第八話 スタート二時間後
第八話 スタート二時間後
『スタートから二時間が経ちました。現時点で、ゲーム参加者の内、五十一人が残っています。皆さん、頑張って下さい』
アナウンスがパークに響く。
「一時間で二十人以上、か」
司は汗を拭いながら言う。
横山は引き止めてきたが、司と塔子はあの建物に長居するつもりが無かったので、他の文芸部が気になると言って出てきた。
一応、この建物が避難場所として機能している事を記憶して、本人が望めばここへ連れてくるかもしれない事を伝えると、横山はそれを構わないと快諾してくれた。
完全に善意の言葉だったと思いたいが、やはりどこか嘘臭さがあった。
「こんな暑い中出歩くなんて、本当に馬鹿よね」
ずっとブツブツ文句を言い続けているのは、夢乃である。
司と塔子が出て行く時、神之助もついて行くと言って譲らなかったので、夢乃の仕方なくついて来ている。
が、建物を出て五分もしないウチに夢乃は文句を言い始めたのだ。
気持ちは分からないでは無い。
普通に考えて冷房の効いた建物から、一日で一番暑い時間帯に化け物がうろついている外を出歩くなど、正気の沙汰では無いと司も思う。
それでもあの建物の中に隠れ続けて緊張感が弛緩する事の方が危険だ、と司の危機管理の部分が告げている。
さらに横山の事が信用出来ない事も、それが塔子と一致したと言う事も大きい。どれか一つであっても十分だが、三つも重なったのであれば、逆に長居する必要性が無い。
ただ、外の気温の事は完全に失念していた。
とにかく暑い。
建物の陰や屋根のあるところを選んで歩いているので、今のところは直射日光による日射病は避けられているが、異常な緊張状態にある中でこの暑さは体力を奪われるのも早い。
ほんの少し前まで冷房の効いた場所にいたせいもあり、余計に暑さを感じる。
司は隣りの塔子を見ると、文句は言わないものの塔子も相当の汗をかいているので、Tシャツが肌に張り付いている。
こんな状況で無ければおいしいと言えるのだが、さすがにそんな余裕は無い。
「塔子さん、具合が悪いとかありませんか?」
「私は大丈夫です」
塔子は双眼鏡を持ったまま、司の質問に答える。
実際塔子の足取りはしっかりしている。問題があるとすれば、後ろからついて来ている神之助と夢乃である。
神之助は元々体が弱いところがある。長時間の外での活動はキツいだろう。
夢乃の場合、服装があまり活動的とは言えない。
Tシャツとジーンズで靴もスニーカーである塔子と違い、白いミニのワンピースと若干ヒールの高いサンダルの夢乃では、活動時間が長くなればその分負担のかかり方も変わってくる。
北側区画が気になるところだが、ここで神之助と夢乃を見捨てるわけにもいかないので、休みながら行動していた。
「ガーゴイルが飛んでないですね」
双眼鏡で周囲を見ていた塔子が、ポツリと呟く。
塔子は余程双眼鏡を気に入っている様で、手元のある時には常に双眼鏡を持って周囲を見ている。
こんな切羽詰った状況で無ければ、その無邪気にも見える行動は微笑ましかったはずだ。
仕方が無いので、司は一人でその微笑ましい塔子の姿を堪能する。
「司くん?」
「ん? 何だ?」
「塔子さんの言葉、聞いてた?」
神之助が後ろから声をかけてくる。
「塔子さん、何ですか?」
「さっきからガーゴイルが飛んでないんです」
特に気を悪くした様なところもなく、塔子は双眼鏡で周りを見ながら言う。
「それって、凄いチャンスじゃないんですか?」
空からの監視が無いという事は、行動の自由が効くと言う事になる。いかに入り組んでいるとはいえ、必ず屋根のあるところを通れる訳では無い。
空の目が無いのであれば、後は馬に乗るオーディンとトールと言う足音で移動が分かる鬼と、もう一体くらいしかいない。
「急ごう。ガーゴイルもいつまた出て来るかわからない」
司が言うと、いつも文句ばかり言う夢乃も珍しく文句も言わずに賛成する。
(本当にチャンスか?)
司達が移動を始めた時、司の頭の片隅から冷めた声が聞こえてくる。
どう考えてもチャンスだ。鬼の行動を見る限り、鬼は目で見て確認しているのだから、空からの監視が無ければこの広いパークを数体の鬼で全てをカバー出来るはずがない。
司はそう思っていた。
(考え方が違わないか? ガーゴイルは何故空を飛んでいない? 鬼が撃破されたアナウンスも無いのに?)
