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鏨師

 鏨師(たがねし)というものが居るらしい。

 定住する住まいは持たず、呼ばれた方々へ鏨とそれを打ち据える金槌(かなづち)を携さえて出向き、石造りの橋梁やら闘技場(コロッセオ)やらにそれらの道具をあてがい、幾万もの点線を穿って(うがって)、いづれかの時に崩落させるのを生業(なりわい)としている者である。

 

 コロッセオが混じってるから二千年前の古代ローマが全盛を極めていた時期だろう。

 呼ばれたあちこちに出張って(でばって)いっては、そこの土地と土民を征服し征服の爪痕に土着のありものの石で同じ物ばかりを拵えていったローマのかたちに点線をを穿ち(うがち)崩落させていく。

 否応なく(いやおうなく)とはいえ、幾万の者が幾年も掛かって拵える石造りであれば、一握の憤怒(いちあくのふんど)一握の憤怒(いちあくのふんど)で一つや二つの穴を穿ってもピクリともしない。幾万幾年(いくまんいくねん)の憤怒の汗と涙の矛先を砂塵もろともに崩れ落とすには、素人には掴めぬ阿吽(あうん)が必要だ。

 

 たとえ磔刑八つ裂き(たっけいやつざき)の憂き目にあおうとも、ローマの蹂躙で拵えたもののほんとうの完成は、砂塵(さじん)をあげての崩落が完遂(かんすい)したとき。たくさんの(おん)が、爪痕の残る(こうべ)を見せまいとローマ兵の前ではけっして剝がないベールを満月に照らされる夜陰の中で剝がしたとき、それは狼煙(のろし)のように立ち昇る。

 狼煙は昇る、月の上まで。

 月を見て、その上の狼煙のありかを眺める者が現れ、住まいを持たず(たがね)とそれを打ち据える金槌(かなづち)を持って方々への鏨師(たがねし)の生業は生まれる。


 彼のたぐいまれな能力は、それら二つを使いこなす膂力腕力(りょりょくわんりょく)ではない。 

 はじめて見つけた狼煙をそれと嗅ぎ取ったように、石造りの重み硬さのどの中に穿つ点(うがつてん)があるか、完成となる崩落が起こるかを見据える嗅覚である。

 彼は見る。満月の上の狼煙を見たように嗅覚が呼び起こされるまで見続ける。

 石の中の幾万幾年(いくまんいくねん)の憤怒の汗と涙をかぎ取ると、山のようにそそり立ったその中の骨が見える。梁の(はり)ように支える太い大腿骨に纏う(まとう)肉が見える。山をつくる鉄線の紡錘の束にした肉を隠してる皮が見える。目の詰まった皮の何処に脱皮する前の蛇のようなムズムズする痒さが蔓延って(はびこって)いるか、穿つ先かを見つめる。


 穿つ先を見届けるまで、彼は石の山には昇らない。

 昇るのは、穿つ先を見つけたとき。だから、ローマ兵はおろか彼を雇い入れた者さえ金槌の音に気付くのは、砂塵(さじん)をあげての崩落が完遂(かんすい)するときの秒読みである。

 ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・とうを数えることはない。

 ローマのかたちが崩落したあとは、砂塵と地響きと崩落、男たちへの捕縛、磔刑八つ裂き、女子供の慟哭と続くオオバラクタが蔓延る(はびこる)のが待ち受けているから、静かに密かに鏨師を気遣うものなどいない。彼はふたつの道具を携えて別の狼煙が立ち上がるまでの休息に己れの身体を隠していく。


 ただ、ひとり、鏨師が金槌をふるい石を穿つ姿を見たものがいた。

 それは、五つにも満たない子どもだが、夜中の小便が我慢できずに寝間着のまま夢遊病のように通りを横切り、小便をしながらその姿を眺めたのだという。

 やんぬるかなと己れの膀胱の大きさが分かったあと、そのかたちが萎んでいく幸せの中でその子は、片肌脱いで石の巨人(コロッセオ)を穿つ鏨師が小さなコロッセオに見えていたという。

 ムズムズした蛇の鱗のような点線が、鏨師の大きな二の腕を蚯蚓腫れ(のたうって)したようにのたうっていたという。


 いまはそのどれもこれもがが砂塵(さじん)に埋もれ、中のどれが(おん)からの憤怒を起こし磔刑(たっけい)八つ裂き(やつざき)阿鼻叫喚(あびきょうかん)に至ったものなのか。

 それを推しはかる(すべ)はなにも残っていない。

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