エリックの息子と娘
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──エリックの息子と娘
フィーネの授業は順調に進んでいた。
彼女は魂について学び、守護霊の契約方法や怨霊への対処法などを習った。
「おお。実体化しました! お手してくれます!」
「実体化についても問題ないようだね」
場所はウルタールの埠頭付近の市場。
そこでフィーネは猫の浮遊霊を実体化させる実習を受けていた。
「肉球ぷにぷに。あ、いっちゃった……」
「実体化は魔力消費の燃費が悪い。いざという場合だけにしてきなさい」
「はい!」
霊を実体化させることができれば研究も幅が広がる。霊に文字や絵を描いてもらうことで深い交信でなくともイメージを共有できる。言葉だけではコミュニケーションに問題があるのだ。霊の手で描かれたものはまた別の意味を持つ。研究者が交信結果を偽造していないという保証にもなる。
さて、世の中には珍しいものを扱う店が様々あるが、霊の描いた絵画を専門に販売している店などもある。幽霊の描き出す絵画は人間の描くものとは全く異なる。マリアの言っていたように肉体の枷から解放された彼らはユニークな情景を描き出す。
フィーネとエリックはウルタールにあるそのような店を見物してから、死者と生者の間の感性の差について意見を交わしつつ、こうして埠頭付近の市場までやってきた。
「では、メアリーに頼まれていたものを買って帰ろう。チーズが必要だと言っていた」
「チーズっていっぱい種類がありますけど、どんなチーズです?」
「む。フラニスチーズだそうだ。この市場のどこかで売っているらしいが」
「この市場、広いですよ」
埠頭から一段上がった場所にある海の見渡せる市場は、水揚げされた新鮮な魚や、貿易船で運ばれてきた商品などがさっそく店頭に並べられている場所だ。ウルタールにはいくつもの市場があるが、ここが規模としてはもっとも大きいだろう。
別に市場で買わずとも、市場で仕入れたチーズを売る店で買えば確実なのだが、どういうわけかメアリーは市場で買ってくるようにと頼んでいた。
「どうして市場で買うようにって頼んだんでしょうね、メアリーさん」
「ふむ。市場で直接仕入れると価格が安い。その代わり品質を見定める目がなければ質の悪いものを掴まされる。私たちは試されているのかもしれないな」
「うーむ。私、チーズの目利きなんてできませんけれど」
「私もできない。だが、できるものは知っている」
「チーズ職人さんの霊?」
「そんな都合のいいものはいないよ」
エリックはそう告げながらゴミゴミとした市場を進んでいく。
大陸共通語の他に異国の言葉が響き、市場では様々な商品を客に買わせようとしてくる。珍しい野菜や観葉植物、アクセサリー、玩具、または本などが売られている。
「これは目星をつけて買い物しないと時間を吸い取られますよ」
「そうだね。幸い、目星はついている。市場の配置が変わっていなければ近いはずだが。市場の配置というのは時折変わるからね」
この市場を運営しているウルタール商工会は金銭の支払いに応じて市場の配置を決めている。もっとも人が注目しやすい市場の出入り口付近は比較的高い使用料が取られ、もうゴミゴミして何が何だか分からない場所は安い。
市場に店を出す商人たちは年ごとに契約を更新し、その際に場所が変わることがある。エリックがウルタールのこの市場を訪れてから7年が経ち、市場の様相は昔と変わらず賑やかそのものだが、目当ての店は移動しているかもしれない。
フィーネはエリックの後ろを何とか離れないようについていく。
「あった。この店だ」
エリックは市場に並ぶ店のひとつで立ち止まった。
「このお店ですか」
「ああ。以前、メアリーと一緒に来たことがある」
エリックはそう告げて店頭に並ぶ様々なチーズを眺める。
「フラニスチーズってどれです?」
「左端のものだ。いくつかあるが、さて」
エリックは周囲を見渡した。
