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お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
1章 試される大地にやってきた
7/27

制服とマグカップ

 宅配業者の人が来たのは、10時過ぎだった。


「お、きたきたー」


 わたしが大きな箱を受け取ると、みつねちゃんはわたしより待ち遠しそうな顔をして首を伸ばす。制服の箱を抱えてリビングに戻り、ひなちゃんとみつねちゃんが見守る中でそっと開く。なんだか宝箱でも開けるみたいで変に緊張する……。

 もちろん、中に入っているのはお宝ではなく、新品の制服である。エルム高校の女子の制服は、ごく普通のブレザーだ。胸元のリボンの色が学年を表している、らしい。


「おおー」


 別に、制服が目当てで受験したわけじゃないけれど、それでも新品の制服を見ると、改めて高校生になるんだなあという実感が湧いてきて、わたしはしばらく箱の中の制服をしみじみと見つめてしまった。数日後からは、これを着てひなちゃんやみつねちゃんと一緒に学校に通うんだ……。


「ありす、さっそく着てみたらー?」

「え? あ、う、うん、そうだね。せっかくだし」

「おし、じゃああたしとひなっちも自分の制服に着替えてくる! 行こ、ひなっち」


 みつねちゃんが立ち上がり、ひなちゃんもこくりと頷いてそれに続いた。ふたりが一旦部屋を出ていくのを見送って、わたしは改めて箱から制服を取り出した。包装を解いて、一度ハンガーに掛ける。それから今着ている服を脱いで、改めてブレザーに袖を通してみた。高校の制服。これを着れば、きっとわたしだって、もう小学生に間違われたりは……!

 ………………。


「ありすー、入っていいー?」


 玄関のドアの向こうからみつねちゃんの声。「……うん」とわたしが答えると、ふたりぶんの足音がリビングに向かってきて、


「あーりーすー、どうだったー? ……って」


 姿見の前から振り向いたわたしに、みつねちゃんとひなちゃんが同時に目を見開いた。

 うあああっ、やっぱり! ふたりの反応に、わたしは顔を覆ってしゃがみこむ。

 ――顔を覆った手は、だぼだぼの袖口から指だけが出ていた。

 そう、最小サイズの150センチ用でも、それより10センチも低いわたしには大きかったのである。袖も裾も余っていて、まるきり小学生の妹が高校生の姉の制服を着てみた姿でしかない。自分で鏡を見ても、間違っても高校生には見えなかった。

 ううう……。これが高校3年間でぴったりのサイズになるという希望は、現実の前に早くもうち砕かれそうだ。このだぼだぼサイズで3年間過ごすというのが現実的な予測だと、鏡の中のわたしが自分自身に告げている。もうやだ、神様やっぱりあと10センチだけ身長をください。

 うううー、とわたしが顔を覆って唸っていると、不意にふたりの気配が近づいてきた。わたしが顔をあげると、


「かーわーいーいー!」


 みつねちゃんがそう叫んで、わたしに抱きついてきた。


「え、ええええ!?」

「犯罪か! かわいすぎるわ! ねーひなっち、ちょっとこれヤバくない? ありすがかわいすぎてもう世界に恒久平和が訪れるレベル……ってあれ、ひなっち?」


 わたしに頬ずりするみつねちゃんが、ひなちゃんを振り向いて言う。そのひなちゃんは、なぜか顔を背けてしゃがみこんでいた。ひなちゃん、どうしたんだろう……?


「ひなっちー、大丈夫ー?」

「……だ、大丈夫……予想以上だった……」

「だよねー!」


 何かふたり、すっかり意気投合している。ええと、なんなんだろう……?

 よくわからないまま、わたしは改めて、同じ制服に着替えたふたりの姿を見やった。みつねちゃんはさすが平均身長、いかにも高校生って感じの、すでに馴染んだ着こなしで、素直にうらやましい。ひなちゃんは、たぶん一番大きいサイズだろう制服をちょっと窮屈そうな猫背で着こんでいた。改めて同じ制服を着てみると、やっぱり到底同い年には思えない……。うう。


