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未来は開けている

……………………


 ──未来は開けている



 エリックたちはアルファとベータを連れて家に帰ってきた。


「おや。アルファ君とベータちゃんも一緒ですか」


「ご無沙汰してます、メアリーさん」


 メアリーが出迎えるのにアルファたちが頭を下げた。


「となると、夕食の食材が増えますね。恐らく足りるでしょうが」


「メアリー。頼まれていたチーズだ」


「ああ。ありがとうございます。ちゃんと選べましたか?」


「猫の鼻を借りたよ」


「いいチーズが選べる男はいい夫になれると購読している週刊誌に書いてありましたが、猫の鼻を借りた場合はどうなのでしょうね?」


「そんなことのためにチーズを頼んだのかね」


「もちろん、料理に使いますよ。今日は大勢での食事になりますのでチーズフォンデュにでもしましょうか。このチーズはとろりと蕩けるいいチーズですよ」


「献立は君に任せる。だが、部屋をどうしたものか」


 エリックはそこでアルファとベータを振り返った。


「君たちは今日は泊っていくだろう?」


「そのつもりでしたけど、空きがないならウルタールに行きますよ」


「ふうむ。丁度、エリザベートも来ていて空きがないのだよ」


「エリザベート様が? もしかして、彼女も?」


「ああ。大司書長の地位を追われた。今はこの家にいる」


「それは……。思った以上に影響は大きそうですね」


「ああ。影響は大きい」


 アルファはサンクトゥス教会の信徒ではあるが、そこまで神を信じていない。彼は西方の文化である『万物に神が宿る』という思想を好んでいた。彼が精霊という超自然の存在に惹かれたのはそういうわけだ。


 だが、サンクトゥス教会の信徒である以上、今回の問題とは無関係というわけにはいかなかった。何故ならば、彼らは死霊術によって生み出された存在だからである。


「君たちは苦労していないか? サンクトゥス教会から何か嫌がらせや圧力を受けたりはしていないかね?」


「僕たちは大丈夫です。僕たちがホムンクルスだと知っているのは、アカデミーの中でもごく一部の関係者だけですから。アカデミーはホムンクルスが所属しているという事実を知ってはいますが、サンクトゥス教会には伝えないでしょう」


「サンクトゥス教会とアカデミーは既に敵対関係かね?」


「ほぼ。彼らは黒魔術のみならず赤魔術や青魔術にも監視をつけようとしています。今のアカデミーではサンクトゥス教会の祭服を着ている人間は修道騎士の護衛がなければ、袋叩きにされているでしょうね」


 アルファはそう告げて肩をすくめた。


「世界科学アカデミーも似たような状況ですわ。科学の急速な発展は神への信仰を失わせるという演説を毎日毎日、アカデミーや大学の傍に来て喚きまくるんですから。黒魔術師のみならず科学者にとっても、今のサンクトゥス教会はどうかしてますわ」


 ベータもそう告げてため息をつく。


「ふむ。純潔の聖女派は科学も魔術も憎んでいる、か」


 同じ神の智慧派に所属するアランが言っていたことをエリックが呟く。


 確かにがちがちの古典派である純潔の聖女派にとって、科学とは神の神秘を暴く墓荒らしであり、魔術とは神の奇跡を人間が勝手に使っていることである。両者が密接な関係になり、科学と魔術にかけられていた神秘と言う名のベールが剥がされていくのは、純潔の聖女派にとって面白いことではない。


 実際、純潔の聖女派のみならず、預言者の使徒派も白魔術を科学的に解明することには後ろ向きであり、ありとあらゆる手段で妨害を行っている。


 比較的世俗的である預言者の使徒派がそうなのだ。原理主義者と言っても過言ではない純潔の聖女派が白魔術の他の魔術も神の奇跡であり、解明すべきではないという喚きたてるのは当然のことと言えるのかもしれない。


 だが、今の社会は既に科学的な魔術としっかりとした科学によってインフラが支えられ、人々が暮らしている土台になっている。今さら発展を遅らせて不便な生活を送ろうと考える人間は少ないだろう。


