第九話 スタート二時間十五分後
第九話 スタート二時間十五分後
(俺がやっぱり間違ってたのか?)
生きた心地がしない売店の中で、司は早くも後悔していた。
売店の奥では、神之助が耳を塞いで体を小さくして震えている。
「志神君」
塔子も泣き出しそうなほど不安そうな表情で、司のシャツをつまんでいる。
「大丈夫。絶対、鬼は退きます」
司は言うが、それは絶対の自信の元の発言ではなく、自分に言い聞かせる様な祈りに近いモノだった。
シャッターは上げる時の軽さから、そこまで丈夫な物ではない事も予想出来るし、今正に打撃音で悲鳴を上げている。
(破られるのは時間の問題か? いや、絶対に鬼が退く。信じろ、信じるんだ!)
怯える塔子や神之助には何も声をかけられないのだが、どちらかといえば司の方が励ましてもらいたいくらいだ。
(鬼は怯えて逃げ出すのを待ってる、ソレを煽ってるだけだ! 本気なら扉ぐらい簡単に破ってくるはずだ!)
心臓を鷲掴みにされている様な、呼吸も出来ない程のプレッシャーをかけられて、司は塔子の手を握ってそう祈っていた。
実際には五分から十分も経っていない。
鬼も一ヶ所に長時間留まっていられないのだろう。
売店から誰も出てこない事を確認すると、やがて足音と共に打撃音は消える。
それでもしばらくは警戒していたが、本格的に離れた事が実感出来ると、司と塔子は大きく息を吐く。
「行ったみたいですね」
「そうみたい」
司と塔子は、お互いに見つめ合って無事を確認しあう。
悲鳴などは上げていないが、塔子の瞳は潤み、極度の緊張状態だった事も分かる。
(気丈な人だな。俺一人なら、わめき散らすか、神無月みたいにトイレに引きこもって何もしないだろうに。塔子さんは、最前線に留まって俺を励ましてくれた)
「塔子さ」
「司くーん!」
神之助が司に体当たりする様に、飛びかかってくる。
「ぬおあ!」
「司くん! 怖かったよー!」
神之助は、司の胸に飛び込んできて号泣している。
「心配するな。俺も泣きそうなくらい怖かった。ねえ、塔子さん?」
「志神君って、凄く強いよね。あんな時でも落ち着いていて」
塔子の視線も、珍しく熱を帯びている。
(おお? これは好感度アップか?)
死ぬほど怖い思いもしたが、見返りは大きかった。
これで無事に切り抜けられれば申し分無いが、それにはまだ超えなければならない障害が多すぎる。
「志神君、これからどうするの?」
塔子は、神之助に泣きつかれて困り果てている司に尋ねる。
「北側に行こうと思ってます。とにかく、ここに隠れているのは危険ですから」
司は塔子と、神之助に言う。
今は無事に切り抜けられたが、次も同じ様にやり過ごせるとは思えない。
ルールにあった、鬼は学習すると言うモノ。
先ほどまでの鬼の行動は、正にソレだったと言っていいだろう。ガーゴイルの取っていた行動とほぼ同じ事を、オーディンも取ってきた。
これは、鬼の中のどれかが結果を出した行動なのだろう。
おそらく、鬼は知識を共有している。それはどこかで情報伝達をしているのか、そもそも知識を互いに共有しているのかは分からないが、鬼のどれかが結果を出した行動は他の鬼も行ってくる。それは疑いないと思っていいだろう。
司達はゲーム開始直後の中央広場と、地下施設入口の惨劇を見ている。
あの鬼達が学習していくとなると、本当に隠れるのは難しくなっていく。
「でも、何で鬼は建物を壊さなかったんでしょうね?」
司と同じ疑問を、塔子は口にする。
そう、先ほどもシャッターを鳴らすだけで壊す事は無かった。それはガーゴイルも同じで、プレッシャーをかける事のみを目的としていて破壊を目的とはしていなかった。
「建物を壊せないとか、そう言う制約があるのかな?」
「まだ学習していないんでしょうか」
司の質問に、塔子は首を振って答える。
主催者側が鬼にどれほどの予備知識を与えているのかは分からないが、参加者が利用出来る建物がある事は知っているはずだ。それゆえに、その建物からあぶり出せれば簡単に狩る事が出来る事を知っていた。
しかし、これから先はそうもいかないだろう。
鬼はそう時間を置かず、建物を破壊する事を学習するだろう。
横山達が隠れている様な大きな建物ならともかく、この様な売店では隠れた事にもならない。それなら隠れる場所の多い北側や西側南寄りを移動している方が、まだ安全と言える。
「飲み物は補給して行こう。無事だったら北側には鈎先や梶山もいるはずだ。合流が必ずしも良い事とは思えないけど、出口の情報とかも得られるかもしれない」
司は、いまでも泣きじゃくっている神之助に向かって言う。
「鬼は四体だよな。トール、オーディン、ガーゴイルは分かった。ゲーム開始直後に撃破されたって事は、それは見て分かる鬼だったはず。つまり後一体は、何の情報も無いって事だよな? さらに情報をまとめると、鬼はおそらく出口を守っている、トールとオーディンは大通りを中心に行動している。ここまでは間違い無いよな?」
司は神之助に話しかけているが、神之助は話が出来る状況では無い。
「神之助、お前の意見が必要なんだ。一緒に考えてくれよ」
司に肩を掴まれて、神之助は涙に潤む瞳を司に向ける。
(ちくしょう、超可愛いな。なんでコイツは男なんだ?)
