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月のない夜を  作者: 朔蔵日ねこ


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京《みやこ》

 山は青々とした風が吹き渡る新緑の季節だった。仄白く明けていく空では、鮮やかな紺青と橙が藍白の帯の上と下の縁に滲み、夜に残る雲が影となって黒々と棚引いている。峠を越えた山の斜面にせり出した大きな岩の上に立ち、朝焼けの空の下に広がる「みやこ」を見渡して、貂はほくそ笑んだ。

『人というのは本当に、大層なものをこしらえるもんだ』

 黎明の透き通る光のもと、山裾の窪を四角く切り取って平面にならした広大な土地に、札を敷き詰めたように縦横きっちりと格子を描いた都の姿が晒されている。

 てんが平安京を目にするのは初めてだった。人が伊賀国いがのくに御斎峠おとぎとうげと称する風光明媚な山の上に生まれ育ち、とりたてて不自由なく暮らしていた。三百余年生きた曾祖父にならい長生して化け貂となって以降、あやかしにはならなかった親きょうだいとはとうに死別して、化け貂として名高かった曾祖父が人に討たれてからは、ずっと独りだ。とはいえ、貂は孤独が嫌いではない。しがらみのない自由は甘美だった。化け術に秀でた貂は、気が向けば峠を越える旅人を化かしたり、人の姿をして里に下り、遊興することもある。気ままに振る舞い、日々を愉快に過ごしていた。

 平安京を見たいと思ったのも一種の戯れだった。鞍馬山に棲む化け貂の大叔父をおとなうついでに物見遊山に出掛けてきたのだ。目的も期日もない、興味本位の場当たり的な旅だった。伊賀から長い道のりを経てきて急に拓けた視界の中の、竹尺で線を引いたように四角四面に造られた京を眺めていると、まだ見ぬ人の叡智に貂は無性に心が躍った。

『ちょいと一眠りしたら、大叔父のところへ往く前に、京見物でもしようじゃないか』

 貂は目を細めてそう呟く。元来夜行性の貂は、昨夜も夜を徹してここまで歩いてきた。鬱蒼とした山肌には、貂がねぐらにするのに丁度いい繁みがいくらもある。空腹を満たす虫や木の実も豊富に見つかるだろう。貂は今ひとたび京を一望すると、朝陽の光に萌え出すような輝く緑の中へと駆け下りて行った。


 京の都は、御斎峠の麓の村とはまったくの別世界と思われるほど雅やかだった。見渡すほど広く平らかな大路を何台もの牛車が往来し、どの牛車にも艶やかな毛並みの牛が繋がれて、なめらかに輝く糸で彩られた屋形は絢爛豪華だ。大路沿いには立派な貴族のお屋敷が軒を連ね、行儀よく並ぶ柳の木の柔らかな葉が風に靡いている。

『同じ人の暮らしとは思えんな』

 貂は旅の僧侶の姿に化け、通りを歩きながら感想を漏らす。しかし一方で、京に暮らす庶民の中には困窮している者も大勢いるようだった。内裏から離れた狭苦しい長屋にひしめき合う貧しい者たちは、落ちぶれて荒んだ獰猛な目つきで、あるいは生気もなく無気力な様子で鬱々とたむろしており、これでは馴染みの麓の村の暮らしの方が幾分気楽そうだと貂は思うのだった。みやこの様子は物珍しくはあったが、半日もすれば飽きてしまい、貂は日暮れ前には鞍馬山を目指して平安京を後にした。

 鞍馬へと登る険しい山道は鬱蒼とした高い木々に覆われて、長く続く木陰にはいち早く宵闇が迫っていた。苔むした岩と節くれだった木の根が重なり合う起伏に富んだ高台を登っていた貂は、一段下に見える林道の薄暗がりに、馬にまたがり草むらを踏み分けて進む旅人の姿に気付く。

『はて。このような険しい山に日暮れから一人で分け入るとは。なかなか無謀であるな』

 馬上にいるのは、狩衣かりぎぬを着た華奢で小柄な男で、覆面で顔を隠し、馬を急がせている。まだ若いようだが、何かの密使か、はたまた逃亡者か。若苗色の狩衣は、昼間には新緑に紛れもしようが、夕暮れの木洩れ日の下では光を反射して些か目立つ。自らは小高い岩場の上を跳ね渡りながら、貂は草の路の斜面を駆け上がっていく馬の背を見送った。

