第七幕 第九話:特異点のトラウマと、団長への信頼
応接室での会談から数時間後。
ゲリラ軍の三人は、一時的な滞在を許可され、エインヘリアルの客室へと案内されていた。
しかし、首領であるジャンヌは居ても立っても居られず、一人客室を抜け出して艦の下層——広大な格納庫へと足を運んでいた。
彼女の目的はただ一つ。先ほどの戦場で圧倒的な力を見せつけた真紅の悪魔のパイロット、ローゼリアに直談判を行うことだった。
「——ローゼリア殿! 少しよろしいでしょうか!」
格納庫の片隅で、整備アームに固定された愛機『ルシフェル・リベリオン』を見上げながら、スポーツドリンクを飲んでいたローゼリアのもとにジャンヌが駆け寄る。
ローゼリアは振り返り、ジャンヌの切羽詰まった表情を見て、小さく息を吐いた。
「ジャンヌか。……妾に、ブリュンヒルデを説得してくれと頼みに来たんじゃろ?」
「っ……はい。あなたなら、ブリュンヒルデ艦長の決断を覆せるのではないかと思って……!」
ジャンヌは両手を固く握り締め、すがるような視線を向けた。
「あの企業軍を追い出さなければ、私たちの家族や仲間はみな殺されてしまいます! あなたたちほどの力があれば、すぐにでも終わる戦いなんです! どうか……!」
悲痛な叫びを上げるジャンヌ。
ローゼリアは、普段の戦闘狂としての不敵な笑みを消し、静かに、そして真剣な眼差しで彼女を見つめ返した。
「……気持ちは痛いほど分かる。妾としても、あの企業軍の最新兵器とやらは全部叩き斬ってやりたいと思っておる。だがな、ジャンヌ」
ローゼリアは飲みかけのボトルをコンソールに置き、腕を組んだ。
「ブリュンヒルデの言う通り、現段階では判断するための根拠が足りなすぎるんじゃ。考えなしに依頼を受けては、エインヘリアルという組織全体に致命的なリスクが伴う。……だから、妾はブリュンヒルデの判断を最優先すると決めておる」
「リスク……。最強の特異点であるあなたが、企業軍の戦力を恐れているのですか?」
ジャンヌが信じられないというように目を見開く。
「戦力など恐れてはおらん。妾が恐れているのは……『政治』と『書類仕事』じゃ」
ローゼリアは、どこか遠い目をして、ブルッと身震いした。
「……以前な。ブリュンヒルデが珍しく一週間の長期休暇を取った時、妾に無理やり『艦長代理』を押し付けていったことがあったんじゃ」
「艦長代理、ですか?」
「うむ。幸い戦闘依頼はなかったんじゃが……その一週間で、妾は組織を運営するということの地獄を味わったんじゃよ」
ローゼリアの顔に、明確なトラウマの影が落ちる。
「毎日届けられる山のような『決裁文書』。ハンコ一つ押すことの恐ろしいほどの重み。各部署からひっきりなしに飛んでくる『苦情処理』。それに加えて、フィーネたちからの『あれを買ってくれ、予算を増やしてくれ』という要望。……上に立つ者として、ただ要望を聞けば良いというものではない。その一つ一つの決断が、艦の運命や資金繰りを左右すると思い知ったんじゃ」
「そ、それは……」
「結果としてどうなったと思う? 妾は決裁の重圧のあまり完全にハンコが押せなくなり、未処理の書類が天井まで届くほどに積み上がってしまった。そのプレッシャーのあまり……妾は完全にキャラが崩壊したんじゃ」
その時の地獄のような日々を思い出したのか、ローゼリアはガクガクと震えながら両手で顔を覆った。
「『もう嫌ぁぁッ! サインしたくないよぉ! 決裁なんてわかんないよぉ! 誰か助けてぇぇッ!』と、特異点の威厳もへったくれもなく、ボロボロ泣きながら艦長室の机の下で体育座りをして震える、ただの小娘になり下がってな……。結局、見かねたフィーネやアルティナ、レガリアたちの助け(という名の監視)を得て、鼻水をすすりながら徹夜で決裁処理をさせられる羽目になったんじゃ」
「…………」
ジャンヌは、銀河最強の傭兵のあまりに痛々しいキャラ崩壊のエピソードに、思わずドン引き半分、同情半分の声を漏らした。
「……そして一週間後。こんがり日焼けして上機嫌でバカンスから帰ってきたブリュンヒルデの姿を見た瞬間、妾は安心感のあまり彼女の足にすがりついて『もう二度と艦長代理なんてやらないよぉぉ!』と大号泣してな。……ブリュンヒルデからは心底ドン引きされたわい」
「た、大変だったんですね……」
「……コホン」
ローゼリアは小さく咳払いをして、居住まいを正した。
「つまりじゃ。妾は剣を振るうことと、敵を殲滅することしかできん。この白銀の城を維持し、仲間たちが明日も笑って暮らせるようにするための『現実的な判断』は、団長であるブリュンヒルデにしかできんのじゃよ」
ローゼリアの言葉には、部隊長に対する絶対的な信頼が込められていた。
組織の長として、仲間を危険から守るために嫌われ役を買って出るブリュンヒルデの苦労を、ローゼリアは過去の絶望的なトラウマ(キャラ崩壊)から痛いほど思い知っているのだ。
「ジャンヌ。お主もゲリラの『首領』なら分かるじゃろう? 勢いだけで仲間を死地へは連れて行けん。我らも同じじゃ」
その言葉に、ジャンヌはハッとして俯いた。
自分は故郷を取り戻したいあまり、エインヘリアルという組織の立場やリスクを全く考慮せず、ただ力を貸してほしいと縋り付いていただけだった。首領としての責任を放棄し、奇跡にすがっていただけだと気づいたのだ。
「……申し訳ありませんでした。あなたの言う通りです」
ジャンヌは深く頭を下げた。
「よい。だが、悲観することはないぞ」
ローゼリアがニッと笑い、ジャンヌの肩をポンと叩いた。
「ブリュンヒルデは『保留』と言った。あれは決して『見捨てる』という意味ではない。シエラやアルティナを使って、ゼニス・コーポレーションの裏の顔を徹底的に洗い出しているはずじゃ。……企業側に非があるという証拠さえ揃えば、あいつは必ずGOサインを出す」
「本当ですか……?」
「ああ。そうなれば、妾のルシフェルとリアンヌのブランが、真っ先にお主たちの盾となり、剣となってやろう。それまでは、お主たちも自分たちの正当性を証明できる証拠を集めておくことじゃな」
ローゼリアの力強い励ましに、ジャンヌの瞳に再び希望の光が灯る。
「はい……! ありがとうございます、ローゼリア殿!」
ジャンヌが深く一礼して格納庫を去っていくのを、ローゼリアは満足げに見送った。
「(……ふぅ。これでよし。それにしても、あの一件(艦長代理)を思い出すだけで胃がキリキリするわい。やはり妾には、最前線で暴れ回る脳筋ポジションが一番じゃな)」
ローゼリアが小さく安堵のため息をついた、ちょうどその時。
『——警告。ゼニス・コーポレーションより、本艦に向けた公式通信を受信しました。連邦政府の法務局を経由した、正式な「警告文」です』
艦内放送から、アルティナの冷ややかな声が響き渡った。
「……ほう。ネズミどもが、小賢しい手を打ってきたようじゃな」
ローゼリアは真紅の瞳を細め、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
事態は、特異点の予想通り——法と証拠の探り合いへと突入しようとしていた。




