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お隣さんはヒグマでした。  作者: 浅木原忍
3章 楽しいことを見つけよう
22/27

わたしの好きなことは……

 4月23日、月曜日、放課後。


「……普通に考えて、図書室に旅行ガイドはないと思う……」

「あー、それもそうかー」


 ひなちゃんの言葉に、みつねちゃんが机に突っ伏した。

 わたしたちは3人で文芸部の部室である第二図書準備室にいた。部長さんがまだ来ていなかったので、図書室の司書の先生に部室の鍵を借りて開けるという地味な初体験。

 特に活動もないのに、なんで部室に来たかと言えば。

 ――東京に連れて行ってあげよう、という、昨日の大家さんの発言が原因である。


『まあ、あくまで私の仕事のついでだし、私も無限にお金があるわけじゃないから、1泊2日、5日の朝イチの飛行機で東京入りし、6日の朝から仕事をしてそのまま夜の飛行機で札幌に帰るスケジュールになる。観光にあてられるのは実質半日だが、それでも構わないなら』

『行きます!』


 ほとんど即答の勢いでみつねちゃんが手を挙げ、わたしとひなちゃんもおずおずと手を挙げた。大家さんは満足そうに頷き、そういうことに決まったのである。


「旅行ガイドはなくても、なんか東京のいい観光ルートわかりそうな本ないかなー」

「ネットで検索すればいいんじゃ?」

「ぶっちゃけ東京の観光地は多すぎてわけわからんのじゃー!」


 みつねちゃんが吼える。確かにスマホで検索してみても、情報が多すぎて全然絞り込めない。おまけにわたしたちには土地鑑もないから、千代田区とか文京区とか港区とか言われてもぜんぜんピンとこないわけで……。


「ありすは何か行きたいところとかあるー?」

「うーん、スカイツリーとディズニーランドと浅草と上野公園は修学旅行で行ったから……」


 わたしが答えると、ひなちゃんが目を見開き、みつねちゃんが身を乗り出してきた。


「……ありす、東京行ったことあるの……?」

「くあー、そうか、青森の中学は修学旅行東京かー! ずるいぞありすー!」

「うえ? え、北海道の中学は修学旅行の行き先、東京じゃないの?」

「……私は岩手と秋田だった……」

「あたしなんか札幌と小樽だぞー! 道内からすら出られなかったんだぞー」


 うがー、と唸るみつねちゃん。そっか、北見って札幌行くのにも特急で5時間とかかかるんだっけ。それなら確かに東京まで行くのは厳しそうだ。登別もたしか函館から札幌までの特急の途中だったし……。


「東京ってどうだったー? 芸能人とかいた?」

「ええ? 全然そんな、いてもわかんないと思うよ、人多すぎて。ディズニーランドは楽しかったけど、他はなんかもう人多すぎたことしか印象に残ってないよ……」


 スカイツリーはせっかく上ったのに曇っていて全然景色が見えなかったし、浅草は人が多すぎて危うく迷子になりかけた。東京駅は広すぎてわけわからないし、まごまごしているうちに修学旅行はあっという間に終わってしまったのである。まあ、そのまごまごする感じこそが東京に行ったっていう感じなのかもしれないけども。


「あー、人混みの中だとありすはすぐ迷子になっちゃいそうだねー」

「むー」

「じゃあそうならないように、ありすはひなっちと手を繋いでればいいよー」


 ニヤニヤ笑いながらみつねちゃんがひなちゃんを見やる。まあ、確かにひなちゃんは目印になってくれそうだけど……。


「……て、手を? 手を……ありすと……」


 ひなちゃんは困ったように視線を彷徨わせて、なぜだか俯いてしまった。みつねちゃんが意地悪そうな笑みを浮かべてひなちゃんの肩をつつく。なにしてるの?