「ひなっち、もうちょっと背筋伸ばせばー?」

「……猫背、癖になってて……」

「ダメだよー、骨盤ゆがむよー? ちゃんと背筋伸ばせばモデル体型なのに」

「……そんなことないと思うけど……」


 困り顔のひなちゃんは、わたしの方を振り返って、また恥ずかしそうに視線をそらした。


「…………似合ってる」

「ふえ?」

「…………」


 ぼそっと、ひなちゃんの一言だけのその言葉が、わたしの胸に落ちてくるまで少し時間がかかった。


「そ、そうかな……?」

「……うん」


 こくりと頷くひなちゃんに、わたしはちょっと気恥ずかしくなって、身を縮こまらせる。


「ひなちゃんも……うん、似合ってるよ」

「……そう?」

「うん」

「…………」


 ひなちゃんはまた照れくさそうに視線を逸らした。わたしが目を細めて笑うと、横からみつねちゃんが「ありすー、あたしはー?」と口をとがらせる。


「え? あ、うん、みつねちゃんも似合ってるよ。やっぱり制服ってみつねちゃんの身長ぐらいがちょうどいいんだよね……」

「いやいやー、ありすのかわいさには誰も勝てませぬぞー」

「そ、そんなことないよ……こんなだぼだぼで、袖もうちょっと詰められないかな……」


 わたしが袖の端をつまむと、不意にひなちゃんがぐるりとわたしを振り向いて、またわたしの肩を掴んだ。


「ありすは、そのままで、いい」

「え、ええー!? なんで!?」

「ありすはそのままが一番かわいいってことさー。はい、あたしとひなっちとで2対1、多数決でそう決まり!」

「多数決じゃないよお」


 むう、と頬を膨らませながらも……内心、ちょっとわたしも、ふたりがそう言うならこれでいいのかな、とちょっと思い始めていた。

 ――ちっちゃくてかわいい。小学生の頃からいつも身長順で並ぶとクラスの先頭のわたしには、ほとんど挨拶代わりのように言われてきた言葉だ。わたしの一番の特徴は背が低いことで、社交辞令代わりに相手の特徴を褒めようとすると「ちっちゃくてかわいい」になってしまう、というのはわかっている。でもみんな、わたしを小動物か何かだと思っているのだろうと思うと、「かわいい」というほめ言葉も素直に受け取れなくなる。いや、実際確かにわたしは小動物でもあったんだけど……。

 そんな風にちょっと拗ねていた気持ちが、今は少し薄らいでいた。みつねちゃんとひなちゃんが、わたしに向ける「かわいい」は、他の人たちの社交辞令とは、何か違う気がするから。

 だぼだぼの制服の袖を見下ろす。恥ずかしいけど……ふたりが、これがいいって言ってくれるなら、これでもいいのかな、とちょっとだけ思った。

 これからはじまる高校生活。ひとりでやってきた札幌の街、知らない子ばかりの新しい学校だけれど――みつねちゃんとひなちゃん、ふたりがいてくれると思えば、不安は消えて、学校が始まるのが楽しみになってくる、気もする。


「ね、みつねちゃん、ひなちゃん」


 わたしは顔を上げ、ふたりの顔を見上げた。


「おんなじクラスに、なれるといいね」


 そう言ったわたしに、みつねちゃんはにぱっと笑い、ひなちゃんは優しく目を細めて、


「そだねー、一緒がいいよね!」

「……うん」


 3人、頷きあって、笑いあった。――ふたりがいれば、きっと楽しい高校生活になる。そんな風に思える友達に、学校が始まる前に出会えた。その幸運に、何より感謝したかった。




 ……というところで切れれば、綺麗な〆だったのかもしれないけれど。

 ぴんぽーん、とインターホンが鳴って、玄関に出てみると、千鶴さんと七城さんがいた。千鶴さんはコートを着て、七城さんはパーカーを羽織って、明らかにお出かけモード。ふたりは、制服姿で出てきたわたしたちに目を丸くする。


