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悪女の消えた世界  作者: 三食うどん
エリオス・サー・アレサンドロ
9/22


 また今日もこの日が始まる。

 (かつ)ての婚約者であり、今や最悪の反逆者として名を残すことになったベアトリーチェ・デルリア・ラス・モラトリアスの没命日。それを国の平和と平等の記念日と定めてから5年の月日が経った。伝え聞くところによると、この日王都にはあちこちに屋台が立ち並んでおり、街の中心にあるサンジェルマン広場では毎年盛大な催しが開かれているという。それも年を追うごとにその規模も拡大し続けているため、その様子は今や建国祭にも引けを取らないほどだそうだ。しかし人々の溢れんばかりの熱気と活気は、(とばり)を締め切ったこの部屋に届くことはない。部屋に充満する薄暗く冷やりとした陰気な空気が私の心情を物語っているかのようだった。

 私は重たい体をなんとか引き上げると、自ら暖炉に火を灯し、薄暗い部屋の中でゆらゆらと陽炎(かげろう)のように立ち上る炎を眺めながらのろのろと服を着替えた。普段ならばそれらは侍従や侍女の仕事になるのだが、彼らとてこの日ばかりは一切この部屋に立ち入らない。

 先の内乱での犠牲者の死を(いた)み、より一層の平和と平等を実現する決意を神に示すため、この日は王自ら居室に御籠(おこも)りする。表向きはそういうことになっている。しかし実際は、今日という日を皆と共に祝う心境になど到底なれないためであった。私は私のために、今日という日を己の罪と向き合う日と決めている。


 自身がこの国の王に即位してから16年、そして前王が崩御してから15年。特に父王が身罷(みまか)ってからの10年間は目まぐるしいものであった。

 父の跡を継いだ後、私がまず着手したのは国民全体の質を上げ優秀なものを貴賤(きせん)問わず積極的に雇用することである。当然即位したばかりの新王に反発する声は少なくなかった。しかし、(かつ)て私の婚約者でもあったベアトリーチェ・モラトリアスが起こした数々の事件や、それに伴った名門と(うた)われていた貴族家の廃絶や粛清の嵐は人々の心に強く残されていた。そのため、皆表立って異を唱えることができなかったのである。

 先の粛清で王家と対立関係にあった貴族家が軒並み力を削がれていたというのも一因の一つであるし、比較的早い段階でデルスペル家やハイデンスク家といった力のある貴族家の賛同を得られたのも大きい。もちろんそれでもすんなり事が進んだわけではない。大きな反乱こそなかったが、水面下での小競り合いはいくつも起こっていた。それでも今や国母となったヘレナを筆頭に民心や下位貴族たちを味方につけ、出自に関わらず優秀な者を育て受け入れる土壌をなんとか整えることができた。前王の頃より撒いていた種が今、ようやく芽吹きつつあるのである。

 前日の夜のうちに侍女が用意しておいたテーブルの上のデキャンタから、二脚のゴブレットに蒸留酒を注ぐ。その一つを手に取ると、虚空に向かって献杯(けんぱい)した。

 琥珀色の液体に口を付けると深く豊潤な香りと共に強い酒精が立ち上ってきて、思わず眉根を寄せる。元来酒を好む性質ではないが、構わず流し込むと途端に喉に火が灯った。反射的に咳き込み口元を拭う。今の一口で大分酒が回ったようで、全身が熱を帯びているようだった。父王も寝る前の飲酒を欠かさない人であったが、なぜ皆このようなものを好んで口にするのか理解に苦しむ。