 と、そこへドアが開き、「あら?」と意外そうな顔をした部長さんが現れた。


「開いてると思ったら、3人とも来てたの?」

「あ、部長、おばんですー。うさ先輩は?」

「さあ、帰って次の合評会に出す原稿書いてるんじゃないかな。北崎さんたちはどうしたの?」

「やー、ちょっと3人で東京行きの相談してたんですよー」

「東京って、ゴールデンウィークに旅行?」

「はいー、うちの大家さんに連れてってもらえることになりましてー」

「大家さんって……ああ、鹿賀さんね。あ、そういうこと」


 合点がいったというように部長さんは手を叩く。そういえば大家さんは砧先生の友人なのだから、砧先生と同居している部長さんが知っていてもおかしくないわけだ。


「そっか、そうよね、今年は北崎さんたちよね、そりゃそうなるわよね」


 うんうんと頷く部長さんに、わたしはひなちゃんと顔を見合わせた。


「部長さん、ひょっとして部長さんもうちの大家さんとお知り合いですか?」

「知り合いっていうか……うん、私も1年のときに鹿賀さんに東京に連れてってもらったの。たぶん貴方たちと同じ、仕事の手伝いって言われたでしょ?」

「おっ、部長、てことは大家さんの謎のお仕事をご存じなんですかー?」

「あ、やっぱりまだ詳細聞いてないんだ?」

「なんかみんなして秘密主義なんですけどー。そんなヤバい仕事なんですかー?」


 みつねちゃんの問いに、部長さんは楽しげに笑う。


「それなら、私がネタバレするわけにはいかないなあ。ま、そんな大変だとか危険だとか、そういう仕事じゃないよ。北崎さんなんかノリノリで楽しみそうだし」

「そんな部長までー。いいじゃないですかー、現実にネタバレとかないですよー」

「いや、これに関してはネタバレしたら楽しくないと思うな。私も当日まで具体的に何するのか知らされなかったから、北崎さんたちも当日びっくりするといいよ」


 ちょっと意地の悪い笑みを浮かべて部長さんはお茶を淹れ始める。

 ……ひょっとして、千鶴さんと七城さんも、同じように当日まで何をするか知らされないまま東京に連れて行かれたのだろうか? それでわたしたちにも秘密にしていると……? そうまでして具体的な内容を内緒にする《仕事》っていったい? 想像もつかない。


「……ということは、部長も東京行ったことあるわけですか……?」


 ひなちゃんが問うと、「あ、うん」と部長さんはお茶を配りながら頷いた。


「鹿賀さんに連れてってもらったときだけじゃなく、家族旅行でも行ったことあるし」

「おおー。東京のオススメスポットとかありますー?」

「ええ? うーん、私だって全部で3回しか行ってないからなあ。鹿賀さんの手伝いのついでなら、せいぜい観光できるのは1日でしょ? あれこれ目移りしながら考えるより、何かこれっていう目当てをひとつ決めて、決め打ちで行った方がいいんじゃないかな」


 なるほど、合理的だ。修学旅行でも体感したけど、旅先の時間って考えるより短い。ぼんやりしているとあっという間に時間が過ぎてしまう。


「羽紗美さんなんか、一緒に行った丹羽さんのことほったらかして池袋のミステリー文学資料館に籠もってたそうよ。国会図書館は18歳以上じゃないと利用できないからって」

「あえてアキバじゃないあたりがひねくれ者のうさ先輩らしいですねー。部長はやっぱり神保町とかですかー?」

「あはは、その通り。お姉ちゃんと一緒に神保町巡りしたなあ」


 神保町って、古書店街だっけ。本好きの人には天国なのだろうなあ。


「あとは、あえて横浜の方に行くとかもアリだね。羽田空港からなら京急で行けるし。中華街とか山下公園とか。横浜からもうちょっと足伸ばせば鎌倉にも行けるし」

「おおー、そうか、東京から横浜ってそんな近いんですねー」

「そうだね、札幌から小樽行くぐらいの感じじゃないかな。もっと近いかも。だいたい、ディズニーランドだって東京じゃなく千葉県だしね」

「……他の都道府県がすぐ近いって、感覚的によくわからない……」

「あはは、確かに」


 北海道のスケールとは比べられないにしろ、わたしも元青森市民としてはその感覚に近いものを覚える。秋田や岩手はやっぱり遠くというイメージだ。それに比べると関東のあたりは、地図で見てもなんだかごちゃごちゃしてる感じ。


「まあ、みんなで行くならみんなで楽しめる場所に行くのがやっぱり一番じゃないかな。あるいは羽紗美さんがそうしたみたいに、あえて全員別行動でそれぞれ好きなところに行くのもアリかもしれないけど、そのへんは北崎さんたちがしたいようにすればいいと思うよ」


