第一部_怒れる白
魔女の力のお披露目の場面です。感情に任せて最終兵器を持ち出す――という流れをつくるために、当初の設定では、アメリアは姉(家族)想いが重度であり、それを侵害されると暴走したりプッツンしてしまう設定でした。
何故それほどにユーリイを大切に思うかという点は、次々回作『23時の亡霊』にて。
◆怒れる白
不意を衝く最後の悪あがき。そして最悪の悪あがきだった。
腕は、俺が振り向くより先に、伸ばされたのと同じ速さでユーリイを引き寄せていた。その向かうところは一つだ――暴れる彼女を一刻も早く封じるべくそれは、棘だらけの闇の中へ向かっていく。
ユーリイが助けを求めて声を張りあげた。
スミ子は、俺の隣で早くも空を仰いでいる。
俺には別に、ユーリイを助ける義理はなかった。彼女とはこの化け物を前に居合わせただけだし、敵の敵が味方というのは甘い考えだと思う。彼女に仲間になって欲しいと頼んだこともなければ頼まれたこともない。なのに何故だろう――ここで何もできずにいることに俺は後味の悪さを感じていた。
俺自身が、一度は助けられたことがあるからだろうか?
――違う。
そのような理由からでは、ない。己の無力のために目の前の誰かがいなくなってしまうことが許せない。四年前のような惨めな思いをするのが俺は嫌なのだ。
今ならまだ間に合う――狙いを定め投擲の構えに入ったその腕をしかし、俺は止めることになった。俺を制するように、先駆けて空から、一筋の光が降ってきたのだ。
雨上がりの空、雲の切れ間から差したやわらかな光とは似ても似つかない、流星か、でなければ落雷のような鋭い光――それが、化け物の最後の腕を貫いた。その出所を確かめるより早く、放り出されたぬいぐるみを目がけて滑空する黒い影の存在を俺は認めた。それはここ数日ですっかり目に馴染んだ、少女の形をしていた。
ユーリイを受け止め、俺の前にふわりと舞い降りたその姿は、美しいばかりでなく神々しくもあり、自分が戦いの真っただ中にあることを俺は寸分、忘れる。そこに降り立ったのは、透き通るように美しい、白い翼を持った魔女だった。
魔女は言葉を発しない。またこちらから声をかけられることを拒否するように俯き、顔も見せない。俺にわかることがあるとすれば、それは遅れて現れた彼女にとってもここは戦いの場だったということだけだ。
「…………」
気を失っているユーリイを抱え、殆ど聞き取れない声で何事かを呟くと魔女は、俺やスミ子には見向きもせず、もう為す術を失った化け物へと静かに手を差し出した。その小さな掌には、小型の銃が覗く。それこそが彼女の武器なのだろう、先に閃いた光は恐らく、それによって撃ち出されたのだろう。彼女の背中では、一層大きく広がった翼がまばゆい光を宿していく。しなやかな髪もまたそこから発せられる輝きを纏い、その様子はさながら彼女自身が一つの光へと変貌を遂げたようでもある。
光――怒りという言葉にも似ているそれが今の彼女自身のすべてであるように俺は感じた。
魔女が、引き金の指に力をこめる。その瞬間、彼女の掌から放たれたのはやはり、鉛の弾丸などではなかった。先に目にしたものとは比べ物にならない規模の強大な波動だ。
目を焼く強烈な光が眼前に広がり、その中から、世界中の獣の断末魔を凝縮したような音が響いた。
咄嗟にスミ子を庇った背中には、熱と風を感じる。
この中で彼女たちはどうしているのだろう――やがて訪れた静寂の中で俺は魔女を振り返った。
その瞬間を待っていたように駆け抜けた一陣の風が、立ちのぼる土煙を瞬く間に追い散らす。
魔女は、何事もなかったかのようにそこに立っていた。
光に包まれた化け物の姿は――そこにはもうない。周囲の草木ともども跡形もなく消え去っていた。
魔女の背中から、風花にも似た儚さで羽が散っていく。それを合図としたように俺は、魔女の持つ本当の力を目の当たりにした自分の中に不思議な興奮が湧き上がってくるのを感じた。彼女は空も駆けるし、化け物だって一撃で滅ぼしてしまう。それだけではない、人の死に動じない強靱な精神をも持ち合わせている。彼女ほど俺たちに必要な存在はないだろう。彼女は、魔女は間違いなくこれから始まる戦いの切り札になる。
この国を変えてやる――どれだけ強くそれを叶えたいと思っても、俺の意志は魔女に会うまでただの夢物語に過ぎなかった。実際にこの瞬間を目にするまで、殆どそれに等しかった。それが漸く現実味を帯びてきた。彼女の力があれば国を変える戦いにおいて何の不足があるだろうか――勿論、ない。本物の自由を取り戻す日は近い。
人知れず拳を握り締めた俺は、意識を取り戻したユーリイに呼ばれるまで、魔女が倒れたことには気づかなかった。家に連れ帰るべく背負い上げた彼女の体が異様に軽いことにも、彼女を見つめるお手伝いの瞳の色にも気づくことはなかった。このときの俺の頭の中はただただ、遅れてやってきた勝利の喜びと明日への希望、その実現への確信でいっぱいになっていた。
○
その日の内に事態は大きく前進することになります。