 あれは私の成人を祝う夜会でのことだった。これまでも酒に慣れる訓練はしていたが、どうにも自分の体質には合わないようだった。しかし成人を迎えた後の夜会となれば酒を飲まないわけにもいかず、どうにか表情を(つくろ)ってはいたが内心は酔いと会場の熱気で気分を悪くしていた。その時、普段は私の傍らに静かに控えている婚約者が私の袖を引き、会場の熱気に充てられたので少し夜風に当たりたいと言い出した。ここから出るのは私にとっても是非もないことなので、給仕に水を頼むと婚約者をバルコニーへとエスコートする。彼女がしばらくして現れた給仕から水を受けとる様を、無意識のうちに恨めしそうに眺めていたのかもしれない。彼女は受け取った水を飲むそぶりを見せないままこちらに近寄ると、私にグラスを差し出した。


「ここからなら誰にも見られません」


 彼女の意図を理解した私はグラスを受け取ると一息で飲み干した。冷たい水が喉を通ると、そこから体の火照りが冷やされていくようだった。私から空のグラスを受け取った後は、まるで従者のように一言も発さずに後ろに控えている。


「情けないと思うか」


 彼女の表情が分からず、思わずこんなことを尋ねていた。彼女はしばしの沈黙の後、答えた。


「いえ、そのようなことで殿下の価値が損なわれるとは思いません」

「だが、酒を(たしな)むことはカンタレツィアを統治する王族の義務だ」


 丘陵(きゅうりょう)の多いこの国の主な産業は酒造業である。多くの酒類が国内外に流通し、毎年時期が来ると各地の酒が集められ、その年の出来を確かめる品評会も催される。産地や製造法などにより味も異なるので、貴族の(たしな)みのひとつとして利き酒を行う者も多い。父王もまたこれを得意としていたし、王族主催の利き酒会も定期的に開かれていた。このたび成人を迎えた私も、これからはそれに参加しなければならなくなると思うと憂鬱だった。


「恐れながら差し出口を申し上げます。殿下は飲酒が王族の義務とおっしゃいますが、その義務は必ずしも殿下が全うしなければならないものではありません。殿下が飲めないならば、他の者が殿下の分まで飲めばいいのです。利き酒会や品評会は無くすことが難しいですが、利き酒は色、香り、味を総合して判断するものですから、そもそも飲む必要はないのです。酒を口に含んだ後に吐き出し、また水でゆすぐ手法もあると聞きます」

「確かにそうする者もあるが、大抵そういう者は酒も飲めない腰抜けと揶揄(やゆ)されている」

「父兄の話によりますと、利き酒会では毎度泥酔するものが後を絶たないと言います。あれだけ酔っていては味も何もわからないだろうと。ですから本来の利き酒の趣旨(しゅし)を取り戻すという意味でも、利き酒会では口に含むだけで飲んではならないというきまりを作ってはいかがでしょう」


 この国では酒が飲めないことが弱点のひとつとなり得る。もちろん実現するには更に詳細に検討することが必要だが、この案は酒にあまり強くない貴族たちにも受け入れられそうだった。


「ふむ、参考にしよう。……ところでそなたは随分と利き酒に詳しいようだが、経験が?」


 一般的には利き酒は男性の(たしな)みとされている。女性が大量に酒を飲むことは敬遠されるからだ。しかし酒を飲まない利き酒ならば女性が参加することも可能かもしれない。


「幼い頃より果汁の代わりにワインを飲ませる父の下育ちました。父や兄ほど堪能ではありませんが、利き酒をすることもあります」

「なるほど、そういえばモラトリアスの領地は国内でも有数のワインの産地であったな。陛下もモラトリアスのワインが一番口に合うとよくおっしゃっている」

「恐れ入ります」


 モラトリアス家では女子供も当たり前のようにワインを飲んでいるのだろうか。そのように幼い頃より訓練していれば私も人並みに酒を楽しめるようになったのだろうか。ふとした考えが頭をもたげた。

 私もモラトリアスの家に生まれていれば、ベアトリーチェ・モラトリアスのような人間になれたのだろうか。

未成年者の飲酒、またはお酒が飲めない人への飲酒の強要は大変危険です。絶対に止めましょう。

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