「……なんで春休みなのに制服着てんの?」


 呆れ気味な顔の七城さんに、あわわとわたしがまごついていると、後ろからみつねちゃんが顔を出す。


「ありすの制服が届いたんで、3人で着合わせしてたんですよー。おふたりはこれからお出かけですかー?」

「あら、みんないたの? 私たちは札駅でお買い物しようと思って。ありすさん、札駅とか大通の方はまだ行ってないんじゃないかと思って、誘ってみようかと思ったんだけど」

「おー、いいですねー。ありす、行くよね?」

「あ、はい! ぜひ!」

「ひなっちはどうするー?」

「……行く」


 みつねちゃんが振り向いて呼びかけ、ひなちゃんはのっそりと頷いた。


「だったらさっさとその制服から着替えてきて。入学式もまだなのに制服で行く気?」


 七城さんが半眼で言い、わたしたちは自分の制服姿を見下ろして、あはは、と苦笑しあった。


「じゃ、あたしとひなっちは部屋で着替えてくるよー。ちょっと待ってて」

「……ん」

「あ、うん。それじゃわたしも着替えてくるので……」

「はいはい、玄関で待ってるわ」

「遅かったら勝手に先行くから」

「もう、羽紗美ったら」


 例によってむすっとした顔の七城さんと、苦笑する千鶴さんにぺこりと一礼して、わたしは玄関のドアを閉め、ひとつ息を吐いて制服を脱ぐ。制服をハンガーに掛けて吊るすと、またちょっとだけ、高校生活が実感として近づいた気がした。




 というわけで、5人で歩いて札幌駅に向かう。途中、ほぼ初対面だったらしいひなちゃんと七城さんが互いにぼそぼそっと自己紹介をしていた。千鶴さんは何か楽しそうにしていたけれど、横で見ているわたしには、このふたりは気が合うのかなあ、とちょっと心配になる。


「あ、そうだ。この5人でファーリーハイツのLINEグループ作ろうよー。連絡に便利だし」

「ああ、いいわね。全員でアドレス交換して登録しましょう。ほら、羽紗美も」

「はいはい」


 みつねちゃんが言い出し、信号待ちの間にみんなでスマホを取り出す。と、ひなちゃんだけが困った顔でまごついていた。


「どうしたの、ひなちゃん」

「……私は、無理」

「へ? 無理ってなんで?」

「……私の、これだから……」


 そう言ってひなちゃんが取り出したのは、なんとびっくり二つ折りのガラケーだった。しかも明らかに真新しい。みつねちゃんも目を丸くする。


「え、いまどき新品のガラケー!? そもそもそんなもの売ってるの!?」

「……エルムに受かったときに買ってもらったんだけど……親が、スマホはなんでも出来すぎるからよくないって……電話とメールができれば十分だからって……」


 肩身が狭そうに、もともと猫背気味の背中をますます丸めてひなちゃんがうなだれる。ああ、確かに中学のクラスでも、親の方針で携帯持たせてもらえない子、いたなあ。


「あれ、ガラケー用のLINEなかった?」


 七城さんが言うが、千鶴さんがスマホで検索し「サービス終了しちゃったみたいね」と肩をすくめる。


「じゃー仕方ない。ひなっち抜きでグループ作っておくから、用があるときは個別にメールなり電話なりするよー」

「……面倒かけてごめん……」

「気にしない、気にしない。そもそもお互い歩いて3秒の距離だしねー」


 みつねちゃんがひなちゃんの背中をぽんぽんと叩く。ひなちゃんはそれでも申し訳なさそうな顔をしていたけれど、わたしがその顔を見上げて「ひなちゃんの番号とメアド、おしえて」と声をかけると、ぱっと顔をほころばせて、こくんと頷いた。


「なんかあの子、見た目と性格が正反対ね……」

「そう? 私は見た目通りの子だと思うけど」


 ぽちぽちとガラケーを操作するひなちゃんを見ながら、七城さんと千鶴さんがそんなことを言い合っているのが聞こえて、わたしはどう反応したらいいかわからず、ただ苦笑した。

 ともかく、そうして歩くこと20分ちょっと、やって来たるは来札初日以来の札幌駅だ。相変わらず人が多い。そりゃ、札幌の人口は青森市の6倍以上なんだから、駅にだって6倍以上の人がいるに決まっているのだけれど。