 純潔の聖女派の失脚はやはり預言者の使徒派のシナリオ通りなのだろうか。


「夕食の支度ができましたよ」


「話の続きは食べながら行おう。久しぶりのメアリーの食事だろう。よく見れば、ふたりとも痩せたのではないか?」


 エリックはそう告げてふたりを見る。


「いやあ。研究に夢中になるとついついコーヒーだけで済ませちゃって……」


「ビ、ビスケットは食べてました。コーヒーと一緒に」


 アルファとベータが視線を泳がせる。


「君たちは不老かもしれないが、不死ではないのだ。健康管理も大事にしたまえ。メアリーの食事で少しは栄養を取るといいだろう」


「はい、お父さん」


 そう告げて3人はダイニングルームに入る。


「お野菜ですよー」


「フィーネ。メアリーを手伝っているのかい?」


「はい。何せ量が多いですからね。メアリーさんだけでは忙しくなります」


 フィーネはエプロンを身に着けて茹でてカットされた野菜を運んできた。


「肉もありますよ。アルファ君もベータちゃんも痩せていますね。どうせ徹夜で食欲がないからコーヒーを飲んでごまかしてるのでしょう。コーヒーと砂糖菓子が主食ですか? そんな生活じゃ体を壊しますよ」


「反省してます」


 アルファとベータもメアリーを前には頭が上がらない。


「今日はたっぷりと食材を準備したので、栄養をつけて帰ってください」


 メアリーはそう告げて同じように茹でられたウィンナーなどの肉類をテーブルに置く。野菜と合わせると凄い量だ。


 そして、肝心のチーズフォンデュの鍋が運ばれてくる。とろりととろけたチーズが香ばしい香りを放っている。エリックが買ってきたフラニスチーズというのはチーズフォンデュにはちょうどいい溶け方をするらしい。


 たっぷりとしたチーズの鍋がテーブルの中央に置かれる。


 青魔術の施されたコンロによって弱火であぶられ続けているので、チーズが固まってしまうことはない。


「さて、食事にしましょう。それから近状を」


 メアリーはそう告げて皆を席に着けた。


「アルファは無事にアカデミーの会員となった。彼の研究は興味深い。複数の精霊に働きかけるという音波というのはどのようなものかね?」


「従来通りの音楽です。ただし、楽器を使う。二重に奏でられる音楽が複数の精霊の機嫌をよくする。声と楽器のふたつで赤魔術師が火、土、水、風の4つの精霊に働きかけることができる。そして、その音楽と言うのは西方の文化の中にありました。静かながら、荘厳な音色。彼らの伝統音楽を僅かばかり変調させたところ、ビンゴ!」


 アルファは自慢げにそう語った。


「西方の音楽は元は精霊を操るためのものだったのでしょう。それが人間の都合で変えられ、本来の性質を失った。東方の音楽にも似たようなものがないか、音楽学者たちの間で探しています。辺境に赴いて、古くからの歴史ある音楽を残している集落を訪問して、音楽を記録してくるんです。それを我々が一定の法則に基づいて再調整する。本当に古代から、少なくとも人間やエルフたちが楽器という道具を手に入れ、音楽と言うものを創造したときから、精霊と人間は密接に繋がっていたわけです」


「興味深い。伝統文化がそのように作用するとは。前々から君は西方に行きたがっていたが、今回の研究でそれは果たせたのかな?」


「いいえ。残念なことに。西方の音楽を持ってきてくれたのは、知り合いの音楽学者です。僕がありとあらゆる音楽を試していると噂になっていたので、珍しい音楽として持ってきてくれたのです。ですが、こういう発見ができて、アカデミーにも認められたので、次は自分の足で西方に赴き、彼らの音楽を学びたいと思います」


 アルファは情熱溢れる研究者のようだ。


 自分の研究に誇りを持っている。自分の発見したものが世間に還元されれば、それは進歩を呼ぶということを確信している。流石はエリックの息子という立場の人物だ。


「ベータはどのような研究を?」


「空気中の窒素をどうにかして窒素化合物という形で採取できないかという研究を。私を含めて4人のチームで挑んでます。まだ理論は仮説の段階ですけれど、これに成功すれば、大量の肥料が生産できることになります」


