ノイワールの森の危機
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──ノイワールの森の危機
第9地区の掃討戦は続いた。
あれからワーム2体、オーク4体、テンタクル1体を撃破し、それで一先ず森の中は静かになった。だが、不穏な要素も残る。
魔力値だ。
観測所のデータでは魔力値が400マナを記録していた。通常の4倍近い。
「これは確かにワームやワイバーンが出てもおかしくないな」
チェスターは深刻そうに計器の数字を読んだ。
「問題はこの第9地区だけか?」
「今のところは。ベルトランド爺様がぼけたとは思えんが」
第9地区以外では魔物も魔力値の異常な上昇も確認されていなかった。普通の森より若干高い数値が記録されているが、淀んだものではない。魔物やダンジョンの存在は確認されていない。
「ベルトランド爺様に話を聞くしかないか」
「そうするべきでしょう。それも早急に。こうしている間にも何かが起きている。ノイワールの森は広く、重要です。ベルトランド爺様から事情をお聞きして、対処するべきです。我々の出来ることがあるならばするべきでしょう」
「そうだな。急ぎの馬車を準備させよう。ベルトランド爺様に会いに行くぞ」
チェスターはそう告げて森を出口に向かって歩き始めた。
「エリックさん、エリックさん。お役に立てましたか?」
「ああ。君と君の守護霊はとても役に立っているとも。小春はワイバーンの首を刎ね飛ばし、ワームを切断したし、君自身は動物霊から言葉を聞けた。君のその動物の声が聴ける能力は驚異的だな」
「それほどでも!」
フィーネはワイバーンが貪っていたクマの死体から降霊術を行い、襲われた時の状況を聞き出していた。誰か人間が仕留めたものではなく、ワイバーンが襲い、格闘している間にワイバーンの群れに囲まれて貪られたとのことであった。
普通ならば理解できないクマの言葉をフィーネは理解したのだ。
デルフィーヌは驚いていた。とても。
彼女の場合、動物霊と交信するには薬物を使い、獣に成り切らなければ不可能だった。それをフィーネは何の準備もなくやってのけたのだ。
「フィーネちゃん! フィーネちゃん! あれはどうやったの!? どういうメソッドを使ったの!? 私にもできるかしら!?」
「え、ええっと。ちょっと分からないです。やってみたらできたって感じなので……」
しかしながら、フィーネがどのようにして動物霊と交信できているかは分からなかった。彼女の備わった先天的な才能なのか。それとも知らぬ間に何かコツのようなものを見出したのか。実に謎であった。
「フィーネちゃんは森林監視員になるべきよ。大学で動物学を専攻し、レンジャーの資格を取ってから森林監視員になりなさい。きっとフィーネちゃんなら動物たちと心を通わせて、密猟者たちから動物たちを守ることができるわ!」
「い、いや。自分は心霊捜査官になろうかなと……」
「ダメよ、ダメ。それだけの才能があるのに森林監視員にならないのは損よ。森林監視員になって、それから私と動物霊の研究をしましょう。そうしましょう!」
デルフィーヌは巨大な胸をフィーネにぐいぐいと押し付けながら迫る。
「デルフィーヌ。フィーネの将来はフィーネが決めるものだ」
「でも、この才能よ? もったいないとは思わないの?」
「心霊捜査官でもその才能は活かせる」
エリックはそう告げる。
「もー。もったいないわ。森林監視員も魅力的な仕事なのよ? 季節ごとに動物の数を計測して、彼らが絶滅の危機に瀕していないかを調査し、時として育児放棄された動物の子供を親の代わりに育ててあげているの。動物の赤ちゃんはどのこもふかふかのふわふわなのよ? そしてつぶらな瞳!」
「ふかふか、ふわふわ……」
一瞬森林監視員の仕事に気が向きかけたフィーネだったが気を取り直す。
「私は心霊捜査官になるんです。そして、数多くの事件を解決して、犯罪を予防し、都市の治安を守るんです。森林監視員の仕事がダメだとは言いませんけれど、私が目指しているものとはちょっと違います」
「そう? やってみないと分からないものよ?」
「私は心霊捜査官の仕事に密着させてもらってそれが有意義な仕事であると確認しましたから。それで十分です」