「じゃ、私は紀伊国屋に行ってるから。終わったら呼んで」


 駅の北口に着くなり、ちゃっと手を挙げて七城さんがその場を離脱しようとする。そのパーカーのフードをむんずとつかんで、千鶴さんが「うーさーみー」と口を尖らせた。


「今日は羽紗美の服を買いに来たのよ」

「だからいいってば! 私は服より本!」

「ダメよー。羽紗美も少しはオシャレしなきゃ。本屋さんには後で連れてってあげるから、一緒にお洋服見に行きましょ」

「人を着せ替え人形にするなー! はーなーせー!」


 もがく七城さんを羽交い絞めにして、千鶴さんはにっこりほほ笑んで私たちを振り向く。


「というわけで、私たちは服を見に行くけど、一緒に来る?」

「ありす、どうするー? なんか服買う?」

「う、うーん……どうしようか、ひなちゃん」

「……任せる」

「ふたりとも主体性がないなー。まあ今日はありすの札駅案内がメインだし、あたしたちは3人で適当にウィンドウショッピングしよっか」

「……賛成」

「うん、じゃあそれで」

「はいはい。じゃあ、こっちが済んだら連絡するから。それじゃあ羽紗美、行きましょ」

「だから離してってば、千鶴ー!」


 七城さんを引きずって、千鶴さんは雑踏の中に姿を消す。それを見送り、わたしたちは顔を見合わせた。


「さて、じゃああたしたちも行こっか。ありすは札駅とかJRタワーは初めてだっけ?」

「えと、受験で来たとき、おみやげ買うのにちょっと寄っただけ……」

「ひなっちは?」

「……このへん、よくわからない……」

「おーし、それならあたしに任せよー。じゃ、とりあえず地下行こっか」

「あれ、でもみつねちゃんもこっち来たばっかりじゃ?」

「ん、でもだいたい覚えた!」

「だいたいって……」


 ちょっと心配である。大丈夫かなあ、と考えるわたしに構わず、みつねちゃんはずんずんと歩き出してしまう。わたしはひなちゃんと慌ててその背中を見失わないように後を追いかけた。

 エスカレーターを降り、初日にも通った地下街に入る。おとといは通り過ぎただけだったけど、改めて見回してみると、どこから見ていいのかもよくわからない。


「えーと、このへんがアピア。確かあっちがステラプレイスで、その向こうがパセオ。そっちに行くとエスタで、こっちが大丸で、JRタワーに上るのはえーと……どれだっけ?」

「訊かれても知らないよ!」


 というか、アピアとかパセオとか言われてもそもそもさっぱりわからない。何が違うの?


「いやー、このへんややこしくてあたしもよくわかんないんだよねー」

「みつねちゃん、さっきだいたい覚えたって……」

「うん、だからだいたい、なんとなくわかってる」

「……ほんと?」

「ほんと、ほんと」


 怪しい。わたしが訝しんでいると、みつねちゃんが不意に「あれ?」と首を捻った。


「ひなっちは?」

「え? あ、いない……ひなちゃん?」


 いつの間にか、ひなちゃんの姿が消えている。きょろきょろと周囲を見回すと、ふらふらと歩いていくひなちゃんの背中が見えた。ひなちゃんの長身は人混みの中でも見つけやすい。わたしだったら雑踏に紛れて誰からも見えなくなってしまうだろう。


「あ、いたいた。おーいひなっち、どこ行くのー?」


 ひなちゃんの背中を追いかけると、ほどなくわたしたちにもその行き先が見えた。


「あー、なるほど……」


 どうやらファンシーショップを見つけたらしい。ずらりと棚に並んだぬいぐるみに吸い寄せられるように、ひなちゃんはその店にふらふらと足を踏み入れる。わたしたちの呼ぶ声は完全に聞こえていない。わたしはみつねちゃんと顔を見合わせ、ぬいぐるみの棚の前で立ち尽くしたひなちゃんに追いつく。


「ひなちゃん」

「……あ、ごめん、つい……」


 ふらふらと勝手に歩き回った自覚はあるのか、わたしに気付いたひなちゃんはすまなそうに目を伏せた。それから、また棚に目を戻して、並ぶぬいぐるみを陶然とした顔で見つめる。

 店内を見回してみると、動物キャラクター雑貨専門店みたいなところらしい。ぬいぐるみ以外にも、動物柄のバッグやポーチ、食器やマグカップ、シャツやハンカチなどがところ狭しと並んでいる。犬と猫が中心みたいだけど、クマやキツネやタヌキ、ウサギにリスもある。リスのぬいぐるみを見ると、今はなんだかちょっと複雑な気分だった。