 ほどなくして、山の中腹の平坦な台地に差し掛かる。貂の大叔父の棲み処まではもうあと僅かだった。まさに太陽が西の地平に半ばほどまで隠れ、まもなく山は夜闇に包まれる。ごつごつした岩の高みから、古い落葉の堆積した平坦な道を横切って、川のせせらぎの聞こえる方へと降りようとしていた貂は、路の先に荒々しい馬のいななきを聞いて振り向いた。見晴るかせば、先刻の若苗色の狩衣の若者が馬の手綱を引き絞り、棹立ちになった馬の周りを見すぼらしい恰好なりをした男たちが四、五人で取り囲んでいる。

『山賊か。さもありなんだ』

 この薄暗い山中を身なりの良い若者が供も連れずに往けば、山賊の餌食になるのも致し方あるまい。半ば呆れたように貂は言い、しばし逡巡したが、くるりと踵を返すともと来た岩場の高台に駆け上がる。そして山賊に襲われている旅人のちょうど上方まで進むと、立派な体躯の山伏の姿に化けた。若者は懐剣ひとつで山賊と対峙しているが、その戦いっぷりは拙く、まだ少年のようにも見える。

『侍ではないのか。地方貴族か……?』

 貂は呟き、手始めに子どもの頭ほどの大きさの岩を眼下の路に勢いよく蹴り落とした。岩はごろごろと音を立てて転がり、土埃をあげる。

『お主ら、ここが鞍馬の霊山と知っての狼藉か』

 山伏姿の貂は、凄みを利かせて声高に叫ぶ。山賊たちは突如現れた闖入者を振り仰ぎ、身構えた。古くから山賊を生業としているというよりは、困窮の末に山に入ったにわか盗賊のようで、武器も身なりも貧相だ。貂はさらに大きな米俵ほどの岩に足を掛け、それを転げ落とす。岩は坂の途中の他の岩や木の枝を砕き巻き込みながら、ばらばらと路へと落ちていく。山賊たちは一斉に路の反対側の端に退避し、若者は馬を操って落石を巧みに避ける。貂が手にした法螺貝を吹くと、星の瞬き始めた薄闇の空に、にわかに黒い塊が群がり寄ってきた。不穏な低い羽音を響かせるそれは、大きなスズメバチの大群だった。頭上を埋め尽くすように集まったスズメバチの群れは、竜巻のような陣形をなし、羽音を途切れなく唸らせながら、山賊たちに襲い掛かった。

「散れっ」

 山賊たちは右往左往して逃げ回る。どんどん数を増して追い立てるスズメバチに恐れをなした山賊たちは、路の下方の川沿いの繁みや岩場に登る斜面へと四散していった。その間に貂は身軽に斜面を下り、路に降り立つ。散り散りに逃げ去る山賊の後ろ姿を眺めて、貂は小気味よく笑った。あのスズメバチの群れも、実を言えば貂の作り出した幻影なのだ。蜂の群れが山賊の姿とともに宵闇に溶けて消え去ると、前方にいた若者が馬を転回させて戻ってきた。

「行者殿。助かった。礼を申す」

 貂ははっとして顔を上げ、馬上の人をまじまじと見た。覆面でくぐもってはいるが、確かに女の声音だ。

『そなた、女人であったか』

 狩衣を着た若者は、覆面を外すこともなく無言で貂を見下ろしている。貂は畳みかけるように問う。

『女人が一人で供もなく、どこまで往こうというのだ』

「……この上の寺まで」

 女は冷たい声で答えた。覆面からは目だけが覗いていたが、それはまるで猫の目のようで、鋭く冷徹な眼差しは何とも言えない色香を漂わせている。女はそれだけ言うと、馬を駆って身を翻し、山の上を目指して進み始めた。

『おい、待て。女人一人の道行きは危ない。送っていこう』

 もとより好奇心の強い貂である。余計なこととは知りつつも、この男装した美しい女に俄然興味が湧いて、馬を追いかける。しかし女は、山伏に一瞥をくれるものの、馬の脚は緩めずに叫んだ。

「それには及ばぬ」

 しかし、貂が路端で松明に火を灯して、その煌々とした明かりを高く掲げると、女は馬を停めて振り返り、物欲しそうに明かりの方を見た。貂はしたり顔で馬に近づき、女の手から手綱を取る。

『明かりもなしでは夜道は心許なかろう』

 すっかり日が暮れて闇の濃くなった木々の合間を縫って、貂は馬を引いて歩き始めた。

『そなた、名は何という』

「……皐月」

『ほう。それはまさにこの季節に相応しい良い名だ』

 貂の方を見ずに不愛想に答える女の凛とした横顔を、貂は盗み見る。なかなか鼻っ柱が強く、強情な娘のようだ。川のせせらぎを下に聞きながら、貂は女の乗った馬を導いて、山奥深くへと歩を進めた。

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