第十話 スタート二時間三十分後
第十話 スタート二時間三十分後
達哉は急いであの場を離れ、偶然見つけた拠点へ戻ろうとしていた。
梶山と綾子の二人を切り刻んだ後、全身に浴びた返り血に困っていたが、すぐ近くに入れるホテルがあったので、そこを拠点としていた。
全身に浴びた返り血をシャワーで流したが、ゼッケンを外すと失格扱いになるので、服のままシャワーを浴びた。
その時このゼッケンには秘密がある事に、達哉は気付いた。
日中の昼間に外で見ても気付かないが、このゼッケンはごく僅かにほんのりと光っているのだが、失格になった場合その光が消える。
一度身につけるとソレが光り、ルールに書かれている限りでは鬼に触れられたらその光りが消え、失格となる。
不思議な事に、このゼッケンは切り取ったりすると光りが消えて失格になるが、着用者が死んだ場合には失格扱いにならない。
それは達哉が実際に実験して気付いた事だ。
達哉はすでに八人の参加者を手にかけているが、内四人は失格にはなっていないはずだ。
九人目の少女には逃げられてしまった。
さすがに三人同時は余りにも無謀だったのだ。
三人姉弟を見つけた時、達哉は一番年上の姉ではなく二人の弟の内大きい方を後ろから刺した。予想通り姉は恐怖と驚愕で動けなくなっていたが、もっとも幼い弟が、不意打ちであったにも関わらず達哉に反撃してきた。
それだけではなく、姉を逃がそうとまでしてきた。
歳の頃はまだ十歳にもなっていない少年がそこまでやって来た事に達哉は驚き、その少年の首を切って少年を引き剥がした時には、姉の少女には逃げられていた。
それを追っていた時、達哉が最も警戒している参加者がその少女を助ける形になった。
文芸部の羊の中に紛れた、達哉とは違う種の異物である二人。
志神司と神野塔子。
実際に達哉が見た訳では無いが、仙堂神之助と思われる男だか女だかわからない声が『司くん』と呼んでいたのが聞こえたので、まず間違い無い。
拠点を得た後、念のため帽子やマスクも手に入れたので簡単な変装をしているし、あの一瞬で司達が達哉に気付いたとは思えない。あの少女も達哉の特徴を正確に司達に伝える事は不可能だろうが、それでも気付かれた可能性は否定出来ない。
この遊びもここまでか。
梶山達を切り刻んでいる時、達哉はある種の覚悟は決めていた。
ここで思う存分殺人衝動を満たす事だけを考え、最後は鬼に殺される。
その終わり方が、達哉にとっては納得のいく終わり方であり、このゲームを生きて終わらせようとは思っていない。
あの姉を逃がしたのは、致命的だったのではないか?
達哉は、司と塔子が最大の障害だと考えている。
学校の成績では二人共優れている、とは言えない。おそらく一緒に行動している神之助や夢乃の成績には及ばないが、あの二人にはそれとは違う何かを達哉は感じていた。
それはこのゲームで達哉が殺人鬼としての本分に気付いた様に、あの二人の中にある『異物』が姿を表している可能性も、十分あり得る。
塔子の方はともかく、司の資質については多少の予想が付く。
神之助が時々司の話をしていたが、司は窮地での選択が異常に正確で、普通では考えられないほど的確な答えを導き出すと、自慢していた。
司自身はたまたま勘が当たっただけだと言っていたが、神之助は手放しに褒めちぎって持ち上げていた。
達哉はソレを見てはいないにしても、司が文芸部で達哉と一緒に行動する事は多かったが、それでも司が多少気が合っていたとしても、自分をさほど信用していない事は知っている。
司は司で、達哉の『異物』の正体はともかく、『異物』を抱えている事には気付いていたのだろう。
塔子の方は司ほど警戒しているとは思えないが、何しろ存在感が薄すぎて何を考えているのかがわからない。そもそも文芸部の中にいても、どこにいるかも分からない様な塔子である。
塔子を探す時には塔子本人を探すより、司の視線の先を探す方が見つけやすいというくらいの、存在感の無さである。
「だとすると、あの時俺は見つかっていた可能性もあるって事か?」
達哉は独り言を口にする。
あの時達哉は、逃げている少女の背中だけを追っていた。
その時、曲がり角から司と思われる誰かが顔を出して少女とぶつかっていた。その後すぐに神之助の声が聞こえたので隠れたのだが、あの場に塔子もいたのなら見つかっていたかもしれない。
達哉が拠点にしているホテルの近くには、達哉がつい先ほど仕留めた兄弟が転がっている。通りの目立つところでは無いものの、完全に隠れているわけでも、隠しているという事もない。
二人の少年を思い出すと、達哉は腹が立ってきた。
