悪魔に立ち向かうのに殺られ役を繰り返して
大道具、小道具、特殊メーキャップと、やけに周りが詰まってくる。
そいつの顔は、どう見ても真面ではなかった。全体に中身が男なのはいいとして、綿の入った留袖をボアボア着崩し、花魁がする長簪や笄が中の頭までブスブス刺さった音がきこえそうだから、写楽の大首絵のように、ひとの頭というよりそこに大提灯をぶら下げてるようにおどろおどろしい。
大きく間延びした白い顔から、百眼蠟燭が落ちきったようなドーランが溶け落ちてくる。
溶け落ちてはくるが、綿の入った留袖は汚れない。
黒の羽二重は漆黒のままだ。雪が雨にかわるように、雨が霧にかわるように、途中で消えてなくなっていく。
わたしは、それを阿呆のようにジィーと眺めていたわけではない。
主役の周りを這いつくばるその他大勢がカシャカシャとった断片を繋いで回し、かの大首絵が人の世につくられた真面ではないことを悟る。
大道具、小道具、特殊メーキャップの詰まった此処をヤツが隠れみのとしたように、わたしは殺られたら化粧を直し別の衣装に着替えて別役に扮し、再び立ち向かってを繰り返す。
ほんものの役者でないから、はじめは立ち稽古のように向かえば殺られるだけ。化粧と衣装の中の肉も腸も本物だから、血塗られたわたしは直ぐに袖に引っ込み、痛みと血糊はそっちのけに、次に立ち向かう化粧と衣装に勤しむ。
ほんものの役者ではないが勤しむうちに段々と腕は上がってくる。
初手のふりをかわし、それをわざとらしくでないよう写るようになり、二度三度の押込みのあとに殺られるまでのタメも作れるようになった。それでも、肉も腸が本物に変わりはないから、血塗られたわたしは直ぐに袖に引っ込むのは変わらない。
殺られ役でも衣装はふんだんにあるし、もともとが器用のわたしはお絵描きするようにさっきとは違う殺され役の顔を作る。殺され役とはいえ此方が正義なのだから、アクのないすっきり顔の二枚目は造作する幅が少ないが、衣装のおかげでヤツは殺ったはずなのに同じ相手が何度も立ち向かってきているのは気づいていない。悪魔は嗅覚はいいが、目は悪いのだ。
悪魔でも、相手はわたしよりも年長だから、さずがにバテバテだ。
15回目の立ち回りで息が切れたようで、「ケチがついたから今日はこれくらいにしてやる」の決まり文句の捨て台詞を残し、舞台の袖に引っ込んだ。
わたしはまだ殺されていないから、袖に引っ込むきっかけがないから、役者でもないのにアドリブで、演技ではなく本物で、この世の中を悪魔から救った雄叫びをひねり出す。
くさい芝居にしか見えない観客は、パラパラ拍手するものを除き、終わった合図と心得て席を立っていった。