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ギルド受付嬢左遷物語  作者: 貴遊あきら
グラスベル編
16/40

12, 新たなる生活

野菜も買ったし、肉も購入した。あとは卵と牛乳と、朝食のパンを買わなければならない。サッカレー精肉店を後にしたエリシア・シュレイルは、大通りを歩きながら、脳内買い物リストを確認する。


「…あ、チーズも忘れずに買わないと」


トースト用のパンを薄切りにし、チーズを挟んで、バターを熱したフライパンで両面を焼く。狐色の焦げ目をつけて、カイル・レイランドの好物――チーズサンドの完成だ。

喫茶店などではこれに生のサラダが添えられるのだが、エリーは焼いた薄切りトマトを好んでいた。生より焼いたものを好むらしいカイルも、エリー特製のそれを気に入ったようだ。センティーレでも、朝食は毎日飽きもせずチーズサンドと決めていたらしいので、これからも同じメニューでいいだろう。


「トマトは買ったし…、あとは油、バターも買わないと」


暗黙の了解もあり、共同生活の料理担当はエリーとなった。支払う予定だった光熱費もいつの間にか有耶無耶になってしまい(折半が面倒だとの理由からカイルが支払うことになった)、それではあまりにも申し訳ないと家事全般も請け負うことにした。

正直に言えば、掃除以外はまともにしたことがないと言い切ったカイルに不安を覚えたから、という理由もある。ハイルエルフの有難い教育方針のおかげで、掃除だけでもきちんとできるのだから、貴族の中でも人間のそれよりマシだと思ったことは胸の奥にしまっておいた。


買い物を終えたら、どこかでお昼ご飯を食べよう。

まだ十時を少し過ぎたところだが、エリーは唐突にそう決めた。本日のエリーの予定は、生活用品を用意すること。それだけである。

部屋には備え付けの家具があり、掃除の結果不自由なく使用できるので、食料以外にはシーツやタオルなど、細々としたものを揃えるだけでいい。買い込んだ食料をいったん部屋に地下室においてから、また戻ってきたとして、それほど時間はかからない。どれを買うか迷ったりしなければ、昼には主だった買い物は終わるはずだ。

午後からは何をしようかな。そう考えるうちに、これからこの地で何をするかという長期的な思考に切り替わったのは、自然な流れだった。



大地(エルドラ)においてギルドの知名度が低い今、エリーは待機状態にある。ギルドが営業を開始しなければ受付業は行えず、それまでは雑務をこなすくらいだろう。支部の代表者であるカイルと違って、これから何をすべきか考えなければならない。


センティーレの生活と違うのは、受け身ではいられないことだ。受付窓口に座っていたところで、客は来ない。漠然とではあるが、少しでもギルドの知名度を上げることが今後の自分のやるべきことだろうとは分かっていた。ただ、具体的に何をすればいいのか思いつかない。ゼロから1を生み出すことは、想像の上でも決して容易いことではない。


今後の方針は、王との謁見を終えた部長が決めるだろう。まだ明らかにされていない、この大陸(エルドラ)の王が求めるギルドの在り方。エリーとカイルのするべき第一のことは、その追求だ。


天空(シエロ)において、ギルドとは行政機関に等しい。王は民にとって遠く、いわば象徴としての存在に過ぎず、大陸全体の運営はギルドが中心となって行っている。

首都と辺境、また辺境同士の情報通信・物の流通や、魔物の討伐を始めとする防衛に関しても、王ではなく民主導の構造が出来上がっていた。


エリーが推測するに、そんな天空(シエロ)のシステムと、ここ大地(エルドラ)のそれとは大きく違う。王への謁見――天空(シエロ)ではまず、先触れもなく行えるものではもちろんないし、そもそも王に拝謁することは不可能に近い。違う世界の御人なのだ。


カイル曰く、ギルドを仲介して渡された王からの手紙に、「到着次第、時間のある時に城に来ること」という旨の内容がつづられていたらしい。つまり、暇な時にいつでもどうぞということだ。