特に弟の方が下手に粘らなければ、姉の少女に逃げられる事は無かったのだ。
司や塔子を仕留めるには不意打ちが最善だったのに、ここで疑惑を持たれてしまったら司や塔子に対して、不意打ちはまず出来ない。
他の文芸部や、少数で行動している他の参加者など警戒の必要も無い。
特徴の無い外見である事をこれほど有難いと思った事は無いが、それも同じ文芸部の中でも警戒心を抱いている司達にはそれも通用しない。
もう一つ、鬼の事も気になる。
梶山が言っていた巨人以外の情報が無いのだ。一体は撃破され、もう一体は巨人と言う事は分かっているのだが、後の三体がどう言うモノかが分からない。
最終的に命を落とす事になるのは覚悟の上だが、最終的に鬼の手にかかる事になったり、司の手で止められるのならともかく、どこからともなく現れた鬼から訳も分からず殺されるのは避けたい。
自分でも自分勝手な事を考えているのは、達哉も分かっている。
ただ、やはり敵役を担う側としては、主人公と見込んだ人物に倒されたいと願うものである。
「誰?」
この辺りにはもう参加者がいないと思っていた達哉だったので、声をかけられた時には飛び上がりそうになるほど驚いた。
女の声だ。
「さ、参加者です」
マスクを下ろして、達哉は答える。
声はするが、姿は見えない。一応達哉も建物の陰に隠れて答えたが、念のためナイフは鞘に収めて上着で隠しておく。
「鈎先?」
先にそう言って姿を見せたのは、文芸部所属の女子だった。
「え? えっと、君島さん?」
達哉はマスクを外してポケットに入れると、両手を上げて建物の陰から姿を表す。
達哉が両手を上げているところを見て、向こうも曲がり角から出て来る。
文芸部の女子の君島愛と、浜あやめの二人だった。
二人とも背の高さは一般的な女子高生だが、愛の方は極端に痩せ型、一方のあやめは文芸部一の体重を誇ると思われる。
二人共ショートカットであり、あやめが眼鏡をかけている事からお笑い芸人の二人に見えなくもない。実際文芸部の間では『せんぼん』と言われている二人である。
本人達は仲が良いので、その事をさほど悪く思っていない。
達哉の記憶が正しければ、この二人は中央広場にいたはずで、梶山の話を聞いた時に、真っ先にトールハンマーで潰されたモノだとばかり思っていた。
「無事だったんですね。他の皆は?」
達哉はあえて何も知らないフリをする。
他の文芸部の内、梶山と綾子の事はほかの誰よりも達哉がよく知っているし、つい先程司達の無事も確認した。ここで愛とあやめに会ったと言う事は、文芸部の生存率は達哉の想像以上に高い。
特別好奇心が強いと言うメンバーが少なく、ゲームに真剣に参加しようとしていなかった事が幸いしたのだと思われる。
「私たちも探してるんだけど、鈎先は神無月さん達を見なかったの?」
痩せ型の愛の方が、達哉に尋ねてくる。
この二人は愛の方が前に出て、あやめの方が後からついてくる。もちろん細い愛の後ろに丸いあやめが隠れたところで、隠れ切れるわけは無いのだが。
「分からないよ。会ってない」
達哉は首を振る。
嘘はついていない。
おそらく司達と一緒にいただろうが、達哉は一瞬司を見た気がしたのと神之助の声を聞いただけで、夢乃は見ていない。
「ところで君島さん達は中央広場にいたんじゃなかったの?」
「あんな所にいられるわけないでしょ!」
愛はヒステリックに叫ぶ。
「鈎先、あんた何も知らないの? 中央広場なんてもう死体の山よ!」
愛は叩きつける様に言い、あやめは耳を塞いでいる。
「死体の山って、どう言う事? 俺はゲームが始まる前から北側に行ってたから、何も知らないんだけど」
死体の山と言うのなら、この近辺も大して変わらないと言いたいのを、達哉は我慢して何も知らないフリで通す。
塔子ほどでは無いにしても、達哉も文芸部では目立たない方なので、この『せんぼん』の二人が達哉に注目していたとは思えない。こんな露骨な嘘でもバレる事は無いはずだ。
「北側では化け物は見てないの?」
「化け物? 化け物って?」
達哉はあくまでも何も知らないフリをする。
達哉が知っているのは、梶山が言っていた巨人くらいで、直接化物を見ていない。
だが、今このパークで最も危険なのは鬼より自分では無いか、と達哉は思っていた。
会話を続けながらも、この二人をどこでどう切り刻もうかと考えている。
痩せた愛は喉なり胸なりを一突きにしても良い。太ったあやめは刻み甲斐がありそうなので、まずは愛を狙う。先程の少女と違って、あやめに逃げられてもすぐに追いつける自信もあった。
「化け物よ! 巨人とか馬に乗ったヤツとか!」
「馬?」
それは知らない情報だった。