「……一緒に?」
「ああ、俺よりお前の方が頭良いだろ?」
成績で言えば、神之助は学年でも上位である。一方の司は贔屓目に見て中の中、どちらかといえば中の下寄りである。
「今ので言えば、北側を回れるのはガーゴイルが空から監視と言う事を考えると、一体って事ですか?」
塔子も話に参加してくる。
塔子も成績で言えば悪くはないが、悪くないと言うところであり、神之助や夢乃の方が上である。
「神之助、どうだ?」
「ちょっと待って」
神之助は服の袖で、涙に歪んだ顔を拭う。
こう言う仕草は男らしい。
「鬼の行動パターンで考えればそうだと思うけど、例えば僕達がオーディンと呼んでいる騎士型の鬼が馬を降りて行動出来る事を考えると、鬼はまだ五体いると思っていいんじゃないかな? 機動力を考えると馬と騎士は離れて行動しないと思うけど、トールみたいに狭いところでは行動出来ないわけじゃないと思う」
「それでも、北側区画を巡視している鬼はほぼ二体って事か」
司が言うと、塔子と神之助は頷く。
北側区画の入り組み方と、入れる建物がある事を考えると、少なくともこの狭い売店に隠れているより勝算は高く感じられる。
「って言うか、神無月をそろそろトイレから引っ張り出そう。俺も使いたい」
「実は僕もだよ、司くん」
顔を赤らめて神之助が言う。
「神無月、もう出て来い。移動するぞ!」
「だって鬼がいるんでしょ! 私はここから出ないわよ!」
「そうか、それじゃ仕方無い。一人で頑張ってくれ」
司が言うと、夢乃は飛び出してくる。
「神ちゃん、無事だった? 凡がヒドい事言うのよ!」
夢乃はつい先ほどまでの神之助の様に、神之助に抱きついて泣きじゃくっている。
「神之助、面倒見てやってくれ。俺はちょっとトイレに行ってくる」
「そんな、司くん」
神之助は困っているが、ここは神之助に丸投げする事にした。
「塔子さん、助けて下さい」
神之助が助けを求めてくるが、塔子としても打つ手が無い。
「ごめんなさい、仙堂君。これは私や志神君ではどうしようもないわ」
「凡、暑いんだけど」
「まあ、まだ八月だしな。さっきの売店か横山さんのところにいれば少しは涼しいだろう。ぶっちゃけ横山さんのところに一緒に隠れるのが、今のところ一番勝算が高いと思うぞ」
先頭を歩く司は、後ろを振り返らず夢乃に向かって言う。
「神ちゃん、横山さんのトコに隠れてた方が良いわよ」
「僕はそうでもないと思うよ。司くんと一緒の方が絶対マシだと思う」
神之助はそこを譲ろうとはしない。
「俺といても特に何かあると思えないけどな」
「そうよ、神ちゃん。そいつは凡人の中の凡人。凡神の名に相応しい奴よ」
その事を否定するつもりは司には無いが、さすがに頭に来る事を夢乃は言っている。
怖くて怖くて仕方が無い事はわかるが、それは司も同じである。
出来る事なら、司もこの場でトイレに隠れ続けていた夢乃に、思いつく限りの悪態をつきたくもなるが、それに意味が無い事はわかる。
そこに腹が立つ事は間違い無いのだが、今はそれより優先する事がハッキリしているために、無視する事も出来た。
「塔子さんは俺の味方ですよね?」
「はい。でも、あの時私でも漠然とした違いしか感じられなかったのに、よくあの音というヒントだけで切り抜けられましたよね?」
「それは塔子さんのお陰ですよ。塔子さんが言ってくれなければ、俺は即裏口から逃げて鬼の餌食になってましたよ」
司は本気でそう思う。
夢乃の一言もあったが、むしろあの状況で音に違和感を覚えた塔子の方が凄い。
少なくとも、あの瞬間に一番冷静だったのは塔子である。
塔子の精神的な強さには、ずっと支えられているのは、他の誰より司が一番知っている。
塔子がいなければ、司は中央広場を見に行った時にあの惨劇を目撃して棒立ちになっていたところを、巨大ハンマーの一撃の餌食になっていた。