 部長さんは指を一本立てて、そう微笑んだ。




 その後は部長さんが本を読み始めたので、お邪魔にならないように部室を後にした。部長さんは「別に私、多少うるさくても読書できるから居ていいよ?」と言っていたけれど、冷静に考えて準備室とはいえここは図書室の中である。喋るなら場所を変えた方がいい。

 というわけで、24条の本屋さんに足を伸ばして目についた東京のガイドブックを買い、ドーナツ屋さんで3人で顔を突き合わせて検討に入るのだけれど。


「うーん、やっぱり選択肢が多すぎて迷っちゃうね……」

「半日ってのがネックだねー。制限時間あると効率的に回らなきゃ損した気分になっちゃうもんなー。エルムの修学旅行は京都だから残りは修学旅行まで取っておくって選択肢もないし」

「……あと、東京のどこに泊まるのかにもよると思う……」

「お、言われてみればその通りじゃん。大家さんに聞いてみよ」


 みつねちゃんが大家さんにLINEで質問すると、すぐ返事が来た。


「蒲田だってさー」

「蒲田って、ゴジラが上陸したところだっけ?」

「1回目の四足歩行してたときだねー。二足歩行のときは鎌倉だったはず」

「……具体的にどのへん……?」

「1駅で川崎だから、東京の西の端っこだねー。神奈川との境界らへん。それだと部長が言ってた通り、横浜とか鎌倉行くのもアリかもねー。でもせっかく東京行くんだから東京を見たい気もするなあ。うーん」

「……みつねがそんなに迷うって、珍しいね。いつもすぐどうするか決めるのに……」

「あたしだって別にいつでも即断即決じゃないよー。ていうかあたしは基本的に1週間より先のことは考えない主義なのだ! なぜなら1週間後のあたしは既に今のあたしではないからであーる! 北崎みつねは常に進化し続けるのだー」


 みつねちゃんはなぜか胸を張って言う。男子三日会わざれば刮目して見よって言うけど、まあ確かに女子にもそれは当てはまるかもしれない。


「……それ、単にみつねが飽きっぽいからじゃ……?」

「ひなっち、気軽に本質を突くんじゃないぞー」


 みつねちゃんがひなちゃんのほっぺたを引っぱる。むにー、と頬を広げられたひなちゃんは、お返しとばかりにみつねちゃんのこめかみを拳でぐりぐり。「ぎゃー」とみつねちゃんが呻いてテーブルに突っ伏す。

 楽しそうなその様子にわたしは笑っていたけれど、それはそれとして東京でどこに行くかという肝心の問題は結論が出ないまま夕方になってしまった。


「まあ、当日までに決めればいいかー」

「……そうだね」


 というわけで検討会は延期となり、わたしたちはファーリーハイツに帰宅する。ひなちゃん、みつねちゃんとそれぞれの部屋のドアの前で別れて自室に入り、制服から部屋着に着替えてほっと一息。さて、課題やらなきゃ。

 そういえば晩ご飯何も考えてないけど、まあたぶん7時過ぎれば千鶴さんから集合かかるだろうし……。すっかり千鶴さんを寮母さんか何かみたいに思ってしまっている自分に気づき、ちょっと申し訳ない気持ちになる。

 そんなことを考えていると、グループLINEの通知がきた。見ると七城さんから。


《【業務連絡】今日は千鶴のご飯はないので、夕飯は各自でとること》


 うわ。ごめんなさい千鶴さん、わたしは少し甘えすぎていました……。


《千鶴さん具合悪いんですかー?》これはみつねちゃん。

《みなまで聞くな》

《了解でーす。お大事にー》


 ああ、そういうこと。わたしは納得してスマホを置く。

 さて、そうすると夕飯どうしようか。冷蔵庫を開け、「あ」とわたしは呻く。

 冷蔵庫の中には、気付けば小さなタッパーがいろいろ。ああ、どれもこれも中途半端に残してしまって、後で使おう食べようと思ってた食材……。そういえばすっかり忘れてた。ちょうどいいから、使えそうな分をまとめて今日の晩ご飯にしちゃおう……。

 そういえば、リスって貯め込んだ食糧を自分でも忘れちゃうんだっけ? うう、まさかこれもわたしのエゾシマリスとしての習性なんだろうか。気を付けなきゃ。

 唸りつつ冷蔵庫の中を漁っていると、ピンポーン、とインターホンが鳴った。誰だろう。玄関のオートロックじゃなくドアのチャイムの音だから、ファーリーハイツの住人の誰かなのは間違いないけど。みつねちゃんかな?