そこに至るまでには、ジークムントにとって驚くべきことがいくつかありました。例えばユーリイが霧の森の中にあった集落の出身だったことや、彼女が、魔女と義姉の関係にあることが判明したのです。尤も彼女は妹の名前がアメリアということを教えてくれただけで、それ以外のこと――村で惨劇が起きた理由など――に関しては「あの子が言わないなら」と頑なに口を閉ざしました。本当は、そこでジークムントはもっと二人に対して疑問を持っておくべきだったのかもしれません。しかしこのときの彼にはそこまで考えられるだけの余裕はありませんでした。だからあまり二人の過去を気にはしませんでしたし踏みこみもしませんでした。背景がどうであれ、大切なのは今ある魔女の実力だったからです。
村に戻った彼は早速、森の怪物の正体やそれを自分と魔女が協力して退治したことなどを伝えて回りました。皆の反応は南の森に走ったり魔女やユーリイに会いに彼の家を訪ねてきたりと様々でした。しかしそうした背景には村人たちの共通する想いがありました。この国を変えるための行動を起こすこと――大人たちこそ本当はこの少年以上に、柱となる存在を待ち望んでいたのです。
夜を待たずに広場には料理が並び、怪物から一転、人々を救っていた恩人となったユーリイと、遅れ馳せながら魔女アメリアの歓迎会が行われることになりました。秋の収穫祭ほどではないし酒も出ないものの、時期外れにそれを行う新鮮さも手伝って皆が上機嫌で飲み、食い、うたい、よく踊りました。
そして夜も更けた頃、歓迎会は革命に向けた決起集会へと変わっていきました。村長が改めて問うたのに対して異を唱える者はありません。どこからともなく拍手が起こり、「アイツらに一泡吹かせてやろうぜ!」と叫ぶ声があがり、そして村としての総意が固まったのでした。
「大人だって、やるときはやるのさ」
騒ぎの陰で村長にさりげなく声をかけられたとき、ジークムントは目頭が熱くなるのを感じました。何故って彼はこの村の大人たちが、それだけのことができるような度胸がある人たちだとは思っていなかったからです。実際のところは密かに、我慢するのが大人の対応であるかのように振る舞うこの村の人たちを見下してさえいました。だからこそ彼は大人の力を頼らず魔女に会いに行ったのです。勝機のない絶望的な戦いだろうが、いつどこで命を落としても誰も悲しんでくれない孤独な戦いになろうが、自分の意思を国に刻みつけるために。しかし本当は違ったのです。そんな考え方は結局独りよがりで、周りには大勢の賛同者がいたのです。自分を支え、背中を押してくれる心強い仲間がいたのです。
きっとやり遂げてみせる――改めて言い聞かせるよう、少年は呟くのでした。
○
「漸くここまできましたね!」
集会が終わり、家に戻った俺をスミ子はそう言って迎えてくれた。コイツはコイツで気のつく部分がたくさんある。つまりはそれが、今の俺を労うに最も相応しい言葉だったわけだ。その含意はというと、さしずめ「あなたが皆をここまで引っ張ったのですよ」だろうか。コイツはよくよく俺を立ててくれる。
笑顔で答えながらも俺はしかし、内心そう気楽に考えてばかりもいられなかった。魔女の力が明らかになり皆が決意を固めた今だが、俺たちはまだスタート地点に立ったに過ぎない。
「本当に大変なのはこれからですね」
察しよくスミ子が言った言葉に俺は頷いた。気持ちだけ強くても元々農民の自分たちだ、今日の明日でいきなり戦いなど無謀にもほどがある。戦力も足りないし、それを補えるだけの知恵もない。引き返せない戦いだと思えば思うほど、それがいかに致命的であるかについても目を背けるわけにはいかないのだ。
「大丈夫ですよ、きっと上手くいきます」
余程表情が沈んで見えたのか、励ますようにスミ子が言った。
「どうしてそう言える?」
「成功するって信じなきゃ、失敗しちゃうからです」
根拠もない理屈で胸を張り、お手伝いは無邪気に笑う。俺の側にいながらコイツはいったい戦争をどう捉えているのだろうか――考えると少し情けなくなった。戦いとはそんな単純な精神論だけで片づくような話ではない。戦う者の士気高揚に統率の維持、敵との駆け引きにも手は抜けない。様々な要素が絡み合ってこその複雑な事柄なのだ。だが不思議と腹は立たない。この重く難しい話を、重くし過ぎるのはかえって気を急かせるし、視野を狭め柔軟さを奪いもする。逆効果である部分もないではない。それを思えば或いはこうした、ある種の開き直りにも似た気楽な考え方も、俺には必要なのかもしれない。コイツはそれだけのことを考えて――というのは深読みが過ぎるだろうが、ありがたい言葉でもあった。
「坊っちゃま、スミと一緒にお祈りしましょうよ」
「そうだな」
まぁ――たまには神頼みも悪くない。お手伝いに誘われるまま俺は星空へと手を合わせた。そうとも、魔女に助力を乞うた時点で自分たちの力だけでやり遂げることは放棄している。今更高潔を気取るなど勘違いも甚だしい、毒を食らわば皿までよろしく、頼るなら神様までだ。
どうか最高の奇跡をと、俺は天に祈る。
瞑想を終えたスミ子が隣でおまじない代わりの歌を口ずさんだ。