考えてみれば、達哉は複数の参加者に会ってはいるものの、ほとんど会話もしていないのでゲームの情報も持っていない。
達哉が知っている情報と言えば、アナウンスで流れた鍵の獲得の情報と、現在のゲーム参加者が半分くらいになったという事くらいである。
愛の話では、中央広場にあった巨人の像の他、槍を持ち馬に乗った騎士がパーク内をウロウロしていると言う。
パークの名前から考えるとオーディンかもしれないが、主神自らパーク内の異物排除に勤しむとは、ヴァルハラの人材不足もここに極まれりだ。
などと達哉は考えていた。
「あんたは何か見つけてないの? 北側ずっと回ってたんでしょ?」
愛から言われ、達哉はふと思いついた。
この二人なら、簡単に騙せるし殺す事も出来る。
「鍵とか鬼とかとは関係無いですけど、入れるホテルなら見つけましたよ」
「ホテル?」
その単語に愛は警戒の様子を見せる。
夢乃や塔子ならともかく、誰がお前らを誘うかよ。と達哉は心の中で言う。
「巨人とか騎士とかなら、建物の中には入って来づらいんじゃない?」
達哉は二人に言う。
建物の効果はそれだけではなく、相手の行動範囲を狭めたり、死体を簡単に隠してくれたりという効果もある。
鬼から逃げやすいと言う情報は、二人には非常に魅力的だったのだろう。
巨人トールの像や、馬に乗ったオーディンを模したと思われる鬼は、形状から考えても建物探索には向いていない。既に鬼が四体しかいない事を考えると、外を移動するより建物に隠れる方がリスクは少ない。
「どこ? 教えてよ」
愛は睨んでくる。
教えてもらう側の態度では無いが、そこは気にしない事にした。こんな態度もあと数分しか取る事が出来ない事を達哉は知っているので、むしろ可愛いと思える余裕すらある。
「もう少し向こうに行った所に……」
達哉は二人の後ろを指差す。
実際に二人は達哉の進行方向に立っているので、正しい方向を指差したのだが、そこには達哉も想像しなかったモノが現れた。
重い羽ばたきの音と共に、悪魔が降りてきたのだ。
「え? これ」
すぐ近くに現れた悪魔にあやめは反応出来なかったが、悪魔は右の抜き手でゼッケンごとあやめの胸を刺し貫く。
そのままかなり重量があるはずのあやめを持ち上げて、近くの建物の壁に叩きつけると、驚きのあまり何も反応出来ないでいた愛の喉を左手で掴む。
悪魔はそのまま愛の喉を握りつぶすと、地面に叩きつけて、改めてゼッケンに触れる。
「鬼、か」
達哉はナイフに手を伸ばそうとするが、こんな正真正銘の化け物を相手にナイフで戦う事ができるのは漫画やゲームぐらいで、現実的にはよほど特殊な訓練でも受けていなければ不可能である。
悪魔は二人の文芸部の少女の命を奪うと、達哉を見る。
石像の様な色ではあるが、しなやかに動く手足や翼を見る限りでは、一般的な動物と同じ様に皮膚や筋肉があるのだろう。目も同じ色ではあるが、わずかに動いていると言う事は眼球があり、目で見て相手を確認しているようだ。
あの一瞬で二人の命を奪った動きを見ると、鬼はやはりゼッケンに触れて失格させるには、相手を動かなくすればいいと言う事を知っているモノだった。
最初に鬼を撃破したと思われる、あの二人が教えたのだと達哉は確信する。
しかし、それは少し遅かった。
翼を持ち、それで空を飛ぶ相手に走って逃げる事は現実的ではない。
もし、こんな空を飛ぶ鬼がいる事を知っていれば、達哉も下手に拠点を離れずに隠れていただろう。
達哉は後悔しながらそんな事を考えていたが、奇妙な事に悪魔が動こうとしない。
生きた人間を切り刻んだ時、想像以上に出血が激しく血まみれにもなった達哉だが、念のため拠点でシャワーを浴びる時にも服のまま浴びていた。
血を洗い流し、タオルを大量に使って服を拭き上げたが、その時にゼッケンがほんのり光っている事も確認している。
達也はまだ失格していないので、鬼から狙われる立場の人間である事は間違い無いのだが、悪魔は達也の方を見てはいるものの襲いかかってこない。
それどころか、悪魔は小さく頷くと達也を見逃す様に飛び去っていった。
まだ何か秘密がある事は嫌でも分かる不自然極まる行動ではあるが、これは達也としては必ずしも悪い事では無い。
鬼からも期待された以上、達也は北側の鬼として狩りに興じる事にした。
参加者が少なくなればなるほど、それを探す目は必要になるし、安全な隠れ場所の貴重さも高くなっていく。
見ても分からない鬼の巣食う隠れ場所は、他の鬼が近付いて来ない以上、知らない者にとってはこれほど安全な場所はない。
そうと決まると、達也は改めてポケットからマスクを取り出して行動を始めた。