 部屋のドアを開ける。そこに立っていたのは、少々意外な顔だった。


「七城さん?」

「ん、はい」


 ぶっきらぼうに、七城さんは青いビニール袋を差し出した。札幌駅にある弘栄堂書店の袋だ。中身はどうやら本らしい。


「……あの、これは?」

「貸すって言ったでしょ、この前、読書会のとき」

「あっ、はい、ありがとうございます」


 そういえば、金曜の文芸部の読書会のとき、七城さんが本を貸してくれると言っていたような。なんだっけ? 袋の中を覗くと、ハードカバーと文庫が1冊ずつ入っていた。取りだしてみると、ハードカバーは読書会のときに見た米澤穂信の『いまさら翼といわれても』。あ、そうだ、〈古典部〉の最新刊だと知って読みたいと思ってたんだ。

 そしてもう1冊、文庫本も本屋さんで見た覚えのある表紙だった。三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』。巻数の数字がないのでたぶん1巻だろう。――ああ、そうだ。読書会の帰り道で、七城さんがわたしに「読んでみなさい」って言ってたっけ。どうしてかわからないけど。

 わたしが顔を上げると、七城さんは頬を掻いて視線を逸らした。


「……なんかこの前は偉そうなこと言ったけど、あれは忘れて」

「え? ええと……」

「別に深いこと考えずに読みなさいってこと。1ヶ月以内に返してくれればいいから。じゃ」


 それだけ言って、七城さんは踵を返し、わたしが何か言う間もなく階段をあがっていってしまう。わたしはただ、ぼんやりとその背中を見送った。

 ――金曜日の読書会の帰り道。七城さんは、わたしに何て言ったっけ。

 ああ、そうだ。わたしが文芸部にいていいのかと漏らしたら、どうして文芸部に入ろうと思ったのかって訊かれて、それでなぜか『ビブリア古書堂』を薦められたんだっけ……。

 ……でも、ホントになんで『ビブリア古書堂』なんだろう?




 冷蔵庫の残り物でちょっとわびしい夕飯を済ませ、課題を終えて一息つく。テレビをつけてみたけど、あんまり面白そうな番組はやってなかった。テレビを消して、Youtubeで動画でも見ようかな、と思ったところで、七城さんが貸してくれた本が目に入る。

 あ、そうだ、これ読もう。〈古典部〉の方も気になるけど……。

 七城さんが、なんでわたしに『ビブリア古書堂』を薦めたのか。そっちの方が、思い出すと気になってきた。『ビブリア』は本屋さんでよく見かけたから存在は知ってはいたけど、なんとなく読む機会を逸したままだった。古書の話というから、なんか本が好きな人向けの作品なのかな、と思ってちょっと敷居が高く感じていた気がする。むかしドラマになったのも知ってるけど、そっちも見てはいない。

 表紙には綺麗なイラストで、本を読む髪の長い女性が描かれている。裏表紙のあらすじを見ると、古書にまつわる謎を解くミステリーらしい。よく知らないけど、読書会のときに七城さんが言っていた《日常の謎》ってやつだろうか?

 あらすじには鎌倉の文字もある。ああ、舞台は鎌倉なんだ。ゴールデンウィークに東京に行くとき、鎌倉に行くかどうかはわからないけど、イメージを掴むにはいいかもしれない。そんなことを考えながら、わたしは本のページを開いてみた。


 ――2時間後。

 わたしは読み終えた『ビブリア古書堂の事件手帖』を閉じて、ほーっと息を吐いた。

 何か、目の前のガラスの曇りがさっと拭われて、視界が急に見通しがよくなったような、そんな気分だった。何かがすとんと腑に落ちる感じ。もやもやしていた気持ちを、誰かに代わりに言葉にしてもらって、ああ、そう、それが言いたかったんだとそう気付くような――。

