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第三十三話 ふりかえる

 あれから数日が過ぎた。あれほど積もっていた雪もすっかり解けはじめ、近くではふきのとうが顔を出している。

 記憶の図書館は今日も営業しており、中では使用人たちがせわしなく働いていた。そんな中、記憶の書を返し終えて廊下を歩いていたシオンのもとへ、一人の使用人が駆けてくる。

「主様!」

 金髪を揺らしながら走ってきたのは、使用人のマリーだった。シオンは振り返り、首をかしげる。


「どうかしましたか?」

「あのね、今日お風呂とか水回りの点検が来るって伝え忘れ

 てたんだ。主様、今から使う予定あった?」


 定期点検。水回りや電気など、専門の職人が二年ごとに確認する決まりだ。シオンは首を横に振る。

「特に予定はありませんでした。対応はマリーさんが?」

 シオンの問いに、マリーは目を細めて笑った。


「うん。主様はお部屋で休んでて!すぐ終わるから」

「わかりました。よろしくお願いします」

「任せて!」


 元気よく駆けていくマリーを見送りながら、シオンは「廊下は走ってはいけないのに」と小さく苦笑した。きっと後でアイカに叱られるだろう。


 廊下を歩きながら、これまでのことが走馬灯のように思い返される。気づけば、ここに来てからもうすぐ三年目になる。

 一年目は記憶喪失になったばかりで、覚えても忘れてしまう日々だった。

 では二年目はどうだったか。

 使用人たちが手を差し伸べ、名前を教えてくれ、初めて敵に遭遇したときは身を挺して守ってくれた。

 マリーやブルーと行った祭り。

 記憶の管理者をよく思わない者たちの存在を知ったことも、大きな出来事だった。

「あの時のたこ焼きはおいしかったですね」

 独り言をこぼしながら歩みを進める。

 彼らの“不老不死”という秘密。

 一年中咲く桜の秘密。

 十六代目がいない理由。

 本来なら口にすることすらためらうはずのことを、彼らは自分に教えてくれた。

「彼らは私の何倍もの人生を歩んでいるんですよね。私には想像もできません」

 ふと外を見ると、昼下がりの柔らかな日差しが差し込んでいた。その光景に、シオンは眉を寄せる。

「確か襲われたのもこの時間でした。あの時はブルーさんとキュラさんに守っていただきました。本当に頼もしかったです」

 一年は三百六十五日。

 彼らにとっては瞬く間に過ぎる時間でも、シオンにとっては一度きりの人生の、大切な記憶だ。

 記憶の管理者として、記憶を大切にしなければならない。

 過去も未来もわからない自分が、その立場にいるという不思議さを抱えながら。

 そんな日々が、まもなく二年を終えようとしている。

 考え事をしているうちに、自室へとたどり着いた。この扉を何度開け閉めしただろう。朝と夜、休日にも何度か。その一つひとつが、かけがえのない記憶になっている。


 ーー同時刻。

 銀髪の使用人キュラは備品整理をしながら、のんびりとつぶやいた。

「光属性魔法使いに、魔眼の使用者か。……ますます狙われやすくなるね」

 桃色の瞳で箱の中身を確認しながらも、心はずっと主のことを案じている。

「今までの管理者とは次元が違う。僕らももっと強くならないと」

 薄暗い電球の光が銀髪を照らし、舞う埃がきらきらと輝いた。


 ーー同時刻。

 夕食の準備をしている青髪の使用人ブルーは、皿洗いをしながらぼんやりと考えていた。

「もう三年目ですか。あの方が来てから」

 冷たい水が素肌に触れる。生まれつき動かない水色の指先。武器を持てず、盾として守ることしかできなかった自分。

「まだ、我々も把握していないことが多すぎる」

 静かにそうつぶやいた。


 ーー同時刻。

 点検の対応を終えたマリーは、ぼんやりと光るランタンを見つめていた。いつも明るく振る舞う彼女の表情から、少しだけ笑みが消えている。

「シオン様、私たちのこと……どう思ってるんだろ」

 顎に手を当てて考え込むが、すぐに首をぶんぶん振って気持ちを切り替えた。

「いいの。嫌われても、嫌われてなくても、そばにいるんだから」

 胸の前でこぶしを握りしめる。その顔には、いつもの笑顔が戻っていた。


 ーー同時刻。

 接客を終え、紅茶を飲んで一息つく赤髪の使用人アイカ。カップを置くと、小さくため息をついた。

「……この一年で、シオン様はずいぶん成長されました」

 前髪を整えながら、ふと玄関の大扉へ視線を向ける。冬場は特に固く重く感じる扉。アイカはそっと手を伸ばしかけて、やめた。

 そして、ほんの少しだけ微笑んで紅茶を飲み直す。

 本音を隠すように。


 ーー同時刻。

 五人目の使用人アヤメは監視塔の上から館を見下ろしていた。とはいえ、ここから館内の様子が完璧に見えるわけではない。

 赤紫の髪を揺らしながら立ち上がり、腰に手を当てて伸びをする。その姿には、どこか疲労がにじんでいた。

「さて、そろそろ三年目が始まるのか」

 机の上には、どこかとつながったままの水晶が置かれている。アヤメはそれに手を伸ばし、通信を切った。誰かと連絡を取っていたのか、それともただつけていただけなのかはわからない。

「私たちも、そろそろ動かなければならないな」

 帽子のつばを下げ、火傷の跡を隠す。

 まもなく、記憶の管理者が十七代目を迎えて三年目に入る。

 その先にあるのは……シオンが記憶を取り戻すのか、アスターが記憶を取り戻すのか。

 あるいは、どちらも思い出せないまま終わるのか。

 それはまだ、誰にもわからない。

 今夜も彼らは、自分たちの記憶を抱えて生きている。

 明日もきっと、いい日になると信じながら。

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