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「エイブラム・モラトリアス様がご入室されます!」
近衛騎士の宣言の後、謁見室へ入室する。王族専用の椅子に腰かけている存在を前に、私は騎士としての礼を取り跪いた。
「カンタレツィア王国王太子、エリオス殿下にご挨拶申し上げます」
「よい、面を上げろ」
殿下の合図と共に顔を上げる。
「これより全ての引継ぎが終わりましたので、最後のご挨拶に参りました」
娘の行いの責任を取る形で、モラトリアス侯爵家は廃絶することとなった。しかし、これまでとその後の献身への褒章として我が息子は伯爵位を賜り、姓をラスウィークと改めることとなった。陛下は私にも役職を下さろうとしたが、私はそれを辞して領地へ蟄居することを決めたのだ。
「そうか。卿のこれまでの働き、ご苦労であった。新しき地でも達者で暮らせ」
「お言葉、ありがたく存じます。しかし殿下。私はもう貴族ではございません故、どうかただのエイブラムとお呼びください」
「――そうであったな」
「この度は我が息子コルラードを殿下の親衛隊に推挙していただきまして、過分なご温情感謝の念に堪えません」
「ああ、あれはなかなか使える男だ。一介の兵士に埋没するのはあまりに惜しい。此度の反乱分子のあぶり出しにはそなたやコルラードに随分と骨を折ってもらった。改めて礼を言おう」
「……身内の不始末のけじめをつけただけのこと、礼にはおよびませぬ」
噛みしめるように言葉を続けると、しばしの沈黙の後、殿下が疲れたように肩を落とした。
「エイブラム、お前と腹の探り合いをするのは疲れる。何か私に言いたいことがあるのだろう。よい、人払いをしよう」
殿下の提案に、私は一も二もなく頷く。しかし当然のことながら護衛騎士たちからは反対の声が上がった。
今回の騒動の先端にいたのは我がモラトリアス侯爵家の娘ベアトリーチェである。それはベアトリーチェを除籍したところでモラトリアスに向ける世間の目は変わらない。モラトリアスは取り潰されたが、私やコルラードは直接咎めを受けたわけではない。特にコルラードに至っては爵位を賜ったばかりか王族に重用すらされているのだ。そんな不満もあってか、我らに対する視線は未だに厳しいままであった。
剣の柄に手を置いて私に対して警戒態勢を取っている騎士たちに、私は向き合った。
「そなたたちの懸念は護衛騎士として当然のものである。同じ騎士であった者として、そなたたちの行動を誇りに思う。しかし私は武器となるものを持ち合わせてはいないし、決して殿下の御身を害する意思はない。騎士ではなくなったため主君に誓うことはできないが、代わりに我が誇りに誓おう。必要であればこの場で衣服を改めてもらって構わない」
「もうよい、下がれ。この者は古くから王家に対して忠誠を貫いてきた。それを今更覆すような男ではない。この者の人となりを知る者であればこの者の矜持をよく理解しているであろう」
この場にいる何人かは私が直接指導を行った者もいる。その者たちは早々に警戒を解き通常の姿勢へと戻っていた。残りの騎士は未だに警戒の念を拭えていないが、それも殿下の言葉で矛を収めるしかなかった。
護衛騎士たちが残らず部屋から出ていくと、辺りを静寂が支配していった。殿下は立ち上がり、私の方へと歩みを進める。私は跪いたまま言葉を絞り出した。
「殿下、私は――殿下と昔話がしとうございます」
「……ああ。私もだ」
殿下のお顔を見上げた瞬間、私は悟った。このお方はもう全てご存じなのだと。
私は王家筆頭の忠臣の家系として、幼い頃より王家との関りを持ってきた。当然のように殿下の幼少の砌から傍にあったし、護衛騎士として殿下のお傍に侍っていた時期もあった。その頃は娘や息子よりも遥かに長い時間を殿下と過ごしていた。だからこそ分かるものがある。少しの幼さと精悍さが混在する目元に、隠し切れない憂いと苦悩が広がっていることが。
「はじめにこれだけは聞かせていただきたい。我が娘の行いを、殿下は…いつから、どこまでご存じなのでしょうか」
私の質問に、殿下は重いため息をついた後答えた。
「誓って、最初から知っていたわけではない。私は愚かにも…彼女が死んだ後に、父上から……聞かされたのだ」
殿下の強く握られた拳が震えていた。今現在、彼が如何に苦しめられ、後悔の念に苛まれていることをその拳が如実に表している。
現国王陛下であるエリアス一世は、一人の親である前に一国の王であった。国のために娘の献身を利用することも、このような残酷な真実を自分の息子に告げることも、それが必要なことであれば一切を厭わない。
そして娘の死後にそれを告げたのも殿下の性質をよく知る故だったのだろう。殿下は未熟で愚かだが、心優しく情を全て捨て去ることができない。幼い頃より知る殿下は、そういうお方であったのだ。だからこそ上手くやっていけると思っていた。モラトリアスとしての意に反して王族と縁続きとなったとしても、このお方との婚姻なら政略的なものだけではない幸福が得られるのではないかと思っていた。だからこそ、婚約の打診を受けたのだ。