猫の霊がエリックとフィーネの脇を通り過ぎようとしていた。
エリックは無造作にそれを実体化させる。
実体化したことで感覚を得た猫は周囲を見渡しをチーズの山を見て舌なめずりした。
そして、店主が眉を顰めるのも無視して、フラニスチーズの下に向かうとくんくんと臭いを嗅ぎ、ひとつのチーズを鼻で突いた。
「店主。このチーズを包んでもらえるだろうか?」
「毎度あり」
店主は清潔な紙袋でチーズを包みエリックに手渡した。
「ご褒美だ」
エリックは実体化している猫の霊にチーズの欠片を与える。猫はざらざらとした舌でチーズを舐め回し、満足して去っていった。
それから生きている猫がやってきてチーズを咥えて走り去っていった。
「違いの分かるものって猫だったんですか?」
「ウルタールの猫はいいチーズを見分けるのが上手いそうだ。特にフラニスチーズは塩分が少なく、猫が食べても平気らしい。まあ、食べ過ぎはよくないのだろうが。しかし、ああやって死んでからも猫はチーズの良し悪しが分かる。その上、実体化した霊というのは清潔そのものだ。食べ物を選んでもらうには人間より信頼できる」
「なるほど」
チーズ選びにも死霊術が使えるとは。
死霊術は意外と何でもできるのではないだろうかとフィーネは思った。
「パパ!」
「お父さん!」
不意に子供の声が聞こえるのにフィーネが背後を振り返った。
そこには14歳ほどのおかっぱの髪をした少年がひとりとポニーテイルの少女がひとりいた、ふたりとも髪の色はまばゆいばかりのゴールドブロンドで、顔立ちは双子のようによく似ている。中性的な顔立ちで、少年の方はその活動的なハーフパンツを履いていなければ男の子だと分からず、少女の方もポニーテイルを結ぶ青いリボンがなければ女の子だと断定できない。そんなふたりがエリックとフィーネの背後にいた。
「アルファ、ベータ。帰ってきていたのかい?」
「さっき船で。ようやくアカデミーの正規会員になったから報告をと思って」
「私は研究の途中成果を見てもらおうと思って」
ふたりは声もよく似ている。
「ところで、そっちの女の子は?」
「フィーネだ。フィーネ、紹介しよう。私の子供であるアルファとベータだ」
エリックは何気なくそう告げた。
「え、ええー!?」
フィーネの困惑の声は市場の売り子たちの声にかき消された。
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「で、アルファ君とベータちゃんですか」
「そうだ。戸籍上はふたりとも成人だ。ただ成長が途中で止まってしまっている」
エリックの自宅に戻る動力馬車の中でフィーネがしげしげとアルファとベータの兄妹を見る。ふたりともそっくりである。しかしながら、エリックには似ていない。エリックが仮に少年時代に戻ってもこういう顔立ちはしていないだろう。
「本当にエリックさんのお子さんなんですか? 実子ではないと言っておられた気もしますけれど、どういうご関係で?」
「彼らはホムンクルスだ」
「ホムンクルス?」
フィーネが首を傾げる。
「人工的に作られた生命体だ。母親と父親を必要とせず、あたかも無から生まれる。正確には無からではないのだが、実質的には彼らは精子と卵子を必要とせず、ガラス瓶の中から生まれてくるのだ」
「ええっ!? そんなことが……?」
「できる。思ったことはないか。死霊術師は肉体を自在に再生させる。それを使えば、無から肉体を生み出すことが可能なのではないかと。昔に記された偽書と違って、テオフラストゥスの著した『ホムンクルスの誕生』には魔術的に正しいホムンクルスの生み出し方が記されている。もっとも彼自身はそれに成功しなかった、というより仮説を立てただけで倫理観が実行するのを躊躇わせたらしい」
「倫理的に反するんですか?」
「ある意味では。親のいない子供を生み出すわけだ。それも創造主である我々の都合で。生命を尊ぶのであれば、いたずらに生命を生み出す行為は避けるべきだろう」
「でも、エリックさんはホムンクルスを作ったんですよね?」