「森林監視員の仕事も体験してみない? 動物を保護できたときの感動はひとしおよ。それにレンジャーの資格があれば、森林監視員だけでなく、探検隊にも加われるし。未知のものが見れるわよ。そして、ふかふか、ふわふわの動物の赤ちゃん」
「ふかふか、ふわふわ……」
また一瞬気が向きかけていたフィーネだが立て直す。
「と、とにかく、私は心霊捜査官になりますので!」
「ええー。もったいないわ」
デルフィーヌは不満たらたらだった。
「おおい! 馬車を準備したぞ! ベルトランド爺様のところまで向かおうではないか! ベルトランド爺様に何が起きているか聞かなければ!」
森を出るとチェスターが装甲動力馬車とは違う動力馬車を準備していた。少し留守にした間に、城に使いを送って準備したらしい。
「さて、何が起きているのかしらね」
「あまり大事にならないことを祈るばかりだ」
デルフィーヌとエリックはそう言葉を交わすとエリザベートとともに馬車に乗り込んだ。ここからベルトランドのいる森までは動力馬車を飛ばせばかなり短くなる。
「飛ばせ! ガンガン飛ばせ! 辺境伯の権限を以てして許可する!」
「畏まりました!」
御者はチェスターの命令に頷くと動力馬車を勢いよく飛ばしたのだった。
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ベルトランドのいる森まではその日の夕方には到着した。
「辺境伯閣下、もうじき暗くなるが」
「そうだな。どうしたものか」
夕日は沈みかけている。もうじき森の中は真っ暗になるだろう。
「森林妖精を使えばよかろう」
「この混乱で森林妖精だけがそのままだと思うかね」
「試してみなければ分かるまい」
エリザベートはそう告げて森の入り口に立った。
「妖精ども。いるのだろう? 来い」
エリザベートがそう告げると森林妖精が姿を見せた。
「ベルトランド爺様のところまで案内してくれ」
『ベルトランド爺様? ベルトランド爺様、人を待ってる。エリックって人』
「ああ。そいつは一緒だ」
『なら、来て』
森林妖精はそう告げるとエリザベートたちを誘うかのように蛍のような光を発し、森の中に向かっていく。
「ほら、行くぞ」
「まあ、エリザベートがいるなら遭難してもどうにかなるか」
「人を使おうとするな」
チェスターが告げるのにエリザベートは眉を歪めると、森林妖精に続いて森の中に入っていった。エリックたちもそれに続いて森の中に入っていく。
それからすっかり日が落ちたころ、エリックたちはベルトランドのところに到着した。ベルトランドは何かに集中しているのか挨拶すら発さない。
「ベルトランド爺様。エリックを連れてきてやったぞ。それから森で異常が起きているが、そちらは把握しているのか?」
『おおっ! すまん、すまん。つい、うたた寝しておった。森の異常に対処するのに忙しくてな……。どうにも原因を潰しても潰しても森の暴走が収まらんのだ』
「やはり森は暴走しているのか」
エリザベートは唸った。
「原因を潰していると言っていますが、分かっているのですが、原因について」
『いや。具体的な原因は分からん。分かるのは表面的な原因だ。つまり暴走している木々のことだ。いくら散らせど、枯らせど、次から次に暴走した木々が出てくる。なるべく分散させて、循環させてきたつもりだが、森の一画で異常が起きたようだの』
「ええ。森の1か所で魔力が大量に発生し、魔物が生まれていた。ベルトランド爺様の管理されるもりでこのような起きるはずはないと思っていたのですが」
『ワシももう歳だ。次の世代に森を託さなければならぬ。ほら、見て見よ。そこに芽が息吹いているだろう? ワシの次の世代のトレントの芽だ。それが育ち切るまで、ワシは頑張るつもりだが、いかんせんこのような問題が起きては……』
ベルトランドはそう告げてため息をついた。
「森の異常の根本的な原因は分からないのですか?」
『うすらぼんやりとしか分からん。何かを恐れている。だが、何を恐れてるのかが分からん。具体的に何が恐ろしいのかが分かればワシも打つ手があるが、森の木々は漫然と何かを恐れているだけで、何が怖いのかが分からない』
