サウダージ5 ~たばさむ~
江戸時代末期の150センチよりもサムライが小さかったころの男に、いきなり尋ねられた。
「おいっ、英語で50,000って、なんて言うんだ」
およそ、ひとにものを尋ねる言い方でないはが、格好がチンケな分、たばさむ二本差しが足にめり込むように重そうで、凄みさえ感じるから、安易な「売り言葉に、買い言葉」は躊躇する。
時が同じ今をたばさむ輩ではない、らしい。
うまくは見えてこないが、時が同じ今とは繋がっていない点線が、どれだけ着倒したか分からないほどの黒の抜けた羽織袴に空いたあちこちから零れている。
幕末の京の都あたりで、たばさんでいる二本差しを、己れの手足と同じくらい頻繫にビュンビュン抜き身にしてきた輩かもしれない。理など一つとしてなく、これから今夕までの間に己れが塵芥に変わってしまう殺され方をしても受け入れている饐えた臭いがする。
吸い込んではいけない。
塵芥になっても、砂鉄のように重くて痛いものが、吸ってしまったらさいご、肺腑の中からでも、あの二本差しと同じ刃で切っ刺いてきそうな悪相だ。
通りがかりにたむろしているのは、時が同じ今の輩ばかりではないのだ、
そんな間違いとも思えぬ穂先の類で、斬られ殺され「あとのまつり」と思い返すようなことを、眉ひとつ変えずやらかされは、たまったものではない。
ふぃふてぃ さうざんどと、紋切り型で伝えるだけでいいのか。
それとも、そのあとの、2の矢3の矢にまで及んで、余白をたばさんだ何かを添えれてやればいいのか。腕を組んで、間合いをとる暇などないのだ。2、3日常考えさせてくれと、さっと別れるわけにはいかないのだ。
穂先だけの鍔迫り合いのことゆえ、かえって質が悪い。見極めが難しい。
「小さな数なら、しってるんだよね」
ぶっきらぼうで始まった相手に、ですますの丁寧調で返しては、かえって慇懃だと、幾度かの往復を済ませ同じ目線となった相手のように返す。
「もちろん」と胸を張って、チンケなサムライは返してきた。
なんなら1から百まで並べてみようかの素直な目で、その胸を近づけてくる。汚いが、悪相ではないらしい。ことに及んだらの切羽詰まった感じまではないらしい。こいつがだめなら、別のものに当たってみようかくらいのゆとりはあるようだ。
わたしは、親切が基本だ。
ここで、一度に済ませてあげられるのなら、あとの二度三度がなくても済みそうなら、そのあたりまでは一括面倒みてあげて、誰も彼も少しでも滑らかが通っていくのがいいと思っている。
「さっき、尋ねたの、五万でなくて、50,000だったよね」
「うん、算術は心得てるから」
「それなら、あちらの方の数え方が、千が五十個あるって括りなのを先に説明した方が、分かりやすい人なんだ」
「なるほど。数字の当て込みだけでなく、組み立てを覚えておくと、ばらで教わるよりも応用がきく」
もう、わたしは、このチンケなサムライの、時が同じ今とは繋がっていない点線や、重そうに手挟んだ二本差しが気にならなくなっていた。
どこまで着倒したか分からないほどの黒の抜けた羽織袴が、ひと昔前の日本の貧乏が目に見える貧乏であったころの同じ路地の長屋にいたすっごく汚い格好だったけど地頭がすっごく良かった大悟と、重なる・・・・
「そうそう。そういうこと。だから、英語の50ふぃふてぃが1,000さうざんどの語順から・・・」
「ふぃふてぃさうざんど」
わたしたちは、大悟の家に戸口前に置かれていた大悟の太ったばあちゃんが座る大きな腰掛に座って、「もう、いらないから」と、中学生からもらった数学や英語の参考書をもらって、並んで読んで、一緒に背伸びしてた、身長145センチの小学生に戻っている。
ふたりして、あんな本を大切にたばさんでいた、今はどこにもない、あの時分・・・・