「ひなっち、何か買うのー?」

「……この棚全部ほしい」

「全部ときたか!」


 うっとりした顔で棚を眺めるひなちゃん。みつねちゃんは呆れ顔でその横を通り抜け、大きなカピバラのぬいぐるみを「おー、でっかい」とぼふぼふ叩いていた。


「そういえば、ひなっちの部屋にあったの、小さいのばっかりだったけど、こういう大物は買わないの?」

「……大きいぬいぐるみは高いから……。それに、こういう小さいのが好き……」


 手のひらに小さなウサギのぬいぐるみを乗せて、ひなちゃんはうっとりした顔をする。あの部屋を見て解っていたことだけれど、心底ぬいぐるみが好きなんだなあ、とわたしは感心していた。わたしも好きだけど、今のひなちゃんほど幸せそうな顔はしてないと思う。


「ほほーう。じゃあひなっち、これにすればー?」


 と、みつねちゃんがニヤニヤしながらひなちゃんに差し出したのは――リスのぬいぐるみ。

 手のひらにリスを載せられて「え」と目を見開いたひなちゃんは、反射的に、みたいな動作でわたしの方を振り向いた。目と目が合い、ひなちゃんは恥ずかしそうに顔を伏せる。みつねちゃんが予想を外したのか、軽く眉を寄せた。


「ん? ちょっと待ってひなっち、今の反応ってまさか」

「あ、みつねちゃん、ひなちゃんはわたしのアレのこと知ってるから……」

「なにー!? いつの間に!」


 そういえば、そのことはみつねちゃんに話していなかったのである。というかみつねちゃん、ひなちゃんが知らない前提でリスのぬいぐるみをひなちゃんに渡すのって、それはひなちゃんへのイタズラなの? それとも遠回しなわたしへの……?

 だったらわたしからも仕返しだ。わたしは棚の下の方に並んでいたキツネのぬいぐるみを手に取って、「ひなちゃん、こっちはどう?」と差し出してみる。「ぐあ」とみつねちゃんが目を見開き、キツネを受け取ったひなちゃんは不思議そうに首を傾げる。


「いやいやいやひなっち、キツネはやめようキツネは」

「……どうして?」

「どうしてって、どうしても! ていうかひなっちの部屋にキツネあったし!」

「ひなちゃん、さっきのリスとおんなじ理由」


 わたしが小声で囁くと、ひなちゃんは手のひらのぬいぐるみとみつねちゃんを見比べて、なるほど、という顔をした。わたしの言わんとするところを理解してくれたらしい。


「こらありす、あたしの秘密をバラすなー!」

「え、バラしちゃダメだった?」

「いや別にダメじゃないけどさー」

「……じゃあ、お仲間同士」


 ひなちゃんがみつねちゃんにキツネのぬいぐるみを手渡す。「えー、いやあたしがキツネのぬいぐるみ買うのって変じゃん、変だよ絶対」とみつねちゃんは困り顔。


「……人間のぬいぐるみが普通にあるんだから、変でもないと思う」

「ええー。ありすはどう? 自分がそうなのに、リスのぬいぐるみ欲しいと思う?」

「え、わたし? う、うーん……確かにちょっと変な感じはするかも……」


 さっきまでひなちゃんの手に載っていたリスのぬいぐるみを、わたしは指先でつつく。自分がエゾシマリスだと知ってしまう前だったら、普通にかわいいと思って買っていたかもしれないけれど……。


「……ん? ちょっと待って」


 と、みつねちゃんが何かを思い出すようにこめかみを軽く叩いた。そうして数秒唸り、それからぬいぐるみの棚を見回して、「あ!」と声をあげる。


「ねえひなっち、間違ってたら謝るけど……ひなっちって、もしかしなくても、クマの家系?」


 小声のみつねちゃんの問いに、わたしとひなちゃんは同時に目を見開いた。ひなちゃんは困り顔をして、それからゆっくりと頷く。


「……正確には、エゾヒグマ」

「やっぱり! ひなっちの部屋見たとき、なんか変だと思ったんだよー!」


 ひなちゃんがその瞬間に抱いていただろう懸念など気にする風もなく、みつねちゃんは何かひとりで納得して頷いていた。ひなちゃんは不思議そうに首を捻る。


「みつねちゃん、変って?」

「あの部屋のぬいぐるみ、あんだけたくさんあったのに、クマがひとつもなかった!」

「……あ、確かに」


 言われてみれば、そうだった気がする。クマはぬいぐるみの定番中の定番、ぬいぐるみコレクターがクマのぬいぐるみだけ避けているというのは、確かに変だ。ひなちゃん自身がヒグマだから、クマのぬいぐるみは他の動物ほど素直にかわいがれないのだろう。