「ふむ。空気中の窒素を取り出すのか。誰も今まで思いつかなかったのだな。空気中には窒素が含まれているということは分かっていたのに」


「そうなんです。ただ、仮説段階の理論でも実現に移すには、これまでにない設備が必要になるということで困っていて。スポンサーが見つかれば、出資を得られて、設備も整えられるのですけれど」


「ウルタールとダイラス=リーンで君の研究に興味を持つだろう人間を知っている。彼らに紹介してみよう。出資が得られるかどうかは君の仮説の説得力とプレゼンテーション能力次第だ。やってみるかね?」


「是非!」


 ベータが研究について意見を求めたいと化学者ではないエリックに告げていたのはこういうことだったのかとフィーネは納得した。


 エリックはスポンサーを得るのは苦手だと言っていたが、スポンサーになってくれそうな人間への伝手は持ってるらしい。それだけ彼の顔が広いということだろう。非社交的でありながら、エリックは幅広い分野に知り合いがいる。


「アルファ君もベータちゃんも勉学には励んでおられるのですね。私生活はどうですか? 困ったことは?」


「見た目が若すぎるということぐらいですよ。けど、そのことでお父さんを恨んではいません。若いというのは時として得ですから」


「周囲も甘く見てくれるというわけですね」


「まあ、そんなところです」


「私も経験があるので分かりますよ」


 メアリーも800年前から年を取っていない。若いままだ。


「フィーネさんは死霊術のどの分野に進まれるか決めていらっしゃいますか?」


「え。あ。そのー……。まだ基礎を習い始めたところで、なんともかんとも……」


 まだフィーネは自分が死霊術師であると名乗るのは早すぎるのではないだろうかと考え始めてしまった。研究するテーマも決まってないのに、と。


「そうですか。僕も漠然とした気持ちで赤魔術師への道に進みましたので、その心境は理解できます。あらゆることが目新しいが、どれを取っていいのか分からない。お父さんにウルタールのおもちゃ屋さんに連れていってもらった時のことを思い出します」


 アルファは続ける。


「今の魔術学会の研究はレースです。多くのことが解明されて行き、連鎖的に様々なことが分かっていく。ひとつの仮説に対して数百の研究者が研究を行う。成功するのはその中の僅か数人。他は出遅れたり、そもそも研究に失敗したりと厳しい世界です」


「うーむ。私はとろ臭いので研究者には向いていないのかもしれません」


「そうなると死霊術師が全員研究者の道を選ぶわけでもないので、実務的なお仕事に就かれるのもいいかもしれませんね。木の霊と交信できるような高度な降霊術が可能ならば、引く手数多ですよ。研究機関からも、捜査機関からもお呼びがかかるでしょう」


「ううむ。心霊捜査官フィーネ・ファウスト。ちょっとカッコいいですね!」


 フィーネはそういう道もありかもしれないと思い始めた。


「君には確かにそういうものが向いているかもしれない。社交的だし、降霊の技術については私を上回るかもしれない。しかし、すぐにトランス状態に陥ってしまう悪い癖は直さなければならないね。加減ができるように実技で技術を磨いていこう」


「本当に捜査官とかになれると思います?」


「その素質はある。動物霊や木の霊から言葉を引き出せるのはそれだけで大きな優位点だ。技術を磨き、霊を扱う術を学び取れば、君も立派な心霊捜査官になれるだろう」


 心霊捜査官。


 造語ではない。実在する職業だ。


 この世界では死霊術が確立され、裁判の証拠としても扱われるし、死人が裁判で降霊され証言することもある。そのような世界であるために死霊術師は特別な捜査官となる。被害者から情報を聞き出し、浮遊霊から情報を収集し、それを基に犯人を見つけるのだ。


 それが心霊捜査官。ウルタール都市軍も心霊捜査官を雇っていた。今は純潔の聖女派の弾圧を恐れて、全員がもっと遠く離れたダイラス=リーンへと逃げ去ってしまったが。


 だが、流石の純潔の聖女派も司法権にまでは口出しできないはずだ。そこに口を出せば国を敵に回すことになる。ミスカトニックのような自由都市を脅迫するのとはわけが違う。国の権力に手を出して国を敵に回すということは、教会が国家の独立を、主権を脅かすということになるのだ。