なんて適当さだろう、と不敬ながらそんな感想を抱いたエリーに、カイルもまた苦笑を禁じ得ずにはいられないようだった。


はたして部長は本当に王に謁見できたのか。ちらと気になったが、今考えて答えが出る訳でもない。


「買い物しよう、うん」


ともかく今は、買い物リストを消化していけばいい。











リストの食品を買い終え、両手いっぱい抱えた荷物によろめきながら、支部の地下室に戻ってきたのはそれから一時間ほど後のことであった。まだカイルは帰っていないらしく、確認のために二階に上がったが、やはりその姿は見当たらない。


二階の居住空間は大まかに三つの部屋に別れている。

一番大きな部屋は、階下から上がってすぐのリビングルームだ。中央に四人掛けの木製テーブルと、やや日に焼けてしまったソファが備え付けてある。奥は調理スペースとつながっていて、広々とした空間になっていた。

すぐに必要になるのは、食器類だろう。収納用の棚もないが、それは後になっても構わない。日よけのカーテンも欲しいが、それも後回しだ。


がらんとした部屋の中を見回して、エリーは大きな見落としがあったことに気づいた。


「あー…」


フライパンも鍋もない。と同時にまた足りないものが浮かんだ。調味料である。通りに調味料の店はあっただろうか。あったような、なかったような。――良くわからない。


とりあえず脳内リストに食器と調理道具、調味料を書き込んで、エリーは割り当てられた自室に向かう。

リビングルームには出入り口の他に二つの扉が付いていて、それぞれ別な部屋に続いている。各々にシャワー・トイレが備え付けてあり、たいへん使い勝手が良い仕様である。四角い煉瓦を敷き詰めた床はさほど傷ついておらず、ベッドと小さなテーブルと椅子、簡単な作りの棚が置いてあった。


夏の今、必要なのは枕とシーツと軽い上掛けだけだろう。あとのものは後日買い足せばいい。部長のものも買っておくべきか非常に迷うところだが、枕はさておき、シーツは誰が買っても同じに違いない。まとめて買っておこうと決めた。


あれをして、これをして、それをして。くるくると考えを巡らせながら、エリーは自身がこの状況を楽しんでいることに気づいた。

仕込まれたことではあるが、料理も好きだし、故郷の人たちはみんな家族――そんな環境で育ったため、世話をすることに慣れている。そうして長年大勢と暮らしてきたエリーには、センティーレの一人暮らしは何だか物足りなかった。

姪からの、どこか寂しい思いを感じさせる文面を見て、叔母が恋人でも作りなさいと助言してきたのは、エリーのそういった部分を知っていたからだろう。あの頃は、恋人どころか、友人さえまともに作ることができなかった。人恋しい癖に、慣れ親しんだコミュニティー外で友人や恋人を作ることに臆病だった。忙しさを理由にして何もしなかったのだ。立派なギルド構成員になる。その夢だけにかじりついて。


これからは、そういうわけにはいかない。エリーは自分に言い聞かせる。


一からギルドの基盤を作り上げるのだ。この街を知り、この大陸を知り、人々を知る。流されるのは構わない。だがそこで、何も得ず過ぎ去っていくのはもったいない。自分のやるべきことは、きっとそこに答えがあるはずだ。エリーはそう思った。








新たな買い物リストを作り終えて、エリーは再び外へ出た。調理道具と調味料を忘れていたために、初期の予定を大幅に変更しなければならない。

このあと早めの昼食を取るつもりだったが、先に店を探すべきだ。様々な店の並ぶ大通りを歩くのも骨が折れるだろう。そしてそのあと、持てる量を考えれば、最低二度の往復は免れない――。