「それはフィーネが以前交信した時に見た灰色の何かと関係するのでは?」
『ワシには分からん。だが、木の霊と交信できるフィーネちゃんならわかるかもしれん。試してみるかい?』
そこでエリックとベルトランドの視線がフィーネの方を向いた。
「私にできることであれば」
フィーネは覚悟を決めてそう告げた。
『では、最近暴走し、ワシが枯れさせた木を連れて来よう』
地面がずぞぞと動き、枯れた木がフィーネの前に出される。
「やります!」
フィーネは狩れた気を前に気合を入れた。
「『冥府の番人よ。我が呼びかけに応じ、その扉を開きたまえ。暫しの間、現世に死者を呼び戻すことを許されたし』」
フィーネがそう詠唱すると木の霊がうっすらとかつての青々とした姿を見せて、フィーネたちの前にうっすらと姿を見せた。
そして、フィーネがその木に触れる。
それと同時に大量のイメージが流れ込んできた。
「灰色の怪物がやってくる。灰色の怪物がやってくる。誰もが恐れるものがやってくる。打ち倒すのに必要なのは透明な、透明な、透明な魂。それ以外のものではあの灰色の怪物を倒せない。同胞たちが倒れていく。誰かがこの悪夢を終わらせてくれると信じて」
「そこまでだフィーネ」
トランス状態になっていたフィーネをエリックは引きはがす。
「はれ? どうしましたか? 何かわかりましたか?」
「やはり灰色の何かが原因のようだ」
「灰色の何か……」
神でもない。悪魔でもない。謎の何か。
「面白そうな話をしているね」
不意にエリックたちしかいなかったベルトランドの周りに少女の声がした。
『ラルヴァンダード。まさか貴様のせいだとでもいうのか?』
「それは答えが知りたいっていうお願い?」
『いいや。単なる質問だ』
「それじゃ答えない」
現れたのはエリックがお願いも約束もしてはならず、正体についても知ろうとしてはならないと告げた神出鬼没の少女──ラルヴァンダードだった。
「けれど、面白い状況にあるじゃないか。純潔の聖女派が権力を握ってほどなくして森は暴走を始めた。世界中で。それが何を意味すると思う? 純潔の聖女派はメリダ・イニシアティブで流出した武器を買いあさっている。ダイラス=リーンだけじゃない。ウルタールや他の都市でも同じようなことを企てている。その理由は?」
「君とは約束がある。私の前では事実だけを告げると」
「そうだ。君がボクという存在をこの世界に定着させてくれたことに対する対価だ、ボクは嘘はついていない。純潔の聖女派は武器を買いあさっている。その目的は?」
「私が知るはずもない」
「そうかい? このことには神の智慧派も関わっているんだよ?」
「神の智慧派が?」
「そう。君には知らされていないし、多くの神の智慧派にも内密にされている。だけれど、今回の件に神の智慧派は全くの無関係じゃないよ」
「神の智慧派が……。デルフィーヌ、君は何か聞いているかね?」
エリックがデルフィーヌの方を向く。
「いいえ。何も。本当に神の智慧派が関わっているの?」
「相手は慎重に事実を知らせる相手を選んでいる。迂闊な人間に知らせて、ことが中断されることを恐れている。だが、本当に恐れるべきは君たちだ。一旦ことが始まれば止める手段はない。階段を転げ落ちるように人間から文明が失われる」
ラルヴァンダードは歌うようにそう告げた。
「神の智慧派がそのようなことに手を貸すとは思えないが」
「派閥も規模が大きくなると意見の相違ってものが生まれるものさ。派閥の中の派閥。そういう意味では預言者の使徒派もことに加担している。全てはセレファイスの陰謀だ」
「君がセレファイスを憎む気持ちは分かるが、それは事実だとは思えない」
「ボクは君の前では事実しか言わない。そうだろう?」
「……それを我々に教えてどうするつもりだ?」
「それは教えてっていうお願い?」
「ただの質問だ」
「じゃあ答えない」
ラルヴァンダードはそう告げてスカートをふわりと浮かせた。
「灰色の何かについて知っていることはあるか?」
「ああ。君たちはあれがそう見えているのか。あれはね──」
ラルヴァンダードが囁くような声で告げる。
「人間の無知と傲慢の結晶だよ」
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