 それに今の捜査機関では心霊捜査官はいてもらわなくては困る存在だ。捜査の手順に組み込まれている存在であり、まだまだ科学的な鑑識の技術が不十分なこの世界で、犯罪を立件するには心霊捜査官に頼るしかない。


 フィーネが心霊捜査官を目指すのは悪くない選択肢だろう。


「しかし、心霊捜査官には死霊術の技術の他に法律などについての知識も必要とされます。それから体力。刑事ものの小説ではよく出てくることばですが『情報は足で稼ぐ』というではないですか。殺人事件でも現場が山奥だったり、広範囲にわたる場合は、やはり死霊術だけではよろしくないかと」


「それから捜査官として魔道式銃の取り扱い訓練も受けるんですよ。私が知っている心霊捜査官の人は一度も発砲したことはないと語りますけれど、常に魔道式拳銃をホルスターに収めていましたわ。心霊捜査官というのは被害者から直接話を聞けるだけあって、組織犯罪などになると脅迫や暗殺の対象になるそうですから」


 そういう話を聞いてフィーネに夢はしょぼしょぼと萎んでいくのを感じた。


「うーむ……。なんだか凄く難しいことのように思えてきました……」


「そうでもない。最初から法律の知識を持っていなければならないわけではないのだ。そういうことは警察学校や憲兵学校で教えてくれる。まずは読み書きができて、ある程度の読解能力があり、健康的な体を持つことだ。そうすれば学校に入学で来て、学校で捜査官として必要な知識は全て教えてくれる。私も何度かウルタール都市軍の憲兵学校で講師を勤めたから知っている。君はまだ若いし、才能もある。悲観すべきではないよ」


「なるほど。ちゃんと教えてもらえるんですね」


 てっきり法学について自分で学ばなければならないかと思っていたフィーネだ。


 警察学校や憲兵学校では法律についての講義がある。未来の捜査官たちはそこで法律について学ぶのだ。捜査官ではなく、検察官ともなるとちゃんと大学の法学部を出て、司法試験に合格していなければならないが、捜査官はそこまでの必要はない。


 エリックと話した憲兵大尉も大学で専攻していたのは法学ではなく、文学であった。文学部の出身でも憲兵隊にはなれるし、心霊捜査官にもなれるのだ。


「君がそうと決めたのであれば私はそれに応えよう。だが、まずはもっと広く死霊術を見渡してみたまえ。何かしら興味を引かれることがあるかもしれない。アルファの言っていたように学問に入ったばかりの時はどれもこれもが真新しく見え、興味深く感じるものだ。その好奇心を捨てなければ、研究者としての道も開ける」


「捜査官か、研究者か。迷いますね……」


「それだけ未来の選択肢があるということだ。君の未来は開かれてる。サンクトゥス教会とて、純潔の聖女派とて、未来は閉ざせない」


 そう言われてフィーネは心が落ち着くのを感じた。


 王立リリス女学院を追い出されたときに、未来はなくなったとばかり思っていた。だが、まだ未来は閉ざされていない。心霊捜査官にだってなれるし、研究者にだってなれる。これも全てエリックのおかげだ。


「これからは体力づくりも実技に含めていかないといけませんね!」


「君は健康だから問題はないだろう」


「健康だけではなく、力強くもあるべきです。私、学校では陸上部で短距離走の選手だったんでこう見えても体力には自信がありますよ」


「ふうむ。確かに捜査官ともなると体力勝負の場面もあるだろうが……」


 エリックは珍しく言葉を濁らせた。


「その点について私が教えられることはないよ」


「大丈夫です。これから毎日メアリーさんと集落まで買い出しに行って、時間があれば墓地までジョギングして、浮遊霊と交信の訓練をしてきます」


 エリックはこれまで体を鍛えるということをしてこなかった。アカデミー時代は付き合いでゴルフぐらいはしていたが、アカデミーから距離を置くと、研究ばかりの生活になった。それでも彼がスタイルを維持できているのは、死霊術で体を弄っているからだ。


「心霊捜査官になったら魔道式拳銃見せてくださいね!」


「魔道式拳銃かあ。どんなのを渡されるんだろう。人は殺したくないんだけど」


 そんな賑やかな会話が交わされながら、夕食の時間は過ぎていった。


……………………

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