも多くの人が囲むように待ち構えている。
いつものように見守ってる目をしているが、これだけ多いのはわたしが逃げないようにが本旨のようだ。すでにわたしを包む獣の毛皮が、腹の方から一枚、背中の方から一枚と敷き詰められ、そちらが先に鈴なりに囲まれてる。裸のわたしは腹の方を包まれ背の方を包まれていくのだが、ここまでの作法ははじめてのはずだが、昨夜も別の相手で同じことをされていたように想い出す。
初めてにせよ何度でもにせよ、誂えたようにぴったり肌に付いた。
身が一部の隙もない猪になると、四つ足で動くほか成す術をしらぬから、わたしはもう何処か遠くに行っていて、そこから先達のように俯瞰している。
毛も色も顔も猪なのに、図体ばかりが黒毛和牛のようだ。品評会でポイントとなる背中から尻にかけての四角形が良い長方形している。
猪の鳴き声は分からないからモォーとでも鳴いてみようかと思ったら、刈り取ったあとキチンと叩いて柔らかくした干し草が与えられた。
もぉー美味そうで舌なめずりしながら喰むことをやめられない。身が猪になったばかりか心まで牛に変わっていく。
それも・・・・・が持ってきてくれたんだ、よ。
妻の声がする。若かった時分の妻の声だから、きっと・・・・・はケイタロウだろう。頬に赤い引っ搔き傷をつけたばかりのケイタロウしか、こんな猪や牛に変わった父親に孝行して呉れるはずはないから。
それを思うと、泣けてくる。
泣けてはくるが、干し草の仕上がりの美味さに勝てず、モォーと鳴いてしまうのだ。