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いつから俺の青春が『普通』だと思っていた?  作者: 結城 ユウキ
第4章 青春の分水嶺

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第36話

 出番は最後。つまり多少は準備できる時間がある。


 そう思った俺は、旭丘に声をかける。


「なんか作戦ないのか?」

「立野くんは全力で走る。私はそれに合わせる。以上」

「……本気?」

「本気。最初は右足から出してね」

「あ、はい……」


 目が本気だ。有無を言わせない雰囲気がある。


 けれど確かにその作戦は、理に適っていると言えた。


 俺と旭丘は全く練習をしていない。そんな状態で無理に合わせようとすれば、確実に転んでしまうだろう。


 しかし、片方が片方に合わせるだけなら、なんとかなるかもしれない。


 恐らくだが、俺と旭丘の足の速さはそう変わらないか、旭丘が少し速くらいだ。そこに旭丘の運動神経が加われば、俺に合わせるくらいはやってのけるだろう。


 あまりにも大雑把で大胆な作戦だが、旭丘ならなんとかしてくれそうな気がする。細かいところは彼女に任せて、俺は全力で走ろう。彼女を信じればいいのだ。


 あまりにも短い作戦会議が終わり、俺はリレーへと目を戻した。


 E組チームは最下位。だがぶっちぎりで離されているわけではなく、なんとかくらいついている。他のクラスも同様で、大きく差がついているところはない。


 つまりどこのクラスにも勝機があるということ。当然それは、アンカーに重要な仕事が回ってくることも意味していた。


 一組、また一組と前からいなくなっていき、ついにアンカーの番がやってきた。


「え? なんか緊張してきたな」


 小学校から今まで、運動会や体育祭で目立つ競技なんてやってこなかったためか、やけに心が落ち着かない。圧倒的な経験不足だ。


「ちょっと……大丈夫?」

「……大丈夫じゃないかも」

「ええ……」


 動機がするし息苦しさもある。手も足も、震えているような気がする。


 ああ、これはちょっと、まずいかもしれない。


 呼吸が少しずつ荒くなってきたその時。


 俺の右手を、旭丘の左手が優しく包みこんだ。


「はい、これで少しはマシになるでしょ」


 そんなことを言いながら、手を握ってくる。


 俺は黙って、その手を握り返した。


 細く、温かい手。


 そのぬくもりを感じていると、少しずつ心が落ち着きを取り戻してくるのがわかった。


 動機や息苦しさがなくなって、震えもなくなった。呼吸もいつも通り。


「……落ち着いた」

「そう、よかった。でも、余裕がないあなたは新鮮で面白かったわ」


 くすくすと、手を繋ぎながら旭丘が笑う。


 確かに人前であんなに取り乱したのは初めてかもしれない。でもそれが旭丘の前でよかったと、そう思う自分がいた。


「もうすぐ出番ね」


 その一言で、現実へと引き戻される。


 気がつけば、他のクラスのアンカーたちがスタートし始めていた。E組は変わらず最下位。先程よりも距離は離されてしまっている。


 しかしアンカーだけはトラック一周。つまり二〇〇メートル走ることになっているため、逆転できないわけではない。


 他のクラスのアンカーが全てスタートし、残るは俺と旭丘だけ。スタートラインに立ち、繋いでいた手を離して俺は旭丘の肩に、旭丘は俺の腰に腕を回す。


 審判も持ち場を離れ、ゴール付近へと向かう。


 そこは何を話しても、俺と旭丘にしか聞こえない空間になった。


 前のペアが残り二〇メートルにまで接近してきた時、旭丘がふと口を開く。


「そうだ、一つ伝えたいことがあって」

「この場面で? なんだ?」


「私、立野くんのこと好きよ」


 時が止まったような感覚とは、このようなことを言うのだと思った。


 全てがスローモーションに見える。


 目の前の旭丘の屈託のない笑顔も。


 周りの観客も。


 近づいてくる前のペアも。


 何もかもがゆっくりで、音が遠くにしか聞こえない。


 俺は今、旭丘に告白されたのか?