エリーは思考を中断した。これ以上考えてもげんなりするだけだ。



すでに時刻はお昼時とあって、そこかしこの人気料理店の前には長い行列ができていた。この時刻になると、太陽も真上に昇り、地上には強い日差しが降り注いでいる。気温もじわりと汗をかくほどに上昇していた。客の目当てはどれも冷たさを売りにしたメニューのようだ。 “冷やしパスタ”の看板を掲げた店の前にも、やはり行列ができている。


汗をぬぐいながら列に並び続ける客たちを横目に、エリーは城下中央大通りへと歩を進めた。


ある程度予想していたことだが、生鮮食品の店のほとんどが「夕方まで閉店」の知らせを店先に掲げていた。センティーレでも、夏はこういった暑さ対策を取る店が多かったので、別段驚くことはない。目当ての店が探しやすくなったので、エリーの足取りは少し軽くなった。


調味料と調理道具。それらを取り扱う店を探して通りの両端へ交互に視線をやっていると、朝より疎らになった人々の中で、一人毛色の違う人物が目に留まった。


エリーの位置からは後ろ姿しか見えず、顔は確認できないが、体つきから見て女性だろう。短く切った髪は濃い灰色で、埋もれるように灰褐色の耳が生えている。

濃紺の制服を着込み、上着の下から、耳と同色のふさふさとした尻尾が伸び、左右に揺れていた。腰には剣を帯び、大通りから伸びる小路の一つ一つを覗き込んでは具に観察し、しばらくしてため息を吐いて、また次の小路を確認している。その歩みは手負いの獣のように時折ふらついている。


彼女の周囲はぽっかりと空間ができていて、行き交う人々は遠巻きに眺め、過ぎ去っていくだけだ。その理由を考える前に、エリーは彼女のもとへと足早に近づいていった。困っている人を放っておけない性分なのだ。

故郷で培った助け合いの精神はしっかりと彼女に根付いていて、そのせいで幾度か面倒に見舞われたが、その経験が次に生かされたことは一度もない。


「あの、そこの方、」


そう呼びかけ、肩に手を伸ばした瞬間、詰めた距離がなぜか伸びた。瞬時に振り返ると同時、女性が後方に跳躍したからだ。体勢を低くし、触れれば切れそうな鋭い気配を纏わせ、腰元の剣に手をかける。エリーの姿をその紫苑の瞳に映し、すっと目を細めた。


キャッとかギャッと、周囲で様々な悲鳴が上がったが、女性がじろりと睥睨するとみな黙り込んだ。


「何者だ」


剣はまだ腰にあったが、エリーは喉元に剣先を当てられているような凄まじい気配に呑まれ、動転した。何者だ、何者だ、と誰何の声が脳内にリピートする。


――きさまは何者だ!所属を告げろ!


現状が、かつて読んだ小説の一場面にすり替わった。



「センティーレギルド本部受付部門所属、エリシア・シュレイルであります!」



討伐ごっこで身についた敬礼をびしっと決めて、そう叫んでいた。












「いや、あの、申し訳なかった」


気の遠くなるような長い沈黙のあと、彼女はそう切り出した。女性の名は、シルビア・ヘイリースランというらしい。


大声で所属を告げ、我に返った後恥ずかしさに涙目になったエリーを見て、自身の反応の度が過ぎていたことに気づいたのだろう。好奇心旺盛な野次馬たちの視線から庇うように、エリーの腕を掴み、少し離れた喫茶店に飛び込んだ。

店員がぎょっとして近づいてきたが、一睨みをくれると顔を青ざめさせ、カウンターの向こうに逃亡した。ようやく店主らしき老年の男が応対し、二人は店の奥の席に案内された。


向かい合って腰かけたが、シルビアはむっつりと黙り込んだまま何も言わず、エリーはオレンジジュースをちびちびと飲んで時間をつぶしていた。店主が店員の不味い応対のお詫びとして差し出したものだ。


