07, 新たなる出会い
大地首都――グラスベル。襲われていた馬車は、そこへ向かう途中だったという。出発地は、エリーたち三人が泊った場所より規模の小さい隊商宿だったようだ。
グラスベルから運んできた商品を卸したあと、再び首都に戻る際、運悪く襲われてしまったと“貸し蜥蜴”店主と同じ年恰好の男――シャルークは語った。それとは別の――華奢な体躯の青年は、シャルークの経営する商会の従業員で、名をソムドと言うらしい。
どちらも暗い茶の髪に、前者は濃紺、後者は灰色の目をしていた。
殲滅が終了すると、彼らはいそいそと客車に近づいてきて、窓を閉めようとしたカイルと、やれやれと肩を回すアルメダに丁寧に礼を言った。エスペロが徐に御者台から姿を現すと、こちらにもまた懇ろに礼を言う。
客車の奥にエリーを見つければほんの少し目を丸め、皺だらけの顔をくしゃりと歪めて、「怖い思いをさせたねぇ」と申し訳なさそうに声をかけた。
どちらも武器が使えないと言うわけではなさそうだが、熟れているとは言い難く、涙目で礼を言う彼らに、エスペロは苦言を呈した。
「こう言っちゃあなんだが、護衛の一人や二人、雇う余裕はなかったのか? あんたら二人でここを渡るほど、青海は甘くないぜ」
もっともな意見に、シャルークは頷きながら、ちらと馬車の方を窺った。
「いや、護衛はちゃんと用意したんだよ。ただね、途中で賃金について揉めてしまって」
「オヤジさんは悪くないっスよ! あいつらが…!」
ソムドは悔しげに顔を歪める。エスペロは苦々しい面持ちとなって、シャルークの肩を慰めるように叩いた。
「運が悪かったな。たまにそういう輩がいるんだ」
「本当に、ルシアがいなければどうなっていたことか」
重々しいため息をついたシャルークに、それまで静観していたカイルが眉を上げた。
「ルシア、とは?まだ誰かいるのですか?」
「ルシアさんは凄い人っス!あいつらをバーンってして、ドーンって」
抽象的すぎる説明だが、なんとなく言いたいことはその場にいる全員に伝わったようだ。
エリーはその脳裏に、悪い子にはおしおきよ、とウィンクする美人魔力使いを思い描いた。
「そのせいでちょっと、動けなくてね。それで、もしやと思ってお訊ねするが、そちらの御嬢さんは、治療の心得があったりしないだろうか」
おずおずと指名されたのはエリーだ。突然声がかかって驚いたが、簡単な手当てならギルドの講習を受け、何度か経験したこともある。
曖昧に頷いたとたん、シャルークの憂い顔が輝いた。
「そうか、それはよかった。すまないが、少しだけでいいんだ、見てやってもらえないかな」
にっこりと微笑まれて、エリーも自然と笑みを浮かべた。カイルを伺い見ると、苦笑交じりの頷きが返ってくる。
「わ、私でお役にたてるなら、頑張ってみます」
快い返事に、シャルークとソムドは嬉しそうに破顔した。
常備薬はありますかと尋ねると、シャルークは怪訝そうな顔をして首を横に振った。客車の方へ踵を返したエリーに、カイルは「私が取りに行きましょう」と言って、先に馬車に向かうよう指示する。
その手のことは門外漢だと言って、アルメダも彼に同行した。エスペロは御者台に戻り、やや興奮気味の蜥蜴を宥めにかかる。
エリーはカイルに黙礼して、シャルークの案内に従った。
「それにしても、このような所で治療師の方に会えるとは、我々は本当に幸運だ」
「ち、治療師、と言われるほどの技術はないですが…」
治療師ってなんだろう。医者と同義語と考えていいのだろうか。
「いやいや、好きなように見てやってくれればいいんだよ」
「はあ」
ちらとソムドを見やったが、ただただエリーに尊敬のまなざしを向けるだけで当てにならなさそうだ。動けないほどの怪我だというのに、呑気な人たちだな、とエリーは半眼する。
馬車の入口にエリーを案内し、シャルークは「どうぞ」と中に入るよう促した。どうやら二人はついてくる気がないらしい。ソムドは馬と戯れ、シャルークはエリーの後ろでニコニコと微笑むばかりだ。