私は自身の浅慮さを恥じた。一矢報いてやろうと思っていた。このまま娘の想いを知らないでいたら、殿下のために犠牲になった我が娘があまりにも浮かばれないではないかと。娘のためという言い訳をしながら、私自身の密やかな復讐心を満たしてやろうと考えていた。
何も知らないなら、残酷な真実を残酷なまま知らしめてやろうと。しかしそれはまるで意味のないものだったのだ。
「そなたはいつ知った。最初からというわけではないだろう」
「私も娘から直接聞いたわけではございません。あれにとって私は相談するに値しない存在でしたから…。真実を知ったのは反逆者たちの動きを調べる際に、そこに陛下の関与を疑ったからです。直接陛下の下に参って事実を確認いたしました」
娘は賢い子ではあったがなんの権力も持たない貴族令嬢であった。さらに除籍されていたため家門の権威も及ばない。王家に仇なそうとする貴族家が協力していたとはいえ、あれほどの行いを娘一人が先導できるのだろうか。初めは王家の側近に密通者がいるのではないかと疑ったが、調べれば調べるほど隠し切れない陛下の手の痕跡が浮き彫りになっていった。思えば反逆者のあぶり出しを我がモラトリアス家が筆頭となって行っていたのも、陛下の裁量であったのかもしれない。
「侯爵、ベアトリーチェのことは……本当に――」
「それ以上のお言葉はどうかお控えください」
私は不敬にも殿下の言葉を遮る。
「ご無礼をいたして申し訳ありません。しかしどうか、娘のためにもお控えください。これは娘自身が決断して行ったこと。殿下が少しでも娘の死を偲んでくださるならば、娘が命をかけて護ろうとしたこの国をどうかより良いものにしていただけるよう願います」
「ああ、誓おう。父上の悲願を継ぎ、私の代で必ず成し遂げて見せよう」
この国は今、建国時以来の激動の時代に向かおうとしている。
エリオス一世が目指し、そして多くのしがらみに阻まれ成し得なかった貴賤の差のない世の中を。次代の王であるエリオス二世がその意思を継ぎ、平民の娘を王太子妃に据えることでそれは加速度的に進んでいくこととなる。
それは本来であれば不可能なことであった。
だが、それを可能にしたのがベアトリーチェという悪役の存在だった。自身が悪女として振る舞うことで、貴族たちが抱くはずの王族への不満や不信感から目を逸らさせ、娘に賛同し謀反を企てた貴族家を軒並み断頭台へと引きずり込んだ。そして、自らを悪辣な貴族の代表であるかのように君臨させ、貴族や王家に対する国民の怒りを全て自身に収集し、衆目の下討たれることでそれを発散させたのだ。
今や多くの国民が王家を支持し、中でもエリオス二世とその婚約者であるヘレナの人気は絶大なものになっていた。こうなっては貴族たちも表立って批判するわけにもいかず、多くの貴族家がヘレナを支持しその後ろ盾となっている。我が息子であるコルラードの家門、ラスウィーク家もそのひとつである。
エリオス二世の目指す治世を盤石なものとする。それが我が娘ベアトリーチェの献身と犠牲の全てだった。娘は例え剣を持たずとも、誰よりもラスウィーク・モラトリアスの意思を受け継いだ誇り高き騎士であったのだ。
もちろんこれで全ての憂いが晴らされたわけではない。これから進めていくあらゆる政策によって新たなる問題や反発が起こっていくだろう。エリオス殿下やその婚約者にも、より一層困難が降りかかるに違いない。しかしそれを傍で払うのはもはや私の役目ではない。
「これからは我が息子が必ずや殿下のお力になりましょう。コルラードとこの件について話をしたことはありませんが、あれも優秀ですから何かしら感づいているはずです。しかし、息子もモラトリアスの性質を受け継ぐ者ですから、殿下の親衛隊へ身を置くことを決心し殿下を護ると決めたなら、必ずやり遂げるでしょう。姓を新たにラスウィークとしたのも、そういった決意の表れなのだろうと存じます」
「そなたはもう王都には戻らないつもりか」
「私はモラトリアスの名と誇りを捨てました。今後はただのエイブラムとして、残りの余生を娘を想いながら生きとうございます。遠き地でこの国の行く末を見守っております」
「……私は信頼に足る人間を、二人も失ったのだな」
こちらへと視線を向けた殿下の表情は、どこか迷子のようだった。
「エイブラム。ただのエイブラムになったそなたに頼みたい。私は王族として、自らの行いに責任を持たなければならない。だがその役目を放棄した時、再び過ちを犯した時、己の誓いも果たせずそなたの娘の献身を無駄にしてしまった時、その時はそなたの手で……どうか私を罰してくれ」
「殿下、私は命を懸けて殿下を護らんとした我が娘の意思を尊重します。ですが、殿下が今後、我が娘が見限るようなお人になられた暁には、殿下の願い通りにいたしましょう。コルラードを相手にするのは些か骨が折れるでしょうが、――その時は必ず」
その場を辞して立ち去る私の耳が「ありがとう」という小さな呟きを拾った。それは酷く幼い響きであった。それを振り切るようにして、私はこれから終生を過ごす地であるカルカスへ旅立つ。我が妻と、我が娘、ベアトリーチェの遺品と共に。