 ああ、そっか。そうだったんだ……。

 天井を見上げ、それからわたしはスマホを手に取って、七城さんにLINEを送る。


《すみません、まだ起きてますか?》

《なに?》

《どうして、わたしにビブリアを薦めたんですか?》


 しばしの間。


《読んだの?》

《読みました》

《早いわね。面白くなかった?》

《いえ、すごく面白かったです》


 そう送って、それから少し考えて私はメッセージを追加する。


《面白かったから、聞きたいんです。どうして、わたしにビブリアが合うと思ったんですか?》


 また、しばらくの間。


《あんたがビブリアのどこを気に入ったのかは知らないけど》


 七城さんは、続けて答えた。


《読書会のとき、あんたが何か言おうとして上手く言えないでいるのは見てればわかった。でも、それなのにあんたはあんまり退屈そうじゃなかった。読書会なんて、話に入れないと退屈な時間のはずなのに、私たちの話をあんたはわりと興味深そうに聞き続けてた。だから》


 そこで、少し間を置いて。


《あんたは、ビブリアの大輔と同じタイプじゃないかと思っただけ。違ってたら忘れて》


 ――それは、わたしにとって、ほとんど名探偵の謎解きみたいな言葉だった。

 まさに。まさに――今、わたしが『ビブリア古書堂の事件手帖』を読み終えて感じたこと、そのままだったから。


 『ビブリア古書堂の事件手帖』の主人公・五浦大輔は、本に興味はあるけれど、子供の頃のトラウマで本が読めないという難儀な体質の持ち主だ。『ビブリア』はそんな彼が、鎌倉の古書店「ビブリア古書堂」で、普段は極度の人見知りなのに本の話になると止まらなくなる店主の篠川栞子さんと出会うところから始まる。「ビブリア古書堂」で働くことになった大輔くんは、栞子さんとともに、古書にまつわる様々な謎を解き明かすことになる……。

 最後の話ではけっこう危なっかしいサスペンスもあって、古書にまつわるちょっとした謎解きがメインの物語ではあるんだろうけど、それよりもわたしには、栞子さんが楽しそうに語る古書の蘊蓄に、主人公の大輔くんと一緒に耳を傾けるのが、とても心地よかった。

 本が読めないけど、本の話を聞くのが好き――。最初はそんな人いるのかな、と思ったけど、栞子さんの語る古書の話を聞いていると、ああ、確かにこれは楽しいと思った。作中に登場する古書はどれも読んだことのない本なのに、栞子さんがそれについて語り出すと、知らない本が突然キラキラして見え始めるのだ。

 そして、その感じに、わたしは覚えがあった、


 ひなちゃんが、たくさんのぬいぐるみに囲まれて幸せそうにしているとき。

 文芸部の会誌《春楡》の、砧先生の序文を読んだとき。

 ひなちゃんが、『ぶたぶた』シリーズを買いそろえて目を輝かせていたとき。

 みつねちゃんとひなちゃんが、テレビの前で、札幌ドームで、楽しそうに日本ハムファイターズの選手たちに歓声を贈っていたとき。

 そして、読書会で、部長さんや七城さんや砧先生が熱心に語り合っているとき――。


 ――ああ、そうだ。栞子さんの話を聞くことが好きな大輔くんと一緒だ。

 わたしのよく知らない何かに、誰かが目を輝かせている瞬間。誰かが好きなものに、それが好きだという気持ちを向けているその時間。

 わたしは、それを見るのが好きなんだ――。


 好きなものがあって、好きなものに一生懸命で、真剣で、全力でそれを楽しんでいる。

 わたしには、今までそこまで一途に打ちこめるものも、夢中になれるものもなかった気がするから。羨ましいと思う。羨ましくて、眩しくて、たぶん、憧れてしまうのだ。

 何かを全力で好きな人に。何かを真剣に楽しんでいる人に。

 わたしも、そんな風になれたらいいなと、そう思うから。


 スマホを握って、わたしはぎゅっと一度目を瞑って。

 そうして、LINEの返信を送る。


《ビブリアの続きってありますか?》

《全巻あるけど》

《貸してもらっていいですか?》


 少し、間。


《そっちで取りに来るなら》

《ありがとうございます! 今から行きます!》


 そう送信したときにはもう、わたしはサンダルを突っかけて部屋を出ようとしていた。


 ――ああ、そっか。本を読む楽しさって、こういうことなのかな。

 今までわからなかった自分のことを、代わりに言葉にしてもらって知ること。

 それで、もやもやした気持ちがすーっと晴れて、なんだか違う自分になれたような。

 2時間で読み終わる、たった1冊の文庫本が、そんな気分を与えてくれるということ。

 それは、すごく素敵なことのように、わたしには思えた。

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