「そうだ。魂の研究をするためにね」
ホムンクルス。
死霊術は肉体を操る。時として欠損した部位すらも復元する。ならば、小さな肉片からひとりの人間を生み出すことも可能なのではないか? いや、ひょっとすると完全な無から人間を生み出せるのではないか? そういう考えの下に考案され、検証され、実験され、正式に認められた生命体がホムンクルスだ。
諸外国ではホムンクルスを生み出すことは国とある場合はサンクトゥス教会からなる倫理委員会の承認がなければ行えない。だが、ここは廃棄地域だ。ホムンクルスを生み出すこともまた自由なのである。
「……人工的に作られた生命体に魂って宿るんですか?」
「多くの科学者がそれを疑問に感じた。下手をすると魂のない生命体という教会を激怒させかねない代物が出来上がってしまう。その点は我々も慎重だった。生命体を生み出すつもりで、魂のない肉の塊を生み出してしまった場合、どうするべきかと」
エリックはそこでアルファを見る。
「アルファは最初の被検体だった。私とメアリーは慎重にことを運んだ。もし、肉体を完全に作り上げることができても魂が宿らなかった場合、葬儀の準備もしておいた。流石に廃棄地域にいる神託の巫女派は頼れないので、他所からサンクトゥス教会の司祭を呼んでおいた。我々が罪を犯すのか、それとも科学的発見をするのかは五分五分だった」
「……どうなったんです?」
「アルファの体が一定以上形成されるとそこに魂が宿ったのだ。魂は虚空から自然発生し、アルファの形成されつつある体に宿った。それを見て我々は確信した。神はこのようなことも見込んでシステムを作っていたのだと」
そして、エリックがアルファを指さす。
「彼の魂を見てみたまえ」
フィーネが目を凝らしてアルファの魂を見る。
そこには暗い赤色──茜色の魂が宿っていた。
「彼は魂を有しているだろう? 神はもし人間が無から生命を生み出した場合にも魂が宿るようにシステムを組んでいたのだ。神と言うものは全知全能だったのだろう。少なくともこの世界を作ったその瞬間においては」
「本当に無から全てを生み出したんですか? 完全な無から?」
「正確には無からではないと言ったはずだよ。魔力を大量に使った。ひとつの細胞から始まり、そこから全身の肉体37兆個を作りあげた。正確にひとつひとつ。細胞が集まって組織ができ、組織が集まって臓器ができ、体は構築されていく」
エリックはそう語ったが、フィーネはその言葉に愕然としてる。
人の傷を治すならば、37兆個の細胞は必要ないだろう。そんな天文学的な数字が必要になることはない。だが、無から、いや魔力によって何もないところから生命体を生み出すには恐ろしいほどの技術が必要とされる。
エリックはそれを成し遂げたのだ。
「す、凄い偉業じゃないですか!? アカデミーには発表したんですよね!」
「ああ。したとも。ホムンクルスも魂を宿す。サンクトゥス教会の教えに背くことはない。だが、倫理的な問題はクリアできてないという報告を行った。やはり人間が生命を身勝手な理由で創造しようなど、神気取りでよくないというわけだ」
「う、うーん。確かに両親がいなくて、ホムンクルスを作るためにホムンクルスを作ったのであればそうだと思いますけれど」
「アルファはまさにそれだった。ホムンクルスを作るためにホムンクルスを作った。ホムンクルスが魂を宿すか、神の作ったシステムに穴がないか確かめるために。そして、我々は神のシステムに穴はないことを証明した。人が死によって魂を失うならば、人はどのような形であれ生まれることで魂を得る」
いくら死霊術や白魔術で死んだ人間の体を再生しても、それはただの肉の塊だ。魂を有していない。意識がない。それは動き出すことはない。
失われた魂を呼び戻すことはできない。死人を生き返らせることはどのような方法を使っても不可能である。それが神の作ったルール。