地下への入口の惨劇の際にも、塔子は誰よりも詳細にあの惨劇を見たはずなのに正気を失う事は無かった。
今も塔子は双眼鏡を片手に、周囲を警戒している。
「でも、鈎先君とか無事でしょうか」
「分からないけど、鈎先なら上手い事逃げ回ってるんじゃないかな。アレで器用な奴だし」
司は、猫背で眼鏡の同級生の事を考える。
達哉は確かに目立つタイプでは無いが、通常とはちょっと違う何かを司は感じていた。
それはある意味では油断のならない雰囲気であり、本人の性格や言動の割に、どこか信用出来ない雰囲気がある。
司は出来るだけその事を考えない様にしているのだが、達哉がここまで見え見えの鬼の手にかかったとは思えなかった。
司達は、入り組んだ道を選びながら地図では北側区画に入っていた。
前は司が、上空を塔子が、後方を神之助と夢乃が警戒しながら進んでいた。
しかし、北側区画は西側区画と同じく極端に入り組んでいるため、双眼鏡のアドバンテージはほとんど無い。
その分、視覚だけでなく聴覚も使う必要があった。
それは二人分の足音だった。
大きな足音ではないが、二人の足音はほぼ全力疾走と言う雰囲気である。
「こっちに近づいて来てないか?」
司は全員の足を止め、耳を澄ます。
二人組が鬼から逃げているのか、それとも誰かが誰かから逃げているのかは分からない。
音は近い気がするが、それが正確にどこから来ているのかが分からない。
仕方が無いので司は曲がり角から顔を出すと、驚く程近くに少女が後ろを見ながら逃げている所だった。
「うおっ!」
「きゃあ!」
よけられずに司と少女はぶつかる。
「司くん?」
少女がぶつかって来て倒れた司に神之助は驚いたが、隣りの塔子は司も気になっていた様だが、少女を追う者の方を優先していた様だ。
「きゃあああ!」
ぶつかって押し倒された司に対し、ぶつかってきた少女は半狂乱になって司に暴行を加えようとしている。
「ちょ、ちょっと、塔子さん。止めてください!」
神之助に言われ、塔子は一度双眼鏡から目を離して司に馬乗りになっている少女を神之助と一緒に引き剥がす。
「え、あ、あ……」
少女は神之助と塔子を見ながら、ようやく自分の状況がわかったらしい。
「落ち着いて。私達も同じ参加者ですよ?」
塔子が少女に優しく言い、神之助が倒れた司を助け起こす。
「司くん、大丈夫?」
「ああ、ちょっとヒドい目にあったけど、全然大丈夫だ。それより、今のは?」
司が改めて見ると、少女は怯えきって塔子にしがみついている。
歳は司達と変わらないだろう。服装は白いブラウスと紺色のスカートという、まるで何処かの学校の制服の様な服だが、私服らしい。
髪の乱れや表情の固さから、よほど必死に逃げてきた事を予想させる。
「誰よ、ソレ」
夢乃は警戒して少女を見る。
「俺もわからないけど、鬼じゃなくて参加者なのは間違い無いだろ?」
とても会話出来そうにない少女は、今は塔子が先ほど売店から持ってきた飲み物を与えていた。
「それで、塔子さん。追手とか見えました?」
司は塔子に尋ねると、塔子は表情を曇らせる。
「はっきり見えたわけじゃ無いですけど、帽子とマスクをしてました。あと、ナイフみたいなのも持ってました」
塔子の言葉に、少女はより強く塔子にしがみつく。
「帽子とマスク? しかもナイフって。それが残りの鬼?」
夢乃が青い顔で尋ねてくるが、司にも神之助にも答えられない。
「でも、ゼッケンも付けてた様に見えましたけど」
塔子の言葉に少女は何度も頷く。
「……アレは殺人鬼です」
少女は怯え切った声でだが、それでも塔子や司にそう言ってきた。
「殺人鬼? え? どう言う事?」
司が思わず少女に詰め寄ると、少女は怯えて塔子にしがみつく。
「司くん」
「ああ、悪い。ここは神之助とか塔子さんに任せよう」




