第一話:宇宙の底に捨てられた落ちこぼれ皇女
冷たく磨き上げられた大理石の床に、地面に着くほど長い、ふわふわの金髪が広がっていた。
「——第二皇女ローゼリア。貴様のような『出来損ない』は、もはや我がエーベルヴァイン帝国の皇族には相応しくない。よって本日この時をもって皇籍を剥奪し、辺境宙域への『永久追放』を言い渡す!」
玉座の間において、威圧的な怒声を響かせたのは、筋骨隆々とした巨躯を軍服に包んだ第一皇子、セドリック・エーベルヴァインだった。
彼の背後には、かつて一代で周辺惑星の三分の一を武力で平定した伝説の征服者である父、皇帝アンブロシウスが、深い皺の刻まれた顔で気怠げに玉座に腰掛けている。その傍らには、腹違いの姉である第一皇女フェイトが、まるで路傍の石でも見るかのような無関心な瞳でこちらを見下ろしていた。
エーベルヴァイン帝国——。
宇宙の覇権を争うこの巨大な軍事国家において、絶対の正義とは「物理的な力」である。
主力兵器である人型機動兵器『マギアナイト』を操縦するためには、強靭な肉体と、それに耐えうる絶対的なパワーが必要不可欠だと信じられている。軍事至上主義にして、筋肉至上主義。それがこの国の根幹だった。
そんな環境下において、第二皇女であるローゼリアの存在は、まさに異端中の異端であった。
透き通るような白い肌に、宝石のように輝く赤い瞳。見目麗しい絶世の美少女として生まれた彼女だったが、その身体能力は絶望的なまでに低かった。少し走れば息切れで倒れ、重いものなど一切持てず、何もない平坦な床でよく転ぶ。帝国の基準からすれば「ゴミ」以下の虚弱体質である。
(うわぁ……めっちゃ見下してくるじゃん、この筋肉ダルマのゴリラ兄上。てか俺、なんも悪いことしてないんですけど!?)
ローゼリアは、冷たい床に膝をつきながら、内心で盛大に毒づいていた。
そう、彼女の「中身」は、ごく普通の成人男性である。
ある日突然、この見知らぬ宇宙国家の美少女皇女としてTS転生(転移)を果たしてしまったのだ。最初は見知らぬ天井にパニックになったものの、鏡に映る自分の姿がドストライクな絶世の美少女であったこと、そして何より「合法的に女の子同士のキャッキャウフフなスキンシップ(お風呂含む)が堪能できるのでは!?」という、前世の男としての本能に突き動かされ、彼女はこの世界を強く生きていく決意を固めていた。
だが、現実は甘くなかった。
筋肉と武力がすべての帝国において、虚弱なローゼリアは「皇族の面汚し」として常に冷遇されてきたのだ。
「ふん、妾を出来損ない呼ばわりとは。己の無知を晒すようなものじゃぞ、兄上」
ローゼリアは、床からゆっくりと立ち上がり、尊大な態度で言い放った。
前世の記憶を持つ彼女は、舐められないために、そして何より「この圧倒的な美貌には、数百年生きた大魔女のような尊大で古風な口調が似合うはず!」という、若干の厨二心を拗らせた結果、このような強気なキャラクターを演じていた。
「なんだと……!? 貴様、魔力だけが取り柄の分際で、この次期皇帝たる私に口答えするか!」
「事実を述べたまでじゃ。帝国の繁栄が、誰の力で維持されているのか……その程度のことも理解できぬとは、嘆かわしいのう」
ローゼリアの赤い瞳が、冷たくセドリックを射抜く。
実際、彼女の身体能力は皆無だが、内に秘めた『魔力量』は常人の数百倍という規格外のシロモノだった。
帝国は彼女の特異性に気づいてはいたが、それを「マギアナイトの操縦センス」には結びつけず、ただ帝都の絶対防衛システムや主力艦隊を維持するための『巨大な魔力バッテリー』としてのみ利用してきたのだ。地下深くの施設に幽閉され、毎日毎日、ただ防衛システムに魔力を注ぎ込むだけの道具としての扱い。
だが、最近になって帝国は新たな高出力魔力炉の開発に成功した。
「もはや、貴様のような気味の悪い魔力タンクに頼らずとも、我が帝国の防衛網は盤石だ。皇帝たる父上も、貴様の処分には同意しておられる」
セドリックが勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
ローゼリアは玉座を見上げた。
かつて無敵を誇った老皇帝アンブロシウスは、ただ目を伏せているだけだった。彼の時代は「物理的な武力」で宇宙を制した時代だ。次世代の力である魔力や、ローゼリアの真の価値を見抜く判断力は、老いとともにとうの昔に失われていた。
「フェイト姉上も、それで良いのかえ?」
ローゼリアが視線を向けると、冷徹な第一皇女は氷のような声で淡々と答えた。
「合理的な判断です。新型炉の稼働により、あなたの存在価値は帝国においてゼロパーセントになりました。維持費と皇族としての体面を考慮すれば、排除が最も効率的です」
「……ふん。ならば好きにするが良い。いつか、妾という最強の盾を失ったことを、血の涙を流して後悔するが良いわ」
(いやいやいや!! めっちゃ強がって言っちゃったけど、これ本当にヤバいやつじゃん! 永久追放ってどこに!? てか俺、女の子といちゃいちゃする夢まだ一つも叶えてないんですけど!?)