全幅の信頼とはこういうものだろうかと、エリーは不安を覚える。自分は医者じゃないと言おうか。ほんの少し、手当の心得があるだけで、酷い怪我なら手に負えないと謝るべきか……。
そんな風に逡巡していると、入口の扉が内側から開いた。僅かに開いた隙間から、誰かがこちらを覗いている。警戒心も露わに、釣り目がちな赤茶の目で辺りを睥睨したあと、エリーのすぐ後ろにシャルークの姿を認め、不機嫌そうな声色で尋ねた。アルトに近い男の声だ。
「じいちゃん、これ誰?」
「エリーさんと言ってね、治療師さんだよ。でもその様子じゃあ、動けるようになったのかい」
「まーね。っていうか、治療師ってマジ?」
「違うのかい?」
「微妙」
頭上で交わされる意味深な会話は、どうやら自分のことを話題にしているらしい。そう気づいたものの、質問するよりも先にこの場から逃げ出したいとエリーは切実に思う。“ルシアさん”は男の人。それも一番苦手な部類の若い男の人だ。まあ、ともかく動けるということは、大した怪我はなかったと判断してよいだろう。その点だけは、ホッとした。
「とにかく、一度出てこないかい。あのあとまた魔物に襲われてね。エリーさんのお仲間の方に助けていただいたんだよ」
「は? なんだよ、起せばいいのに。ったく、めんどくせーの」
舌打ちされて、エリーは身を竦める。生存していてすみません、という気さえした。鬱々とした雰囲気で俯き、シャルークの隣まで後退する。
若い男は扉の内側から出てくると、ちらとエリーに視線をやって、窺うようにシャルークを見やる。シャルークに訳知り顔で頷かれ、盛大なため息をつく。
「あー、どうも。おれ、ルシアーノ・ケイト。じいちゃんを助けてくれたんだって? どうもね」
視界に彼のブーツの先が見えて、エリーはハッと我に返って顔を上げた。無理やり受付モード――受付窓口とは一種聖域であり、苦手な相手にも愛想よく応対できるのだ――に切り替えて、「いらっしゃいませ」と言わんばかりにはにかんで見せる。
――が、ルシアーノの姿を目にして、一瞬動きが止まった。
ふわふわの深緑の猫っ毛の上で、ぴくぴくと何かが動いた。一対の茶色のそれは、まるで猫の耳だ。そろり、と腰元に視線を下すと、緩く弧を描いた同色の尻尾が見えた。
「――獣人の方ですか」
大地には獣人と呼ばれる、獣のような耳と尻尾を持つ種族がいるらしいと、話には聞いていた。まさか、こんなところで会えるとは想像もしていなかったけれども。
「…そうだけど、なに」
「あ、いえ、初めてお会いしたので、少し驚いてしまって。気に障ったならすみません」
ルシアーノが一瞬びくっと肩を震わせたのを見たが、特に気にせずエリーは素直に謝罪した。
ルシアーノは目を軽く見開いて、どこか意外そうな面持ちでエリーを見下ろしている。
「? 何か?」
内心、なんで無言なの…! と動揺も甚だしいが、受付モードはそれらを超越し、平静を装うことができる。
受付嬢然として小首を傾げるエリーに、ルシアーノは戸惑ったように頬のあたりを指で掻いた。
「別に、なんでもない。……あんた、名前は?」
「あ、すみません。申し遅れました。エリシア・シュレイルと申します」
「愛称がエリー?」
「え、あ、はい。そうです。みなさん大体エリーと」
「エリーは、猫が嫌い?」
「は?」
「ほら、おれ、猫じゃん?」
「そ、そのようですね」
「でもあんた、きゃーとか言って抱き着かないし」
「しょ、初対面でそんなことしませんよ」
「みんなするけど」
みんなって、誰のことだ。エリーは口元が引きつるのを感じた。
別に、猫がどうというわけではない。道端で猫が日向ぼっこをしているのを見て、可愛いなとは思う。だが、目の前の青年は猫じゃない。猫の一部を兼ね備えた若い男だ。
「エリーは犬派?」
「い、いえ、どちらかと言えば蜥蜴の方が」
「蜥蜴? 蜥蜴の獣人はいないけど」
そうなのだ。蜥蜴の獣人はいない。存在すれば、おそらくルシアーノの想像通り、初対面で抱き着いていたかもしれない。
世の中って不公平だ。エリーは至極残念そうな面持ちとなった。
「エリーって、変わってる」