「みつねちゃん、なんか名探偵みたい」

「はっはっはー、我が知性を褒め称えよー」

「…………」


 胸を張るみつねちゃんの傍らで、ひなちゃんは目をしばたたかせ、不思議そうにみつねちゃんを見ている。その視線に気付いて、みつねちゃんが「ん?」と首を傾げた。


「……みつねは……怖くない……?」

「え、ひなっちのこと? いやいや全然。登別出身で熊谷って時点でそんな気はしてたし。ヒグマの家系ならその身長も納得だよねー」


 あっけらかんと笑うみつねちゃんに、ひなちゃんは目を細め、


「…………っ」

「わっ、なにさひなっち、急にこんなところでー。ていうかちょっと苦しいってばー」


 わたしにしたように、みつねちゃんをハグした。もがくみつねちゃんに、わたしは笑う。


「あ、ありす、あたしより先に知ってたなー?」

「うん、知ってた」

「あたしの知らないところで2人で秘密作ってるとかズルいぞー」

「だから、もう秘密じゃないよ。ね、ひなちゃん」

「…………ん」


 みつねちゃんを離し、ひなちゃんは頷く。みつねちゃんは頭を掻いて、「なんだかなー」と苦笑し、それから店内に視線を巡らせて、


「あ、いいものみっけ」


 と別の棚の方に歩いていく。わたしとひなちゃんもそれについていくと、みつねちゃんが立ち止まったのは、様々な動物柄のマグカップが並んだ棚だった。


「ほら、ちょうどあたしたちの3種類があるじゃん」


 そう言ってみつねちゃんが手に取ったのは、クマ、リス、キツネの柄のマグカップ3つ。


「記念にこれ買ってかない? 3つずつ」

「え、3つも?」

「そう。で、3人それぞれの部屋に1セットずつ常備しとくの」

「ああ――それ、いいかも!」

「でしょー?」


 そうすれば3人の部屋にそれぞれ、自分用のマグがひとつずつあることになる。

 いつでもお互いの部屋で、3人一緒にお茶を飲める――そんな印。


「……私も? ……いいの?」

「何言ってんのー。新生活と新しい友情の記念なんだから、ひなっちも当然買う!」

「…………うん」


 クマ柄のマグの箱を3つ、みつねちゃんから押しつけられて、ひなちゃんはおっかなびっくりという様子でそれを受け取り……それから、感慨深そうに頷いた。わたしも、リス柄のマグの箱を3つ手に取る。わたしの部屋、みつねちゃんの部屋、ひなちゃんの部屋の3つぶん。

 そうして3人でマグの箱を抱えて、わたしたちは誰からともなく、笑い合った。

 当たり前のように、3人で笑っていた。


      * * *


 その日の夜、青森のお父さんから電話があった。


「――あ、お父さん? うん、大丈夫。今のところ問題ないよ。……うん、家具は届いたし、片付けも済んだ。ご飯も自分で作って食べたし、お風呂も自分で洗って入ってるよ。……うん、うん、わかった。大丈夫。入学式はわたしひとりで平気だから。……うん、気にしないで。お父さんも大変なんだし、わたしは大丈夫だから。……ほんと、ほんと。あのね、お父さんが見つけてくれたマンション、住んでる人がみんないい人で……。うん、学校始まる前だけど、友達できたんだ。うん、春から同級生になる子。……だから、うん、楽しいよ。……うん、うん。……あのね、お父さん」


 言葉を切って、大事なことを尋ねようと思った。けど、別にいいかな、と思い直す。お父さんに、変な心配も掛けたくないし――そのうち訊けばいい。

 だってそれは、この北海道では当たり前のことに過ぎないのだから。


「ん、なんでもない。……じゃあお父さん、おやすみ」


 電話を切り、わたしは腰掛けていたベッドから立ち上がって、壁に掛けた制服と、食器棚に並んだ3つのマグカップを眺めて、「うん、大丈夫」と口に出して頷いた。

 もうすぐ入学式。高校生活はこれからだけど、わたしの新生活はもう始まっていて、そしてそれは――今も、これから3年間も、きっと楽しくなる。そのしるしが、ここにあるから。


 制服と3つのマグカップ。

 それが、わたしの札幌での新生活の始まりのしるしだ。

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