内心の絶叫も虚しく、屈強な近衛兵たちによってローゼリアの華奢な腕が乱暴に掴まれた。
数時間後。
ローゼリアは、最低限の生命維持装置だけが積まれた、棺桶のように狭い旧式の救命艇に押し込まれていた。
窓の向こうには、冷たく無機質な宇宙ステーションの射出カタパルトが見える。
「さらばだ、出来損ない。宇宙の塵となって、己の無力さを呪いながら死んでいくがいい」
通信機から、セドリックの嘲笑う声が響く。
「兄上、最後に一つだけ言っておくぞ」
ローゼリアは、通信機越しに尊大な態度を崩さずに言い放った。
「妾がいなくなった後の帝都の防衛システム……せいぜい、泣きを見ぬようにな。貴様らの用意した程度の魔力炉で、妾の代わりが務まると思うなよ」
直後、強烈なG(重力加速度)がローゼリアの虚弱な身体を襲い、救命艇は漆黒の宇宙空間へと無慈悲に射出された。
「ぐっ……!!」
窓の外で、帝国の巨大なステーションがどんどん小さくなっていく。
これが、セドリックの言う『永久追放』の正体だった。
居住可能な惑星に降ろされるわけでもなく、座標も入力されていない救命艇で、ただ宇宙の海を彷徨うだけの事実上の『処刑』。
「……ふぅ。行きおったわ」
ローゼリアは、狭いシートに身を預け、長い金髪を弄りながらため息をついた。
(——って、アカンアカンアカン!! これガチで死ぬやつやん!!)
表向きの尊大な態度を脱ぎ捨て、ローゼリアの内心の「男(俺)」が悲鳴を上げる。
救命艇の中を確認するが、積まれているのはせいぜい数日分の水と、チューブに入った味気ない栄養ペーストのみ。通信機は帝国の回線が切断されており、外部へのSOSを発信することもできないよう細工されていた。
「嘘でしょ……俺の人生、ここで終わり? せっかく絶世の美少女に転生したのに? 美少女の特権を使って、可愛い女の子たちとのお風呂とか、着替えとか、あんなことやこんなことの眼福ライフを満喫するはずだったのに……!」
誰もいないポッドの中で、彼女は頭を抱えてジタバタと暴れた。
しかし、そんなことをしても虚弱な身体が疲れるだけで、状況は何も好転しない。
そこから、地獄のような漂流生活が始まった。
**【漂流1日目】**
「ふん、妾をこんな鉄屑に閉じ込めるとは……帝国の奴ら、絶対に許さんぞ」
まだ気力もあり、ポッド内の計器を弄ってなんとか通信を復旧できないかと試みる。しかし、操縦センスはピカイチでも、メカニックの知識がない彼女にはどうすることもできなかった。
**【漂流5日目】**
「…………水が、ぬるい」
チューブのペーストを齧りながら、虚空を見つめる。
窓の外には、ただ無数の星々が冷たく瞬いているだけだ。動くものなど何一つない。圧倒的な孤独が、少しずつ精神を蝕み始めていた。
**【漂流10日目】**
「あー……お腹空いた……。ラーメン食べたい。焼肉食べたい。いや、せめて温かいスープが……」
尊大な「妾」のキャラ付けは完全に崩壊し、素の「俺」が漏れ出していた。
水と食料の備蓄が底を突きかけている。美しい金髪も、洗うことができず少しずつ艶を失い始めていた。
**【漂流12日目】**
水が、一滴残らず尽きた。
喉の渇きが限界に達し、声もかすれて出ない。
虚弱な肉体はすでに限界を超え、シートから身体を起こすことすらままならなかった。
(ああ……マジで死ぬんだな、俺……)
薄れゆく意識の中で、前世の記憶と今世の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
帝国での冷遇。暗く冷たい地下施設で、ただ魔力を吸い取られるだけの日々。
セドリックの嘲笑。フェイトの冷たい目。アンブロシウスの無関心。
血は繋がっていても、あの国には誰一人として『家族』と呼べる存在はいなかった。
(もし……もし次に生まれ変わるなら……)
ローゼリアは、乾ききった唇を微かに動かした。
(俺を、一人の人間として見てくれる……温かい家族が、欲しいな……。あと、できればめっちゃ可愛い女の子がいっぱいいるところで……)
そんな、死に際になってもブレない前世の煩悩を抱きながら、彼女は静かに瞳を閉じようとした。
——その時だった。
『……生体……反応……座標……』
『……艦長! 未確認の救命艇を……』
ノイズ混じりの通信機から、微かに人の声が聞こえたような気がした。
幻聴だろうか。
重い瞼を必死にこじ開け、窓の外へと視線を向ける。
そこにあったのは、星々の瞬きを覆い隠すほどの、巨大な漆黒の影。
流線型の美しいフォルムを持った、超弩級強襲揚陸艦。
船体の側面に刻まれたエンブレムには、剣と盾を交差させた『戦乙女』の意匠が誇り高く輝いていた。
「あ……」
巨大な母艦のハッチがゆっくりと開き、ローゼリアの乗る小さなポッドを、まるで光の網で包み込むように牽引ビームが捉える。
(……助かる、のか……?)
極限状態の安堵感からか、それとも限界を超えた肉体が悲鳴を上げたのか。
ローゼリアの意識は、そこで完全に暗転した。
宇宙の底にポイ捨てされた落ちこぼれ皇女の、短くも絶望的な放浪が終わった瞬間だった。
彼女はまだ知らない。
この後、拾われた先の傭兵団『戦乙女』の母艦エインヘリアルで目を覚まし、そこが前世の自分が夢にまで見た『美少女だらけの理想郷(天国)』であることに狂喜乱舞することになるなど。
そして、自分を助けてくれた高潔な女騎士に、やがて取り返しのつかないほどの特大の感情——ガチ恋——を抱いてしまう未来が待っていることなど。
これは、帝国から追放された無能少女(中身は男)が、最強の機動騎士乗りとして覚醒し、愛する仲間たちと共に宇宙に新たな伝説を打ち立てる物語の、ほんの序章に過ぎない。