どこか感心した風に言われて、エリーはなんとなく落ち込んだ。
どうしてみんな、蜥蜴の可愛さが分からないのだろう。
ふと思い出すのは、センティーレの自室に度々現れた小さな蜥蜴たちのことだ。常連の子たちには名前を付けて、手作りお菓子で餌付けをしていた。なんだか寂しい。やっぱり連れてくればよかった。
俯く理由を勘違いしたのか、シャルークが優しく言葉をかける。
「毎度毎度抱き着かれて、ルシアは辟易していたんだよ。だからエリーさんの反応が、私も含め、なんだか新鮮でね。まぁ、このとおり整った顔立ちの子だから、耳やしっぽをダシにする子もいたんだ」
そう言われて、ああなるほど、美形ってたいへんだな、とエリーは納得した。背格好もすらりとして高いし、さぞかしモテるのだろう。共感できる事柄ではないので、曖昧に数回頷いておく。
「ま、おれだって黙って抱き着かれてたわけじゃないから、お互い様だけど」
にやりと不敵な笑みを浮かべ、ルシアーノは言った。シャルークがぴしゃりと叱りつける。
嫌だったら黙っていないで引き剥がすなり何なりするだろうに、どうして怒るのだろうとエリーは不思議に思う。
若い娘さんの前で云々、とシャルークはまだ小言を続けていた。
肌のハリから判断して、おそらくルシアーノのほうが若いに違いないと変な確信を抱いた。
「あっ、ルシアさん、戻られたんっスね」
馬との戯れは終わったらしい。賑やかな会話を聞きつけたのだろうか、ソムドはルシアーノの姿を認めると、安堵のため息をついた。
「なんだよ、ソムド。起せって言ったじゃん、おれ」
「馬鹿言わないでくださいよ。そんなことできる訳ないっス。エリーさん、やっぱり治療師だったんっスか?」
「ん、いや、その前に戻った。エリーはちょっと、違うかんじ」
また意味深な会話だ。今度こそ勇気を出して尋ねてみるべきだろう。エリーは思い切って発言した。
「あ、あの、すみません。治療師っていうのは、」
「エリーって、どこから来たの?」
ルシアーノはソムドとシャルークに視線を配った後、阻むようにそう訊いた。
「し、天空ですけど…」
その答えに、ルシアーノは目を眇め、ソムドとシャルークは軽く目を瞠る。
「ふーん。……どういうことか、おれにはちょっと手に余るかも。――ま、もし気になるんだったら、グラスベルに本部があるからさ、行ってみれば?」
「本部、ですか」
「そ、治療師協会本部。いちおう大地の機関だし、あんまりべらべら喋るのもね」
そう断られてしまったら、強く出ることはできなかった。
「わかりました。教えて下さってありがとうございます。訪ねてみますね」
「うん、そうしなよ」
「悪いね、エリーさん。ルシアがこう言うんじゃ、私達が話すのは筋違いだ」
「いえ、いいんです。ルシアーノさんのおっしゃることはもっともですし。グラスベルには、初めから行く予定なので」
エリーの微笑みに、シャルークはホッとしたようだ。
「そうか。それはよかった。では機会があったら、レットルート商会にもぜひ。色々と手広く扱っているから、きっと何かお役に立てるだろう」
大地になんの伝手もないエリーにとっては、とてもありがたい申し出だ。礼を言って、ぜひ立ち寄らせていただきますと返すと、シャルークは満足げに頷いた。
「何かあったら、たいてい俺が店番してますんで。気軽に声、かけてくださいっス」
へらりと笑ってソムドは愛想の良い笑みを浮かべる。その鳩尾に、ルシアーノは強かな肘鉄を食らわせた。涙目のソムドが、何をするんだと言わんばかりに睨みつける。
「いや、なんかムカついたから」
エリーは思った。今時の若者って、ちょっと怖い。
ねこみみ! と一番はしゃいだのはきっと私でしょう。
私は蜥蜴より猫派です(キリッ
いつも同じですみません。開き直っていうことでもないんですが、好きなんです、猫耳。
いかついおやじにでも似合うのって、なんでしょう。ウサ耳だとドン引きですか。タイツを履かせるわけじゃないので、別にいいんですかね…?(何考えてるんだ…
小さい耳がいいのかなあ…