一度気になると、確かにそれはおかしいと司はその事を考え始めた。
「何で飛んでないんだろう?」
司は一人で考えるのでは無く、後ろをついて来ている神之助や夢乃、双眼鏡を覗いたままの塔子に質問を投げかけてみる。
「暑いんじゃない?」
夢乃はハンカチで汗を拭いながら言う。
この面子の中ではもっとも薄着な夢乃だが、気温が三十度を超えているのであれば多少の薄着くらいではあまり意味が無い。
汗でワンピースが張り付いているが、それがエロい事この上ない。
これはこれで、この状況で無ければ小躍りして喜ぶ状況だったかもしれないが、はっきり言えば全く無意味なエロサービスである。
チラ見すら出来ないのであれば、半裸も全裸も完全防備も変わらない。
「ガーゴイルが空から見ていないって事は、空から見る必要が無いって事じゃないかな、司くん」
神之助は顎に手を当てて言う。
そんな仕草も男らしさのカケラも無い。
「つまり今は、誰も移動していない?」
塔子が首をかしげながら言う。
さすがに司や神之助の方を向く時には双眼鏡は必要無いと思うのだが、塔子は双眼鏡を持ったままである。
「じゃあ、ガーゴイルは何をしてるんだと思う?」
司は訪ねてみるが、行動の予想は出来る。
空から見て誰も見つけられないのだとしたら、それは建物の中や屋根のあるところに隠れているからだ。そもそも空から見ていたガーゴイルは、参加者がどの建物に逃げ込んだかを見ていた可能性が非常に高い。それでなくてても、主催者側が用意した鬼である以上、どの建物に入れるかを最初から把握している事も十分考えられる。
外を移動していないのなら、むしろ探すべきところは絞られた事になりかねない。
司はその事を伝えてみると、塔子は頷き、神之助は何故か嬉しそうな表情を浮かべている。
「さすが、司くん。そうだと思うよ」
神之助が少し弾んだ声で言う。
「でも、それだと最初の売店に逃げるのは危険じゃないですか?」
塔子は心配そうに言う。
「確かにそうですね」
司もそこは認める。
建物の中に参加者が隠れていると仮定した場合、どこから探し始めるか。
もし司なら、探すのに時間のかからない小さな建物から探すと思う。短時間で潰していけるし、建物から建物へ移動する際にも、周囲に気を配らなければならない参加者側より、飛んで移動出来るガーゴイルの方が圧倒的に早い。
小さいところからどんどん潰していけば、その分参加者の隠れる建物は絞れていくのだ。
その点では、司達が最初に隠れていた売店など真っ先に確認に来ると思われる。
すでにチェックした後であれば比較的安全と言えるが、鉢合わせになったら致命的である。
その甲斐あって、というわけではないが、司達はまったく想像もしていなかったモノを見る事になった。
「ガーゴイル、だよな」
司が後続の動きを制して、前方を見る。
「間違い無いですよ」
双眼鏡で前方を見る塔子が、頷いている。
司達が目指す売店の上にガーゴイルがいたのだ。これでは近付けないのだが、ガーゴイルは奇妙な行動を取っていた。
屋根の上のガーゴイルは、窓に付いた鉄柵をギシギシと揺すってみたり、シャッターを叩いたりしているが、建物を破壊しようとしているわけでは無い。
それにガーゴイルはずっと売店の北側を向いている。
本来の出入り口であるシャッターの降りているところは南側であり、北側には裏口がある。
あのガーゴイルは、売店に隠れている者達を炙りだそうとしているのだ。
「誰か隠れてるのかな?」
司は心配そうに言う。
誰かが隠れているのであれば、もっと強引に建物の中に入っていきそうなモノではあるが、入念に確認しているところを見ると、中に人が隠れている様に思える。
司達は物陰からガーゴイルの様子を見ていたが、ガーゴイルは中に誰もいない事を確認したのか、北側へ飛んでいく。
「よし、今がチャンスだ。急ごう」
司が先頭になって走り、シャッターを上げると塔子、神之助、夢乃が転がる様に売店の中に走り込む。
司はシャッターを下ろすと、ようやく一息つく。
「ちょっとトイレに行ってくるわね」
夢乃がそう言って、売店の中にあるトイレに行く。
「神之助、大丈夫か?」
「うん。ちょっと疲れたけど、そうも言ってられないからね」
「無理するなよ。神無月の面倒を見てもらわないと困る」
売店に入って、塔子と神之助は座り込む。
神之助は体が強く無いのでそれも分かるが、塔子も相当疲れている様だ。
涼しい顔をしているが、常に双眼鏡を手に広範囲を見張っている塔子のお蔭で、ここまでスムーズに来れたのだ。愚痴やボヤキは一切無いが、塔子も憔悴しているのではないかと思う。
どんな形であっても、安全に休憩出来るというのは有難い。
「志神君、飲み物は何にする?」
座っていた塔子が、軽く汗を拭いながら売店にある飲み物を物色している。
「それなら……」
司が答えようとした時、突然シャッターに何がぶつかる様な激しい音がした。
司は驚いて振り返ったが、塔子や神之助は飛び上がるほど驚き、悲鳴すら上げられなかった。
「ななな、何事?」
神之助が泣き出しそうな表情で、司に尋ねる。
尋ねられても答えられないが、司は手で神之助を制していた。
参加者の誰かが来たのであれば、もう少し大人しいか、シャッターを上げようとするはずだが、それは激しくシャッターを叩いている。
まず間違いなく鬼である。
「どうしよう、志神君」
塔子も不安そうな表情で、司に頼ってくる。
頼られても出来る事は無いので、司としてもフリーズする以外に出来る事が無い。
(何か、何か考えろ!)