 脳がそう理解するまで、あまりにも長い時間がかかったように思えた。


 だから次の言葉を紡ぐのに、相当の時間を要してしまって。


 旭丘の方が早く、口を開いた。


「あ、もう来るよ」

「え?」

「ほら」


 気付けば、前のペアは残り五メートルまで来ていた。


「勝つよ」


 そう言い放った旭丘の目は、先程の告白などなかったかのように、もう目の前の勝負しか見えていなかった。


 だが俺にも、そんなことを考えている暇はもうなかった。


 襷を渡され、旭丘が掛ける。


「行くよ! せーのっ!」


 旭丘のその掛け声で、俺は右足を踏み出した。


 全力で走る俺に全力で合わせると旭丘が言った。だったらもう、それを信じるしかない。


 男女の二人三脚は通常、運動能力の低い女子側にスピードを合わせることになる。だから基本女子が走るスピードになり、その中でいかに転ばないかを競うことになる。


 だがその中で、男子のスピードで走ることができてかつ、転ばなければどうなるか。


 答えは明白だ。


 俺は言われるがまま全力で走った。足が速い方ではないが、決して遅くはない。大抵の女子には勝てるタイムだ。


 そのスピードに、旭丘は余裕でついてくる。歩幅も長い脚を活かしたストライドでピッタリ合わせ、寸分の狂いもなく俺の全力疾走に並走してくるのだ。それも足を繋いだ状態で。およそ人間業ではないが、旭丘はそれを本当にやってのけた。


 スピードに乗った俺と旭丘は、次々と他のクラスのアンカーたちを抜かしていく。


 そして残り五〇メートル。最後の直線で、現在一位のB組を捉える。


 しかし俺の足は既に限界に達していた。


 それもそうだ。普段運動していない人間が急に二〇〇メートル走をしているのだから。


 足が重い。腿の奥に焼けつくような重さがのしかかってくる。


 それは鉛のように沈み、ひと振りするごとに「もう上がらない」と悲鳴をあげる。呼吸は荒く、喉の奥が焼けつき、心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響く。前に出したはずの足が、遅れて着地してしまう感覚。体が言うことをきかず、ただ意志だけで前へ押し出している。


 それでも押し出せるのは、隣に旭丘がいるから。


 彼女が頑張っているから、俺も頑張ろうと思える。


 彼女が勝つと言ったから、俺も勝ちたいと思える。


 必死で走り続け、ついにB組に並びそのままゴールテープを切る。


 と同時に足をもつれさせ、俺は体勢を崩した。


「きゃっ」


 足が繋がっているから当然旭丘も倒れてしまう。


 俺は咄嗟に地面と旭丘の間に仰向けで体を投げ出し、なんとか旭丘が地面に衝突するのを避けた。


 背中が砂に叩きつけられた瞬間、肺の中の空気が一気に押し出され、息が詰まった。硬い地面に直に打ち付けられた骨の感覚が、背骨を駆け上がって頭の奥まで響く。


 さらに、俺の胸の上に旭丘の重さがのしかかった。旭丘自体は女子の中でも軽いほうだろう。だが人間としての重さが在る。肋骨がきしみ、皮膚の下で内臓がぎゅっと圧迫され、鋭い痛みが脇腹を走る。


 砂粒が背中に食い込み、火傷のような熱と鈍い痺れが同時に広がる。痛みと衝撃に頭が真っ白になりながらも、「旭丘が無事ならそれでいい」と自分に言い聞かせるしかなかった。


『一位はE組! E組です!』


 眼前には青い空が広がり、胸の上には旭丘。


 そんな体勢で息を切らしながら聞く勝利のアナウンスと歓声は、特別気持ちの良いものだった。頑張った甲斐があったと、心から思える。


「旭丘……大丈夫か?」

「え、ええ……。こちらこそごめんなさい」


 旭丘はそう答え、足を繋いでいた紐を解いてから立ち上がった。


「立野くんこそ……大丈夫?」

「大丈夫に見えるか……?」

「見えないわね……」


 少しだけ、息を整える時間を待った。


 そして体を起こし、立ち上がる。


「旭丘、さっきの――」


 俺がそう言いかけると、旭丘はそれを手で制した。


「今は返事いらないの。伝えられて満足してるから」


 そう告げる旭丘の顔は、確かに清々しかった。一片の後悔もない、晴れやかな表情だ。


「どうせあなたのことだから、よくわかってないんだろうしね」

「……意外と、よく見てるんだな」

「そりゃそうよ、好きだもの」

「……っ」


 これだけグイグイ来られると反応に困る。というか、照れる。


「ま、今日はこの辺にしといてあげる」

「ぜひそうしてくれ……」


 じゃないと俺の心が持たない。


「でも、これからは覚悟しといてよね」


 旭丘は俺に向けてびっと指を差した。


「絶対、あなたに好きになってもらうから!」


 そう宣言してから旭丘はくるっと背を向け、


「あ、みんな並んでる! 早く行かないと」


 走者が並んでいる待機列に走って向かった。


「――はは、全く。敵わないな」


 乾いた笑いとともに、そんな言葉が口をついた。


 そんな彼女の背を目で追いながら、俺は確信する。


 俺の青春は、もう『普通』じゃなくなってしまったらしい、と。


ここで一区切りとなります! 気が向いたら続き書きます~

少し間は空きますが新作も順次公開予定なので、この作品を少しでも面白いと思ったらお気に入りしていただければ幸いです!

またお会いしましょう~

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