逆に生命はどのようなものであれ生まれた瞬間に魂を獲得する。人も、エルフも、ドワーフも、吸血鬼も、ドラゴンも、木々も、猫も生まれれば魂を得る。それは人工的に生み出されたホムンクルスとて例外ではなかった。
「フィーネさんは死霊術師ですか?」
「はい。死霊術師だよ。って、年上か……」
思わず子供に話しかける口調で返してしまったが、目の前のアルファは成人。まだ未成年であるフィーネより年上である。
「気にしないでください。こういう見た目ですから」
「どこをどう調整し損ねたのか、彼らの成長と老化は14歳で止まった。ある種の不老の状態にある。細胞は劣化せず、成長せず、止まっている。その点については申し訳なく思う。私が何かを間違ったのだろう」
「気にしないでください、お父さん。幼くみられるってのは確かに困る場面もありますけれど、老化しないっていうのは長所ですよ。おかげでお金にさえ気を使っておけば、永遠に研究が続けられます」
「そういってもらえると助かる。確かアカデミーでアプレンティスになったのだったね? 私が留守の間にメアリーが手紙を見てくれていたようだが」
「はい。5か月前に正式にアカデミーに認められました。『精霊を複数同時に動作させるための音波の研究』で。これで赤魔術師の行動の幅は広がりますよ」
「素晴らしい研究だ。アプレンティスと認められるに足る研究だ。よくやったね」
エリックがそう告げて頷く。
「アルファ君……じゃなくて、アルファさんは赤魔術師なんですか? エリックさんのお子さんなのに?」
「自分たちの道は自由に決めていいとお父さんは言いましたので。私はあまり死霊術には興味は持てなかったのです。人の魂と接するよりも、大自然に深く根付いた精霊たちとの交信の方が神秘的で魅力的に映ったのです」
「なるほど」
エリックは子供たちに自由にやらせているらしい。
「そう、パパは自由にしなさいってくれたわ。私は化学の研究をしているの。世界科学アカデミーに研究が認められるのが望みだけれど、なかなか難しいわ。これまで3回発表したけれど、まだまだアプレンティスに認定されてないもの」
「魔術ですらない……」
本当にエリックは子供たちに好きにさせているらしい。
「しかし、フィーネさん。あなたは死霊術師なら、今回の騒動に巻き込まれましたか? 例のサンクトゥス教会の黒魔術の弾圧に」
「はい……。王立リリス女学院に通っていたのですが、今回の騒動で退学に……」
「そうですか……。アカデミーにもサンクトゥス教会の司祭たちが姿を見せるようになりました。黒魔術について何かの交渉を行っているようです。今の黒魔術部門の部長はブレイク博士です。そう簡単に屈することはないでしょう」
「ん。黒魔術部門の部長と言うとエリックさんのお弟子さんの?」
「ええ。ブラッドフォード・ブレイク博士。著名な死霊術の研究者です。今は間接交信のプロジェクトの責任者を勤められているはずです。いよいよどのような霊とも交信できる日が来るのかもしれませんね」
「おおー」
ここでフィーネは思った。
自分にはまだ誇れるような偉業が何ないということに。
アルファはアカデミーの正規会員だ。ベータもアカデミーで発表するという名誉を得ている。エリックは言うまでもない。
自分はまだまだひよっこなのだなと恐縮してしまうフィーネだった。
「間接交信の技術はまだまだこれからだろうが、フィーネは木の霊とオオカミの霊との交信に成功したよ。もっとも彼女はトランス状態だったが」
「木の霊に動物霊と!? それは凄い!」
そんなフィーネを脇にエリックが告げるとアルファとベータが目を丸くした。
「木の霊はどのような感じでしたか?」
「トランス状態だったのでよく覚えてないんですよ。エリックさんたちが言うには色について言及していたらしいですけど」
「なるほど。木にも色の認識はできるかもしれないのですね。面白い発見です」
一応、自分にしかできないこともあったのだなとフィーネはちょっと安心した。
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