ガシャガシャと不安になる音が、相変わらずシャッターを揺らしている。
神之助も塔子も不安で仕方が無いようだが、それは司も同じである。出来る事なら大声で喚き散らしたいところだが、先に塔子や神之助に頼られてタイミングを逃してしまった。
「裏から出よう。出来るだけ静かに」
司が震える声で言うと、塔子と神之助はすぐに移動を始める。
「神無月は? まだトイレか?」
「夢乃さん、移動するよ」
神之助がトイレの扉をノックする。
「無理無理! だって鬼がいるんでしょ!」
トイレから夢乃の声が聞こえてくる。
夢乃は、怖くてトイレから出て来られないらしい。
「鬼がいるのに、外に出るなんて信じられない!」
夢乃は半狂乱で言う。
(ん? ちょっと待て。何か引っかかった)
司は半狂乱の夢乃の言葉に、動きを止める。
どう考えても、急いでここから出た方が良い。それが当然だと思うのだが、夢乃が言う様に鬼が外の、しかも近くにいるのに外に出るなど狂気の沙汰と思うかもしれない。
しかし、今鬼はシャッターの前にいる。
裏口は北側であり、北側区画は狭い通路と屋根も多いためすぐに移動すれば、鬼が裏手に回る前に移動できる。
やはりチャンスは今しかない。
そう思うのだが、司は思いとどまっていた。
本当に安全なのだろうか。何か見落としているところがある気がして、司は次の行動へ移る事が出来なかった。
「司くん、裏から出るんだよね?」
「いや、待ってくれ神之助。ちょっと考えさせてくれ」
「どうして? 鬼はシャッターを叩いてるんだから、そこにいるんだよね? だったら裏からなら逃げられるんじゃないの?」
そう、神之助の言う通りのはずなのだ。
はずなのだが、それは致命的なミスに思えて仕方が無い。それは本来楽天的なはずの司ですら、気になって仕方が無い事だった。
「叩いてる?」
塔子が何かに気付いて呟く。
「叩く音、ちょっとおかしくないですか?」
塔子が言うので、司と神之助も音に集中する。
ガシャンガシャン、ガシャガシャ、ガシャンガシャンと言うシャッターを叩く音が続いている。
「何? 塔子さん、何がおかしいんですか? 司くん、わかる?」
いつも大人しい神之助が、珍しく取り乱している。
神之助が先に取り乱してくれたので、司は冷静でいられた。そうでなければ、司の方が取り乱したはずだ。
「音、二回セットだよな」
司が言うと、神之助が司を見る。
「司くん、何かわかったの?」
「鬼はオーディンとトールとガーゴイル。でも、実際に俺達が見たのはトールとガーゴイルと馬の尻だったよな」
「横山さんも馬に乗った騎士っては言ってたけど」
神之助は困った様に言う。
「俺達がオーディンと思ってる鬼、横山さんの言う騎士の鬼だけど、もしかしたら馬から降りて行動できるんじゃないか?」
司は塔子と神之助に囁く。
「ガーゴイルも、そんな確認の仕方をしてなかったか?」
「そう言えば……」
神之助も少し落ち着いた様で、考え込んでいる。
トールやオーディンの姿をしていた鬼なら、あの巨大なハンマーや馬上槍がある。アレならシャッターなど障害にならないと思われるが、二回セットの打撃音にはならないだろう。
二回セットの打撃音の正体は、馬の前足での打撃ではないのか。それではその上の騎士は一体何をやっているのか。
ガーゴイルも打撃音を立てながら、北側にある裏口から出て来る者の方ばかりを気にしていた。
「俺達に気付いているわけじゃないんだ。ただ、怯えて出て来る者がいたらソレを討つつもりなんだろう」