ようやくシルビアが話を始め、エリーは心の底からホッとし、へらっと気の抜けた笑みを浮かべる。


「そういえば、体調のほうはもう大丈夫ですか?」

「あ、あぁ。少し暑さに弱いだけだ。問題ない」


彼女曰く、狼の獣人(ティール)は総じて暑さに弱いらしい。大体この時期は日陰でじっとしているのが常らしいが、緊急事態が発生し、対処に当たっていたと説明した。


「緊急事態、ですか」

「ああ。詳細情報の開示は禁じられているが、君には世話になったからな」

「え、いえ、私は何も…」


声をかけて、名を訊かれ、恥ずかしい名乗りを返しただけだ。

思い出して頬を赤らめたエリーを、シルビアは微笑ましげに見つめる。口角がほんの僅か上がっただけで、はた目には怖いほどの無表情であったが。


「いや、君のようなか弱い乙女が、私のような者に声をかける。それだけでどれだけの勇気を要したか。想像に難くない。そう言った気遣いができる若者が、こうして目の前にいる。その事実が私のささくれ立った心を癒すのだ」

「は、はあ」


なんだかよく分からないが、知らないところで役に立っていたようだ。呆けたような返事をしたエリーに、シルビアは少し顔を俯かせ、語り出す。


「端的に言えば、私は恐怖の対象らしいが、問題はない。幼いころより剣の道に生きてきた。厳格な父の下で修業に励み、暇を見つけては魔物を狩り。ついたあだ名は鮮血のシルビア。12歳。秋のことだ」


12歳にして二つ名。凄まじいなとエリーは思う。

思い出す限り、エリーが討伐ごっこからの卒業を従兄たちに許されたのはそれくらいの頃だった。名乗りを上げて従兄たちの後ろをのたのたと走るだけの遊戯だったが、夕方にはへとへとになり、家の床に芋虫のように転がっていた。――なんだろう、この差は。


「すまない。つい昔のことを。…そうだ、君は確か、エリシアと言ったな。歳はいくつだ」

「いくつって…あ、いえ、21です」

「なんと。私と一つしか違わないのか。てっきり、…いや、主観で物を言って、良いことなど一つもなかった。ここは黙ろう」


そう言われると余計気になるのだが、おそらく悪気はないのだろう。エリーはにっこりと笑って流しておいた。馬鹿正直に尋ねても、たぶん無駄に落ち込む羽目になるだけだ。

話を変えるためにシルビアの年齢を尋ねると、22歳と返答があった。21の自分を基準にすれば、信じられないほどに大人びて見える。硬い口調と整った無表情、すらりと高い身長に、凛とした佇まい。出会ったことのないタイプだ。


不躾ながらまじまじと観察するエリーの視線に静かに微笑んで、シルビアはオレンジジュースで喉を潤す。

二人の額に浮いた汗は、すっかり引いていた。


「そういえば、エリシアは買い物の途中だったな。すまない、ずいぶんと引きとめてしまったようだ」


ずいぶん、とは言っても、まだ30分も経っていない。


「何か私にできることがあれば言ってくれ。詫びをしたい」

「えっ、いえ、お詫びだなんてそんな。気にしないでくださいよ」


社交辞令の一種だととらえ、エリーが軽くそう返したとたん、シルビアは愕然としたあと、「それでは私の気が済まない…!」と凄んできた。

ひぇえ、と内心叫びながら、エリーは必死に頭を働かせる。何か頼みごと、何か頼みごと…何か頼みごと…。そんな風に十回ほど繰り返して、閃くものがあった。安堵の息を吐き、躊躇いがちにそのお願いを口にする。


「なんだ、そんなことでいいのか?」


シルビアは怪訝そうな顔をしたが、エリーがコクコクと頷いてやると、嬉しそうに目を細めた。


「任せておけ。シルビア・ヘイリースランの名に懸けて、任務は必ず達成する」


仰々しい宣言をされ、エリーの心にほんの少し後悔の念が湧いた。


説明回でした。新キャラシルビア・ヘイリースラン。心の中ではシルヴィと呼んでいます(どうでもいい)


読了ありがとうございました!

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